2017.5.6.13:25 藤井寺市藤井寺 西国観音巡礼五番札所 葛井寺(ふじいでら)
ここんところ、ずっと晴れていたのに、きょうは雨模様。朝から、ときどき小雨。
雨模様...いつもなら熊ん蜂や鳩がいるけど、きょうは居ない。
3月から4月の中旬まで寒かったけど、4月中旬以降暖かかったので、レンゲやツツジは散り急いでいる。藤の花もそうだろうか?ピークの少し後...
慶長六年(1601)豊臣秀頼により再建された、国重要文化財の西門からみた境内。現存する最古の建物です。
藤色の藤
らくち~ん
のんび~り
おすまし
西国三十三カ所巡りの観音様
にらみを利かしているのは、南大門の仁王様(右、金剛力士阿形像)
金剛力士吽形像 こわいですね。こころが安らかでないと、恐くみえるのかも...
阿弥陀二十五菩薩堂の菩薩様
境内の様子
広いはずですが、いっぱいお堂が建ち並び、窮屈に感じられます。その分、歴史がいっぱい詰まっています。
雨がまた降り始めました。
本堂と南大門の間の境内(180度パノラマ撮影)
白い藤の花もいいですね。背景は 阿弥陀二十五菩薩堂。
すこしピークを過ぎちゃったので、花が痩せているようにみえます。背景は本堂。
境内は藤の花でいっぱい!
かなり古いと思われるお地蔵さまや十三重石塔、宝篋印塔など、重要な石造物が建ち並んでいます。
天保二年(1831)の六十六部供養塔
六十六部供養塔とは、法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経する巡礼行者の満願を記念して建立された供養塔のことです。
江戸中後期には、西国三十三度行者や六十六部行者が民衆の代替信仰をする行者として、この南河内にもたくさん回ってこられました。
南大門前の道標「右 つぼさか よしの はせ い勢」「左 道明寺 たつた ほう里うし(法隆寺) なら」
〈画面をクリックすると「神南邊大道心」の名が見えます。〉
神南辺大道心 (?~1841)
俗名弥兵衛。大和の国生駒郡神南村の出身。腕の良い鋳物師で、特に燗鍋(かんなべ)を作らせたら名人芸で、「燗鍋弥兵衛」と呼ばれた人物。
しかし、酒好きで、いろいろといさかいを起こしては喧嘩沙汰となる。 奥さんは心を痛め若くして亡くなるも、四才の長男を寺の小僧に追い出だしてしまう。 酒を飲んで喧嘩を売る癖は40才を過ぎても治らず、世間からはうとまれる。
そして、旭隆と名乗る僧に成長した息子は、あまりの父の乱行に見かねて、父を諌めた。親を思うわが子の真心に、ようやく目が覚めた父、弥兵衛は改心して、旭隆の導きで仏門に入り、人のために尽くそうと決心する。
行脚のなか、ゆとりのある人たちを訪ね、、困窮者のために救済を訴える。井戸を掘り、橋を架け、堤防を築き、道標を立てる。
現在、堺だけではなく大阪府内、奈良、和歌山地域にまで、道心が建立した道標、地蔵、百度石、石碑などの石造物がわかっているだけでも数十基現存する。また、老人や孤児、病・障害者の保護に努め、施設を造り、救済したとの話も多い。
世間は町の聖者としてあがめ、俗称「燗鍋」をもじって「神南辺道心さま」と呼んだそうだ。京都の御室山八十八か所の標石を再建し、天皇より杯とともに「神南辺」という名と「道心」という号を賜ったそうである。
本堂にたくさんの奉献された額が掲げられています。
花山法皇の御詠歌で、「まいるより 頼みをかくる 葛井寺(ふじいでら) 花のうてなに 紫の雲」と書かれています。
やっぱり、雨が本降りになってきました。「やっぱり、なあ...」
関連記事:西国五番 葛井寺の藤 2016.5.02.
撮影日:2017.5月6日
2017.5月7日 ( HN:アブラコウモリH )
近鉄のHPの5月10日の「花だより」でも「散り過ぐ」になっていました。
私が拝観したのは5月7日で、白い藤がピークを過ぎたあたりでした。紫のはそれより早く咲くようです。年により異なりますが、例年、4月15日位からゴールデンウィーク明けくらいまでが見ごろかと思います。