富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

寺内町まち巡りと万里春ビアホール昼食会 2024

2024年10月11日 | 富田林寺内町

2024年10月11日 富田林百景メンバーの参加者で、ひと味違う「寺内町まち巡りとバンリハルビアホール昼食会」が開催されました。バンリハルビアホールは廃業された万里春酒造の酒蔵をリフォームされ、多彩なランチメニューと現在五種類のクラフトビールを飲酒することができます。その状況の一部を紹介します。 2024.10.11 撮影

地元の名産であった「万里春」。甘口のうまい酒であったと聞き伝えられています。

「富田林の酒屋の井戸は、底に黄金の水がわく。」と江戸期から詠われてきました。

現在は「バンリノハルビール」。香り良く切れの良いクラフトビールが楽しみです。


9:30 参加者は中央公民館入口付近に集合。

中央公民館を出発。

西越井家住宅で蔵が吉兆の方位(辰巳・戌亥)に建てられているというお話。

越井家の住宅建築物の見どころ等の説明。「駒寄せ」が美しい。

本町公園は旧警察署の跡地、煉瓦塀の跡や石上露子歌碑等の説明。明治末期のイギリス積み煉瓦塀が残ります。

鬼瓦に砲弾形のものが使われている旧石川写真館(愛国軒)。明治末期の建物です。

交通公園、旧登記所跡地。

北口地蔵、巡礼街道の出入口。ここに土居と堀がありました。

「あてまげ」の辻。寺内町建設時から残る町割りです。施行率は30%程度ですが、当時の「市街戦も辞さないよ。」という意気込みが現れています。町内の辻で屈曲しているのは他に大和 今井の寺内町があります

城之門筋、日本の道100選に指定、用心堀やあてまげ等の説明。大阪府で選定3つ。御堂筋、フェニックス通、城之門筋。

南葛原家の三階倉。戦前は堺にもたくさんあったそうです。戦災をうけて焼失。

国重要文化財 興正寺別院。富田林寺内町地区は大阪府で唯一の重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)。

ご好意により参拝させていただきました。

興正寺別院は現在「令和の大修理」の修復工事前ですが、特別に本堂を拝観させていただきました。

11:30 予約しておいた酒蔵を改修したバンリノハルビアホールに参上。

「珍しいものがたくさんあるな。」

明治期の酒蔵を改装してビアホールに。

元酒蔵だけあってすごく広い室内。

広大な酒蔵を改修したビヤホールの内部。高い天井、太梁、柱をそのまま露出。

あしたは「じないまち 後の雛まつり」。

天井は丸太の梁がせまい間隔で並んでいます。

富田林最後の造り酒屋で、昭和58年くらいまで甘口の地元銘酒として「万里春」を造られていました。但馬地方杜氏や蔵人が毎年11月から翌年4月始めまで冬場の期間に仕込みに携わったそうです。戦後の最盛期には年間生産量2千石(一升瓶換算で20万本相当)を数え、桶売りでは京・伏見の「月桂冠」などにタンクローリーで卸していたそうです。

(ブログ「富田林・寺内町の探訪」より)

ええなあ。ホーロ引きの看板。

関西テレビ、よ-いドンで人間国宝に認定されました。

酒蔵(ビアホール席)に続いて、窓越しに見える製造所。

ここで味わいの違う数種類のクラフトビールが製造されています。アルコール度5度

飲むのはあっという間ですが、造るのには2ヶ月以上掛かるそうです。

もくもくと製造に取り組まれています。「黄金の水」と詠われたかつての酒造りの井戸水で仕込まれています。

酒蔵の一部を利用して、クラフトビールの酒造行程を見ることができます。

これはビール大麦の麦芽カス。

はい、酒蔵では...

乾杯!

素の杉の木の単板を使ったテーブルにぬくもりを感じます。

それぞれのクラフトビールで乾杯!

昼間から美味しいランチとクラフトビールを頂きほろ酔いで解散。

こんなまち歩きがちょうどいい。

なんとまあ、クリアで切れの良いクラフトビールです。

香りと後に残らない鋭さがすごい!


2014年5月14日 10年前のイベントで使用された酒造蔵

ホーローの酒造タンクが見えます。

寺内町に最後まで残っていた酒造蔵で 204.5.14

2020年5月20日 「万里春」「聖丘 万里春」の卓上瓶。「聖丘 万里春」はPL教団の御用酒。

清酒 万里春の一升瓶

 

近鉄 古市駅にあった「万里春」駅ベンチ

案内板には今はなき「誉田八幡」駅の表示が...

この写真が昭和4年(1933)~昭和20年(1945)の戦前に撮られたものとわかります。

出典:『古市東地区今昔マップ』より

 

今も残る旧「東ます兵」の「万里春」の看板

右縦に「富田林町」(甼は町の変体漢字)、左縦に「電話壹番(一番)」

この一番が富田林で最初に電話を取られた証しです。

変体漢字は昔よく使われていました。峯:峰、崕:崖、畧:略など

〈画面をクリックすると拡大します〉

富田林で最初に電話番号を取得した事業所・公共機関・個人

なんと「石田 岩太郎」、つまり「本石田酒造(万里春酒造)」が1番です。

富田林警察署 34番、富田林村役場20番、杉山長三郎(杉山家)35番、富田林郡役所31番、富田林尋常小学校3番、府立富田林中学校(富田林高校)24番

これすごくないですか?


長文最後まで見ていただきありがとうございました。  2024.10.11 kusu&アブラコウモリH

 


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