「ブラック・プリンス エドワード黒太子」
(1330〜1376)イングランド
百年戦争前半で活躍したイングランドの英雄。王子でありながら16歳の頃から戦争で活躍してことで、騎士としての評価も高い。戦場で黒い鎧を身に纏っていたことから、「ブラック・プリンス」と恐れられた。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E9%BB%92%E5%A4%AA%E5%AD%90 より
エドワード黒太子(エドワードこくたいし、英語: Edward, the Black Prince、KG、1330年6月15日 - 1376年6月8日)は、イングランドの王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)で、イングランド王エドワード3世とフィリッパ・オブ・エノーの長子。クラレンス公ライオネル・オブ・アントワープ、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント、ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリー、グロスター公トマス・オブ・ウッドストックの兄。オックスフォードシャーのウッドストック宮殿で生まれたため、エドワード・オブ・ウッドストック(Edward of Woodstock)とも呼ばれる。アキテーヌ公としてはエドゥアール4世。
非常に優秀な軍人であり、百年戦争前期における主要な戦闘に参加し、全ての戦いで最終的な勝利を収めている。中でも、1356年のポワティエの戦いではフランス王ジャン2世を捕虜とし、イングランドの勝利を決定的にした。
*Wikipedia より
黒太子の呼称
エドワード・オブ・ウッドストックは、ほとんどの場合、黒太子(Black Prince)と呼ばれる。その理由は彼が常に黒色の鎧を着ていたためであるとよく言われるが、フランス側で黒太子の残虐行為などに対してnoir(黒)と呼んだという説もあり、必ずしも明確ではない。実際のところ、存命中そう呼ばれたことはなく、後世の創作であるとの説が有力である。
なお、当時の騎士が着用した鎧の中には、表面が磨かれず黒っぽい見た目をしたものもあった。この時期には鎧にも変化が見られており、この黒っぽく見える鎧を着用したために黒太子と呼ばれたのだとする説もある。
*Wikipedia より
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