時ならぬ春の大嵐予報が信じられぬほどの、いわば嵐の前の静けさの中、西国三十三所の内第25番から第29番までの札所を順打ちして来た。但し、第27番の書寫山圓教寺の代わりに、番外東光山 花山院菩提寺をお参りした。
数年先になるであろう結願のお礼参りとして、最後に信州の善光寺に参拝すると教わったが、これは早々と2006/10/2に済ませてある。
この度の巡礼に先立ち、巡礼に関するわが先祖の足跡を少し辿ってみた。
1892年(明治25年)4月、当時満27歳で結婚4年目の曽祖父は小豆島八十八カ所巡りを果たしている。
それから更に下ること9年、1901年(明治34年)2月から4月にかけて、高祖母が四国八十八カ所巡りをした証しが出てきた。当時満57歳の高祖母が夫(高祖父)の23回忌供養で回ったようだ。
巡礼用品と一緒に昔使っていた仏具が保存されており、中から青銅製の古めかしい鐘が出てきた。ひっくり返すと「江戸 粉川市正作」の刻印がある。
そこここに未だ会ったこともない高祖母や曽祖父の筆跡を認め、とても懐かしく感無量であった。昔は若い時分から巡礼の旅に出ていたようだ。交通機関も発達していない頃で、難行苦行であったと思われる。

第26番法華山 一乗寺


第25番御嶽山 清水寺


清水寺の仁王門をバックに

番外東光山 花山院菩提寺



彼方の山麓に見えるのは伊根の舟屋

天橋立をバックに(成相山展望台にて)

第28番成相山 成相寺


第29番青葉山 松尾寺



遊覧船から伊根の舟屋を望む

曽祖父や高祖母が使ったお遍路用品
数年先になるであろう結願のお礼参りとして、最後に信州の善光寺に参拝すると教わったが、これは早々と2006/10/2に済ませてある。
この度の巡礼に先立ち、巡礼に関するわが先祖の足跡を少し辿ってみた。
1892年(明治25年)4月、当時満27歳で結婚4年目の曽祖父は小豆島八十八カ所巡りを果たしている。
それから更に下ること9年、1901年(明治34年)2月から4月にかけて、高祖母が四国八十八カ所巡りをした証しが出てきた。当時満57歳の高祖母が夫(高祖父)の23回忌供養で回ったようだ。
巡礼用品と一緒に昔使っていた仏具が保存されており、中から青銅製の古めかしい鐘が出てきた。ひっくり返すと「江戸 粉川市正作」の刻印がある。
そこここに未だ会ったこともない高祖母や曽祖父の筆跡を認め、とても懐かしく感無量であった。昔は若い時分から巡礼の旅に出ていたようだ。交通機関も発達していない頃で、難行苦行であったと思われる。

第26番法華山 一乗寺


第25番御嶽山 清水寺


清水寺の仁王門をバックに

番外東光山 花山院菩提寺



彼方の山麓に見えるのは伊根の舟屋

天橋立をバックに(成相山展望台にて)

第28番成相山 成相寺


第29番青葉山 松尾寺



遊覧船から伊根の舟屋を望む

曽祖父や高祖母が使ったお遍路用品