「越後三条打刃物」
Description / 特徴・産地
越後三条打刃物とは?
越後三条打刃物(えちごさんじょううちはもの)は、新潟県三条市で作られている打刃物(うちはもの)です。戦後発展したプレスや研磨加工の工程を経て作られる抜刃物(ぬきはもの)ではなく、日本古来の技法を使い、金属を叩いて製造する刃物を打刃物と呼びます。元々は農工具などを作る技術でしたが、現在は包丁やハサミなど日用品をはじめ、ナタやノミなど様々な分野の刃物が製造されるようになりました。
越後三条打刃物の特徴は、高温の金属を金型で叩いて形を整える、高度な鍛造(たんぞう)技術です。この鍛造技術のおかげで金属の形を自由に変えられるだけでなく、金属内部の隙間をつぶして強度を高めることもできます。このようにして生まれた刃物類は強度が高く、摩耗しにくいという性質を持ちます。製造工程で機械が使われることもありますが、重要な工程は職人が一つ一つ手作業で作成して品質の高さを保っています。
History / 歴史
越後三条打刃物(えちごさんじょううちはもの)の歴史は、中世の江戸時代頃にまで遡ります。もともと、越後三条打刃物は農工具の一種である鎌(かま)や鍬(すき)などを制作する技術として確立していきました。
1625年(寛永3年)から2年間ほど、大山清兵衛という三条城の代官が貧しい農民の救済のために江戸から釘職人を招いて、製造方法を農民に教えるようにと計らいます。農家の副業として農閑期に和釘(わくぎ)製造が盛んになると、次第に鍛冶を専業とするものが現れます。これらを背景に、次第に現在の三条市周辺は鍛冶屋の集まる地域となっていきました。
1661年(寛文元年)から始まる寛文年間には、すでに城下町に二十戸ほどの鍛冶を専業とする集団がいたとされる文献もあり、三条市周辺での刃物産業の基礎を築いたと考えられています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echigosanjouchihamono/ より
*https://kougeihin.jp/craft/0706/ より
歴史
打刃物製造は、三条市の主要産業として古くから地場産業の根幹を担ってきました。
打刃物製造の確実な痕跡としては、江戸時代初期の検地帳に「鍛冶町」の名が見られ、遅くともこのころには既に、多くの鍛冶職人たちが三条に集まって職人街を形成し、活発な活動を行っていたことがうかがえます。
江戸時代の前半には、三条市の周辺でも積極的な新田開発が行われており、これに伴い「鎌」、「鍬(くわ)」など土農具を中心とした刃物製造が発展したと見られています。その後、信濃川の河川交通を利用した商業の発達により、会津などの他産地との交流や、金物商人を通じた関東などの消費地との情報交換が進み、「鑿(のみ)」、「鉋(かんな)」などの大工道具や、「包丁」、「切出」など多様な製品に展開していきました。
中でも三条の「和釘」製造については、江戸時代の終わり頃には、当時世界最大の都市となっていた江戸の建築を支える一大産地となりました。
伝統的工芸品
越後三条打刃物は、高度な自由鍛造技術を駆使することに特徴があり、その造形技術が生み出す多様な製品群に対して、平成21年(2009年)4月に経済産業大臣により、伝統的工芸品の指定を受けました。
【指定品目】
「包丁」「切出(きりだし)小刀」「鉋(かんな)」「鑿(のみ)」「鉈(なた)」「鉞(まさかり)」「鎌」「木鋏(きばさみ)」「ヤットコ」「和釘」
三条鍛冶道場
伝統的工芸品「越後三条打刃物」を生み出す「三条鍛冶の技」。
鍛冶体験施設「三条鍛冶道場」では、常設講座として「和釘づくり」や「包丁研ぎ」などの鍛冶体験を毎日実施しているほか、現役鍛冶職人の指導による刃物づくり体験などの講座も、年間を通じて実施しています。
*https://www.city.sanjo.niigata.jp/soshiki/keizaibu/shokoka/4564.html より
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