9月5日 今日も暑いが、大阪狭山駅目指してガンバルぞ!
喜志駅を8時55分にスタートしました。
(写真には、撮影時刻を表示させています。)
スタートです。
喜志小学校です。
明治6年2月25日の創立です。(創立147年)
親子4世代、お世話になっています。
融通念仏宗 「極楽寺」と役行者
「神変大菩薩」とは、盈仁(えいにん)法親王がつとめられた「役行者一千百年御遠忌」を機に、聖護院門跡に三年間仮御所を置かれいた光格天皇が、寛政十一年(1799)、役行者に贈った諡号(しごう)です。諡号とは、僧侶や貴人などの死後に、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名です。
先生や相撲取りのお墓がたくさんあります。
真宗興正派「正信寺」 なぜか、こんなところに太鼓が・・・・・
川面にある、大和棟のお家
川面町内の二つの灯篭
昔は「川面浜」からの目印か?
川面浜の河岸段丘 この坂の上に灯篭があります。
中野町の「あてまげ」 車が通りにくい!!
「長寿会館」と「力石」
中野町の大和棟のお家
こんなとこも、通ります。
中野城址の竹林
中野北遺跡の南には中野遺跡が、北には桜井遺跡があって、ともに石川と羽曳野丘陵との平坦地が最も広い、
好条件の立地にあります。そのため、遺跡周辺は古くから集落があって、その中心には東高野街道が通っています。
そして、集落の中心のには古いお寺があります。
綺麗に手入れされています。(京都の竹林みたいです)
ご苦労様です。
新堂の「あてまげ」
あてまげの辻(あてまげの道)とは、戦国時代、外部からの進入を防ぐ目的で辻角の街路を半間程ずらし、
侵入者を直進できにくくする工夫をした道のことです。現在の富田林市寺内町に実際に残っている道です。
若松町の役行者 優しいお顔をしています。
清水大師
弘法大師ゆかりの井戸と伝わり、今も井戸の水がこんこんと湧いています。
弘法大師が新堂本郷大工村の住人のために開発したという、石川河畔にある現役の井戸です。
大師を祭る祠堂がありきれいに祭られています。
大師堂
12時20分 展望広場 到着
ここで、昼食です。
寺内町はスルーして、PL坂を登ります。みんな無口です。
廿山(つづやま)の「お帰り地蔵」
ほんとうは権兵衛(ごんべえ)地蔵さんですが、平尾街道(富田林街道)で通勤されている方々が、
夕方通勤を終えて疲れてお帰りになられる最後の峠のカーブで、このお地蔵さんが暖かく迎えてくれるので、
通称「おかえり~地蔵」さんとよばれているらしい...
「五郎九郎池」へは、ケアパルの駐車場から入ります。
出る時もここから退出です。(以前の出口は閉鎖されていました)
「出会い地蔵」 前方の高架は309号線です。
もう、少しだ!頑張れ!!
「龍雲寺」
創建は享保9年(1724年)、狭山藩の第5代藩主北条氏朝の支援を受けた独園和尚が、河内長野市石見川にあった真言宗の寺院を移転のうえ黄檗宗の寺院に改宗して開山したことによる。このことから北条家・狭山藩士の菩提寺のひとつとなり、地元の加太在住の庶民にとっても菩提寺となった。
四季折々に花を楽しめるようにされており、特に蓮の鑑賞地として有名
15時46分 大阪狭山駅 ゴ~~ル!!
お疲れさまでした。
総距離は、約13Km 地内町はスローしたので総距離は16Kmくらいかな?
ショートカットコースは、「富田林駅」かな?(8~9Km)
距離測定は、アプリ「地図蔵」で確認しました。
喜志駅から喜志小学校まで、ルートをたどると 0.51Km 7分 と、出ています。
前回、発表しました動画です。見れますか?
北チーム 9月5日の行程でした。
誤り ・ 追加訂正 適宜お願いいたします。
お願い 追加・訂正は赤字でお願いします。
2020/09/16 UPしました。
By 北チーム
アイネ クライネ ナハトムじいさん 2020.9.17.
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