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<経産大臣指定伝統的工芸品> 鹿児島 薩摩焼

2021-08-23 13:05:51 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「薩摩焼」

 Description / 特徴・産地

 薩摩焼とは?
 薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県で生産される陶磁器です。白薩摩、黒薩摩、磁器の3種類から形成されます。薩摩焼の特徴は種類が多く、竪野系、龍門司系、苗代川系、西餅田系、平佐系、種子島系と呼ばれる6種類もの種類があることです。
 白薩摩は白もんと呼ばれ、淡い黄色い焼き物に透明の釉薬(ゆうやく)を使い、表面にひびをあしらい、その上から装飾したもので、主に装飾品や置物等です。黒薩摩は黒もんと呼ばれ鉄分の多い陶土を利用しており、釉薬も色味のついたものを利用しています。黒もんは主に焼酎を飲むときに使われる器等です。薩摩焼には主原料を陶石とする磁器も存在しますが、現在は流派が途絶え作られてはいません。
 薩摩焼の産地は主に鹿児島県鹿児島市、指宿市、日置市等になり、現在残っている窯場は、苗代川系、龍門司系、竪野系の3つの窯場です。苗代川系は当初は黒もんを中心に作成していましたが、現在では白もんを中心に制作している窯場となります。龍門司系は黒もん中心で酒器を作成している窯場で、竪野系は白もん中心で主に贈答用の茶器等を制作しています。

 History / 歴史
 薩摩焼 - 歴史

 薩摩焼きの歴史は戦国時代の1529~1598年(享禄2年~慶長3年)に行われた文禄・慶長の役から始まります。これは日本が朝鮮出兵をした戦争ですが、別目「焼き物戦争」と呼ばれ、薩摩藩藩主の島津義弘が朝鮮人の陶工師を80人連れ帰ったことで薩摩焼が誕生しました。
 朝鮮人陶工師の朴平意(ぼくへいい)や金海(きんかい)らは、薩摩藩内に窯場を開きそれぞれの陶工のスタイルで、様々なスタイルの陶磁器の制作を行いました。これが流派や特徴に分かれ、現在の形に昇華した薩摩焼となります。
 現在の薩摩焼は伝統を受け継ぎ、未だに朝鮮の風俗を受け継いでいます。沈壽官(ちんじゅかん)の窯は美山にある窯場で朝鮮の独特の風俗を受け継いだ色絵薩摩の里です。また、朴平意の末裔が引き継ぐ荒木陶窯は朝鮮ならではの左回しのろくろに拘り、独自の天然釉薬を利用し、祖先から引き継いだ伝統を守っています。
 1867年(慶応3年)の江戸時代から明治時代への変遷期には薩摩藩がパリ万博へ薩摩焼を出品し、ヨーロッパの人々に感銘を与えて「SATSUMA」と呼ばれて親しまれました。2007年(平成19年)の平成時代にもフランス国立陶磁器美術館に於いて薩摩焼パリ伝統美展が開催されその名を馳せました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/satsumayaki/ より

 一歩先を行くやきもの産地をめざす薩摩焼
 現在、鹿児島県内には百数十に上る窯元が点在する。数百年の歴史と伝統を受け継ぐ窯元もあれば、始めたばかりという若い窯元もある。それぞれ製作しているものも異なれば製作姿勢も違う。それら多様な製作者たちをまとめる役割を果たしているのが鹿児島県陶業協同組合初代理事長の陶芸家・西郷隆文さんだ。西郷さんに、自身の作品や現在の薩摩焼についてお話をうかがった。

 
 人の縁が導いた陶芸家への道
 薩摩焼は400年以上の伝統を持つやきものだ。その中で西郷さんは30年に渡って製作活動を続けている。陶芸の世界に身を投じる以前は、アパレルメーカーという流行の最先端の業界で働いていた。「時代の先を読みながら、何もないところからものを作り出す」それが西郷さんの仕事だった。仕事は楽しく充実していたが、「いつか帰郷する」というイメージは、長男である西郷さんの中から消えることがなかった。
 「いずれは鹿児島に帰るのなら、やきものでもやらないか」中学時代の美術の恩師の口からでた言葉が、結果的には西郷さんを動かした。恩師である有山氏は、一度は教職に就いたが退職し、実家である窯元を継いだ人物である。この有山氏に連れられて、西郷さんは大学生の時、初めて日展を見に行った。そこで目にした斬新な陶芸作品の数々に、西郷さんは驚き、感動したという。しかし、感動はいつの間にか忘れられ、興味は心の奥にしまわれていた。忘れていたやきものへの興味を呼び覚ましたのが、有山氏の言葉だった。
 「やきものも面白いかもしれない」そんな思いを胸に、帰郷した西郷さんが入社したのは有山氏の実家「長太郎焼本窯」。中学時代の恩師は、今度はやきものの師匠となった。

 

 他人と同じようなものをつくらない
 朱と黒の漆の下には、薩摩焼の伝統技法のひとつである「蛇蝎釉(だかつゆう)(へびの鱗を連想させる立体感のある仕上がりが特徴)」が施されている。漆を塗って焼いた時に下地の「蛇蝎釉」が垂れ、ぽってりとした立体感が出た作品(陶胎漆器)「長太郎焼本窯」は、「黒薩摩」の本家として知られる百年の歴史を持つ伝統的な窯元だ。ここで、西郷さんは「黒薩摩」の製作技術を学んだ。「黒薩摩」は原料に薩摩の土や釉薬を用いた伝統的なやきもので、漆黒の色味としっとりとした肌合いに特徴がある。
 西郷さんは足かけ5年の修業の後に独立し窯を開いた。それが、現在も製作活動の拠点となっている「日置南洲窯」だ。ここで西郷さんは「長太郎焼本窯」仕込みの「黒薩摩」と、オリジナリティあふれる陶芸アートという2つのタイプのやきものを製作している。
 西郷さんの製作ポリシーは「他人と同じものは作らない」ということ。そんな思想が反映された作品のひとつに「陶胎漆器」がある。「陶胎漆器」とはやきものに漆を施して仕上げた漆器を指す。あまり目にする機会のない工芸品のひとつだ。漆器でもあり、やきものでもある。やきもの一種とはいえ、一般には、漆を塗ってしまったものを焼くことはない。しかし、西郷さんは、大胆にも漆を塗ったやきものを再び窯入れし、焼いてしまう。そうすることで、漆はやきものの表面にある微細な孔に入り込み、やきものと一体化する。漆器の制作者では決して思いつかないテクニックである。漆を焼くという発想そのものがアートなのだ。
 「やきものと漆のコラボレーション」と自ら語る作品は、「炎と漆」という、出逢うはずのないものの出逢いから生れた、斬新な力強さに満ちている。


 伝統的な薩摩焼と現代の薩摩の陶芸アートとの接点
 西郷さんは陶芸の可能性に挑むアーティストであり、伝統ある窯元で修業した「黒薩摩」の作り手でもある。自分で窯を開いた後は、若手窯元のリーダーとして、販売活動の拠点づくりにも積極的に関ってきた。こうした背景をもとに、西郷さんは薩摩焼業界を分析する。
 薩摩焼の業界には、非常に高い技術を持つ職人たちと、鋭い芸術的な感性を持つアーティストたちが混在している。これまで交流のほとんどなかったこれらのグループの、それぞれの良いところを組み合わせることで、時代にフィットした薩摩焼が生まれないかと西郷さんは考えている。
 そんな技と感性のコラボレーションを業界内だけでなく、海外でもやってみたい。そうすることで「薩摩焼を弾けさせたい」と西郷さんは語る。


 ブランド戦略を仕掛けるプロデューサー
 薩摩焼を擁する鹿児島県陶業協同組合には、大きく分けて3つのタイプの作り手が参加している。伝統的工芸品の看板を背負う伝統ある窯、薩摩焼をひろく世の中に広める役割をになう量産対応の窯、薩摩焼の未来を予感させる作品を生みだすアーティストの窯。西郷さんは、これら3タイプの窯元たちの得意分野を把握して、適材適所で世の中に薩摩焼をアピールしていこうとしている。それはまさにオートクチュール・プレタポルテ・コレクションといったアパレルのブランド戦略を思いおこさせる。その舵取りをする西郷さんは、さしずめ薩摩焼ブランドのプロデューサーといったところだ。西郷さんは、アパレル業界で鍛えたビジネスセンスを発揮して、最前線で薩摩焼の営業活動を行っている。
 アーティストとして、ビジネスマンとして。西郷さんの多忙な日々はまだまだ続きそうだ。


 職人プロフィール

 西郷隆文 (さいごうたかふみ)

 

 こぼれ話

 窯元めぐりの愉しみ

 エメラルドグリーンの海、青い空、南国鹿児島はやきものの宝庫。伝統的なやきものから、現代的なやきものまで、多種多様な作品が作り出されている。見学者を受け入れてくれる窯元も多いので、ドライブがてら窯元めぐりをしてみてはどうだろう。

 陶芸体験や陶芸教室といった参加型のプログラムを用意している窯元や、美しい眺望に恵まれ、カフェを併設している窯元もある。まったく異なるタイプのやきものに次々と出会えるのは、鹿児島の窯元めぐりならでは。

 鹿児島県陶業協同組合では、「薩摩やきものマップ」を発行している。60以上の窯元の紹介文や所在地が掲載された便利な一枚。マップ片手に南国の自然とやきものを堪能する旅。時にはそんな旅もいいかもしれない。

*https://kougeihin.jp/craft/0430/ より


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