〈リバイバル・アーカイブス〉2021.10.18.~11.1.
原本:2016年11月23日
2016.11.21.9:35 河内長野市寺元 檜尾山 観心寺
ピークを少し過ぎたあたりかな...
大楠公、楠木正成ゆかりの観心寺。像は山門ひだりの駐車場にあります。
金堂から入口、山門を見返りました。
金堂は室町時代初期に建立され、大阪府下で本堂としては最古の国宝建造物。河内長野市にある6つの国宝のうち、建造物としては唯一の国宝です。
「心で観じる」あるいは「心に観じる」と書いて、「観心寺」。河内長野市の真言宗の古刹です。
もともと役行者が開創し、雲心寺と称したといわれています。「観心寺」と名付けたのは、弘法大師です。
南河内のお寺は役行者や行基菩薩ゆかりのお寺が多いようです。
【役行者ゆかり】 高貴寺・弘川寺・松尾寺・岩湧寺など
【行基ゆかり】葛井寺・天野山金剛寺・久米田寺・高倉寺・家原寺など
建掛塔(たてかけのとう)は、楠木正成が三重塔を建立しようとしましたが、湊川で討死したため完成されずに初層だけが残ったものといわれています。茅葺き屋根のため、屋根の角度が大きいので少し感じが違いますね。
観心寺は楠木家の菩提寺でもあり、正成が幼少の頃、学問を学んだところでもあります。建掛塔は未完成ながら重要文化財。よくぞ、残っています。
「 南無大師遍照金剛」ののぼり
「南無」は大師をお迎えする言葉-よろしくお願いしますの意
「心に観じる。」「心で観じる。」
物体を目で見て、目の前で「見えている」けど、表面しかみえていないことって多いですね。
実は観て、つながっているのは、心の中。弘法大師はその願いをこめて、このお寺を観心寺としたのではないでしょうか。
弘法大師が嵯峨天皇より高野山を賜って、金剛峯寺を開基(弘仁7年・816)したより早く、大同3年(808)にこの地を訪れ、北斗七星を勧進したといわれています。さらに、弘仁6年(815)再度この地を訪れ、自ら如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」の寺号を与えたといわれています。
伽藍を整備したのはもう少しあとになりますが、いずれにしても高野山ができるより早く、この地に弘法大師の足跡があったようです。
建掛塔と金堂 右にいくと、後村上天皇檜尾陵、楠木正成首塚、後で出てくる天正のお地蔵さん群があります。
天皇陵が寺院の中に現存するのは、非常に珍しいことで、正平14年(1359)に、短い期間ではありますが後村上天皇の行在所であったことによります。天皇が生前ここに陵墓を希望されたということでありますが、よほど思い入れが強かったと思われます。
金堂にいたる階段。脇道には霊宝館やもみじの小道があります。
霊宝館は重要文化財だらけで、びっくりします。
写真スポットの山門、この時期混んでいて朝早くでないと撮れません。
真っ赤に彩る小道
観心寺は、足利氏、織田氏、徳川氏にそれぞれ圧迫を受け、最盛期五十余坊あった塔頭も現在わずか二坊になっています。
しかしながら、これだけの貴重な寺院が、焼打ちにも合わず、廃絶せずに現在もここに存在しています。
織田氏などにはことごとく広大な所領を没収されました。圧迫を受けながらも柔軟に、時の権力に対峙して存続した先人の先を読む知恵に感動します。
行くと必ずお詣りするこのお地蔵さん。天正八年(1580)の銘がある、貴重な石仏です。
天正八年は石山の合戦が終わった年。翌年、織田信長により、槇尾山施福寺が焼打ちに遭います。
そのさらに翌年、本能寺の変で信長が自害するという激動の時代の、凛として心安らかなお地蔵さんですね。
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