富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

【記事追加】「富田林歴史学習会」まち巡り~富田林・新堂

2024年02月18日 | まちめぐり

2024年1月26日 10:09 近鉄 富田林駅前 きらめきファクトリー

「富田林歴史学習会」のみなさんと富田林じないまちと新堂のまち巡りをしました。富田林百景からは応援スタッフとして3名参加。

 

きらめきファクトリーで少し場所をお借りしてまち巡りのご案内。

 

観光交流施設のきらめきファクトリーでは、富田林やその周辺のお土産を販売されています。

 

きらめきファクトリー前の「本町通り」はじないまちに至るメインの通り。

ところがここは明治31年までお墓へ行く「墓道」でありました。

〈画面をクリックすると「墓道」や「古御坊」と出てくる小字図が見られます〉

 

駅から寺内町方面に向かいます。

 

本町地蔵

ここはじないまちの入口、「富田林村」の一番古い絵図「宝暦三年(1753)富田林村絵図」が示す通り「三昧口」。「三昧」は「お墓」を表わすことからも墓へ行く道であることがわかります。

〈画面をクリックすると「宝暦三年富田林村絵図」が見られます〉

現在の富田林駅の場所は明治31年(1898)までは富田林・毛人谷(えびたに)・新堂の惣墓(集合墓地)でありました。そこに河陽鉄道(現 近鉄)が柏原駅からの路線を敷きました。よってそこのあった墓石は今の西山墓地や西方寺などに移されました。

なお小字図に「古御坊」と出てきますが、現在の興正寺別院が富田林寺内町の中央に建設される前まではこの地、毛人谷にあったことがわかります。

 

少し歩くと北口地蔵。喜志、藤井寺方面に向かう巡礼街道の出口にあります。

 

念西口より城之門筋へ。いっぺんに町の景観が変わります。

 

興正寺別院前に到着。

 

興正寺別院 町の中心「富田林御坊」。

浄土真宗興正派 。応永年間(1394~1412)に毛人谷(えびたに)御坊に草創。

永禄3年(1560)寺内町建設時に、興正寺第16世証秀上人が現在地に移しました。富田林・寺内町の成立と発展の中心となった寺院。

 

 

城之門筋 橋本家住宅 花崗岩の自然石を利用した「駒つなぎ」があります。

ここは「あてまげ」の辻。

 

「柱の真ん中がすり減っているのがわかりますか?」

 

2024年1月9日 富田林市彼方 南原の谷

「牛や馬、猪は背中がかゆい時には前足ではかけないのです。」

この松の木、猪にゴシゴシされて枯れてしまいました。

 

 

となりの寺内町センターの展示を見学。(無料)

 

「くわゑきせる無用」道標

享保15年(1730)の大火から21年を経た宝暦元年(1751)に建てられ、今も防火を呼びかけています。富田林市で一番古い道標です。

<右面> 「町中 くわゑきせる/ひなわ火 無用」

<正面> 「左 ふし井寺道」

<左面> 「右 まきの尾/高野山 道」

<裏面> 「宝暦元年未十一月立之 」

 

「ここが東高野街道(河内長野市向野まで巡礼街道も同じ道)の出入口 向田坂口です。天保期には町内の安全を守るため、門が設けられました。この門は南大伴の旧円照寺に移築され、現在も残る唯一の富田林村にあった門です。」

〈天保期の門が描かれている富田林村絵図は画面をクリックしてください〉

 

ここには江戸後期に水車小屋が2軒ありました。

 

当時は富田林村の悪水(生活排水)をはじめ、深溝(ふこうど)井堰、下深(しもぶか)井堰などの農業用水の余剰分もここに集まって、石川に戻ります。

 

富田林町公園

じないまち(河岸段丘面)の崖下にある公園(氾濫原)。公園のまん中を暗渠で上天溝(かみあもぞ)井路が通ります。

実は安永七年(1778)の富田林絵図ではこの場所まで石川の流れがあったのがわかります。

〈安永七年(1778)の富田林村絵図は画面をクリックしてください〉

 

石川と金剛大橋

山中田坂からの富田林街道が対岸の金剛大橋横のお地蔵さんに向かって木橋が架けられていました。

富田林街道はこの後「かんしんじ道」を分岐し、河南町寛弘寺、千早赤阪村森屋をへて水越峠を越え、奈良県に入ります。

〈山中田坂からの木橋を描いた江戸期の絵図(年代不詳)は画面をクリックしてください〉

*絵図には橋脚が描かれています。山中田坂の他、亀ケ坂、山ケ坂にも木橋が描かれているのがわかります。

 

むこうの坂道が山中田坂

昔は荷車で荷物を揚げたんです。

 

坂を登り詰めたら山中田坂口。富栄戎があります。

 

じないまちに入り、ここは昔の酒蔵。昔は冬場いい香りがしていました。

で、今はビールの醸造所。「バンリノハル ビアホール」

 

昨年11月にオープンして、新名所が誕生。昔の酒蔵をそのまま再生できました。

 

開店前であったのでご好意で店内を見せていただきました。明治期に造られた酒蔵なので広く天井が高い。

 

ビールの醸造所。原料で昔と変わらないものがひとつあります。

それは仕込みの「水」。「富田林の酒屋の井戸は、底に黄金の水がわく」と歌われた酒づくりの水です。

今もこんこんと湧き続けています。

 

黒漆喰の米蔵。越井家の明治末期の建物です。

 

12:30 東高野街道をまっすぐ、富田林を後にして新堂のまちへ。

予約しておいた道前(どうぜん)食堂(若松町四丁目1-9)で昼食。

 

寒い寒い日に、あったかい大阪うどん。こぶとかつをのバランスが最高。

でっかいおあげがうれしいです。

 

おいしく、あったまりました。

 

昔からリーズナブルなお値段で続けられておられます。

 

民家の「かどぐち(玄関先)」におられる役行者さま。

 

ここの役行者さまは小さくかわいい、アルカイックの役行者さまです。このようなやんわりとした木造の役行者さまは少ないようです。

 

新堂の町中を歩きます。古くからの町並みが残っています。

 

富田林で一番新しい 新堂 南町(現若松町二丁目)の「大神宮夜燈」。

昭和三年(1928)の建之で、現在でも夜間に自動点灯しています。

 

少し歩いて、旧国道沿いにあるサイゼリヤへ。

 

そこで茶話会。この後、「歯痛の観音さん」と「富田林駅の気になる木」(南出口の榎の木)を見て、駅で解散しました。

 

〈画面をクリックすると拡大します〉

 

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〈画面をクリックすると拡大します〉

 

〈画面をクリックすると拡大します〉

*一部のケイタイでは画面クリックが正常に作動しない場合があります。ご了承ください。

*2024年2月18日、写真を追加し、記事を更新しました。

写真撮影:2024年1月25日

2024年2月18日 ( HN:アブラコウモリH )

 

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