「富田林百景」が市制70周年を記念して、来年2月28日にまち巡りを主催することになりました(予定)。現在4つの班に分かれて、コースを考えています。そのためには、事前にコースを巡って、いいコースを選択しています。
9月8日(火)、富田林おもしろスポットウォークラリー(金剛班担当)は10人が参加。金剛駅を9時集合・出発しました。晴天に恵まれ(秋晴れ)、少し暑かったですが風もあり、まずまずのスタート。
中高野街道を南下、伏山、須賀、錦織公園、錦織を経て、石川(高橋)で昼食。その後、滝谷不動尊から佐備神社や板茂神社などを巡りました。途中、新たに発見した厳島神社「太神宮灯籠」を見学、富田林駅には午後3時40分頃到着。予定(寺内町以外)のコースを巡り終えました。でも、結構疲れました。今回は館外学習を兼ねた下見で、本番ラリーは来年2月からの予定で開催します。
参加された方で写真がありましたらアップして頂ければ幸いです。=matsu=
金剛駅(西口)を午前9時過ぎに出発。
中高野街道を南下、富田林の横断ラリースタート
風輪寺(大阪狭山市・半田)融通念仏宗のお寺(本山は平野区・大念仏寺)。河泉地蔵霊場第九番札所でもあります。
安楽寺(富田林・伏山) いつしか、融通念仏宗から浄土宗に改宗。境内には西国三十三度供養塔(4基)、太神宮灯籠などがあります。
神宮寺(富田林・須賀) 融通念仏宗のお寺(河内長野・極楽寺の末寺)、明治維新以降は無住となって、現在は大念仏講、地蔵尊、町会などの団体が管理しています。境内には太神宮灯籠、西国三十三度供養塔(3基)などがあります。
願力石(富田林・須賀)豊作祈願と力比べを兼ねて持ち上げた。全国には力石が多く存在しますが、願いを成就する力石は少なく珍しいです。
須賀・住宅から錦織公園・池畔の広場へ
「奥の池」「赤穂池」間の遊歩道、道なりに行けばパークセンターに出ます。
錦織公園を抜け、錦織公園出口(外環)の北寄りにある地下道(錦織へ)
地下道の壁画
大阪大谷大学構内にある「耳薬師」
聖音寺(富田林・錦織)真言宗の無本寺で町会の方が管理しています。矢疵(やし)観音が祀られていますが、通常は拝観できません。
一対の狛犬と金毘羅大権現、太神宮灯籠(明和元年)があります。太神宮灯籠は富田林内で一番古いです
錦織町内の東高野街道角にある道標
錦織から旧170号線の交差点を超え、高橋(石川)を渡ると彼方の集落に入り、滝谷不動明王寺に向かいます。
お不動の行く途中に料理旅館などが数軒あります。
滝谷不動尊へ行く途中に道標「瀧谷山へ 四丁」 一丁=109m
滝谷不動明王寺(富田林・彼方)また毎月28日にはお不動さんのご縁日、道沿いには色々な露店が出て賑わいます。
佐備神社・本殿へは急階段を上る。足を踏み外すので注意。下りは本殿横の道を下った方が無難です。
親獅子を見上げる獅子っこが可愛い。急階段の手前左右に鎮座しています。
佐備神社本殿(富田林・佐備)天安2年(858年)に創建。祖神は「天太玉命」が祀られています。
巌島神社(富田林・東板持)で発見された太神宮灯篭。富田林市では34基目。
建造年は享和4年か。
板持十三重塔(富田林・東板持)東板持の共同墓地にたたずむ石塔(高さ4m)。文保三年巳末(1319)の建立で、国の重要美術品に指定されています。当時、土葬する前に石塔を数回まわり、供養する風習があったらしいです。
この後は、西板持「板茂神社」を参拝、見学したのち、富田林駅周辺で解散しました。(15時40分頃)
お疲れさまでした。by matsu
おもしろかったところを追加します。byアブラコウモリH
伏山 南海高野線の逆サイホン
井路(水路、農業用水)が線路を逆サイホンで、地下をくぐります。千代田や金剛にもあります。
西板持町2丁目4-1
ちょっとくだびれていますが、富田林市に6コ残る鋳鉄製丸いポストのひとつ
現在も1日1回、回収されています。
大阪狭山市半田二丁目 すこし珍しい六十六部衆の供養塔
日本廻国六十六部衆の行者さんが江戸中期の安永年間にその当時の日本全国、六十六国のお寺を巡礼し、法華経を1部ずつ納めました。。そして満願したのを記念して供養塔を建ててもらいました。
池尻の墓地、錦織神社、葛井寺の境内にもあります。
そしてこの供養塔は中高野街道沿いにあることから、右側面が道標にもなっています。「左 加うやみち」
富田林市彼方(おちかた)滝谷地区 大師井
これは弘法大師ゆかりの井戸。崖の下は佐備地区に流れる川で、崖面から水が湧き出ているようです。数年前までは飲む事が出来ましたが、水質悪化のため今はもう飲めなくなってしまいました。
富田林にはこれ以外に大師ゆかりの井戸が2コあります。
桜井井戸(桜井町二丁目)
清水大師(富田林市若松町三丁目)
富田林市佐備 佐備神社の境内 賽の神(さいのかみ)
瓦器の祠の丸石が悪霊や厄、災いを跳ね返します。
母獅子に千仭の谷底に落とされて、泣きべその子獅子。
もう1匹の子獅子も泣きべそ。
母獅子はここにいて、子獅子が這い上がって来るのを待ちわびる。
心を鬼にして、待ちわびる母獅子。
=ユニークな「獅子っ子」がいるのは佐備神社です=
富田林市佐備 隣の下佐備集会所の賽の神
お地蔵さんのお隣に鎮座します。
川原の砂岩の丸石が祀られています。
直進すると考えられている、悪霊、魔物、厄、災い、病気を、丸石は角度を替えて跳ね返してくれます。また神社の鬼門(東北)にあり、鬼門除けの意味もあるのかもしれません。
ひょっとしたらコロナ禍にも効くかも...
下佐備の地車庫の横
おそらくこれは力石。若連の力比べの夢の跡
富田林市西板持町八丁目7 板茂神社の境内
賽の神ほこら 神社の鬼門を守るとともに、厄、魔物などを跳ね返します。
祠の中には丸石がびっしり、外にまでたくさん置かれています。
昔から見えない厄に対抗するため、人々の願いが込められている大切なもの、賽の神。
あと、たくさんあるのは太神宮灯籠。伊勢灯籠ともよばれ、江戸中後期に民衆の間で流行した伊勢参りを記念して各村で造られたもの。
富田林に24基ありますが、きょうのコースに在ったものを紹介します。
伏山 安楽寺の「太神宮夜燈」
中高野沿いの安楽寺門前にあります。天明五年(1785)に造られています。伏山地区は江戸時代に新田集落として開発されました。
お隣り、須賀 神宮寺の「太神宮夜燈」
明和四年(1765)に造られた富田林では3番目に古い伊勢灯籠です。
神宮寺は現在須賀地区の集会所となっています。敷地内には大きなお地蔵さんや西国三十三度行者満願供養塔などがあります。
錦織 聖音寺の「太神宮」灯籠
明和元年(1764)に造られた富田林で一番古い伊勢灯籠のひとつです。
一番古いのは2つあり、もうひとつは平町 安楽寺の「太神宮常夜燈」。
ついでに同じく聖音寺の「金毘羅大権現」灯籠。文化七年(1810)建之。
金毘羅さんは江戸後期、「お伊勢さん」「西国観音参り」「愛宕山参り」とともに、富田林では大流行しました。
まだまだあります。珍しい「秋葉大権現」の灯籠。建造年は不明。
静岡県の浜松市にある火伏せの神様、秋葉山本宮 秋葉神社にちなむものです。
関西には京都の愛宕神社が火伏の神様として有名ですが、毛人谷地区に「愛宕山夜燈」があり、ここに「秋葉大権現」灯籠があります。
東京の秋葉原の語源になった「秋葉大権現」、そういえば同じく東京に「愛宕」という地名もありますね。どちらも、火事は怖いので、火伏の神様を勧進したのが地名の由来やそうです。
もともと聖音寺のこれらの灯籠は錦織地区の別の場所にあったそうですが、道路の拡幅工事などでここに集められています。
彼方中心部にも「太神宮常夜燈」がありますが、町中を通らなかったので省略。
滝谷不動さんに近い彼方滝谷地区にある「太神宮」灯籠
軽四輪がやっと通れるくらいの佐備に抜ける旧道にあります。近くに弘法大師ゆかりの「大師井」があります。
富田林で唯一、西板持の「大峯山上常夜燈」
富田林は現在も「大峯講」を組織して、大峯山上参りが盛んです。
富田林には灯籠以外にも大峯山三十三度満願塔などの石碑がたくさんあります。
私らは「じみ~」な灯籠が大好きですが、根暗ではありません。
うわー、これは新発見!!今回新たに発見した東板持 厳島神社の「太神宮常夜燈」です。享和四年(1804、=文化元年)の築造。
これで、富田林の民衆信仰の灯籠は34基。そして伊勢灯籠は25基となりました。まだとこかで淋しい想いをしている灯籠があるかもしれません!もっと探さなくては!!とにかく歩いてさがすことですね...
西板持 板茂神社の「太神宮」灯籠
祠(ほこら)に入ったはる「太神宮常夜燈」。文政十二年(1829)に造られた高さが248cmもある大きい伊勢灯籠です。
いろんな灯籠がありました。
次は富田林の世界一をご紹介します。
2020年9月16日 ( HN:アブラコウモリH )
聖音寺の屋根の鬼瓦が、同じ尾根に二個平準して葺かれている。
猛暑日の中、石川の高橋の下の小蔭で昼食を済ませてた。岸壁の石垣の間から【ど根性ザクロ】が自生していた。
川が増水するまでに成熟すればいいのに、祈っています。
佐備神社、急勾配で階段の幅も狭く、手すりも無い、足を滑らせれば下まで転げ落ちそうだ。
親子獅子が有、母獅子は階段の上から下を眺めて、子獅子二頭は下から上を眺めている。
まるで【獅子の子落とし】を表現しているいるようだ。 2020.09.16 kusu