富田林じないまちのいろいろな風景を見て回りました。今回は「忍び返し」。
敷地内への泥棒・不審者などの侵入を防ぐため、塀に梯子を掛けて乗り越えられそうな所に、あらかじめ侵入するのがイヤになる位の五寸釘やとんがった木の柵を取り付けてあります。これが「忍び返し」。
今回は富田林じないまちのすべての忍び返しをご紹介します。
〈旧杉山家住宅〉南側
市場筋西林町 寛永元年(1644)建設(じないまちでは一番古い) 国の重要文化財 屋号:わた屋 酒造業 代々「杉山長左衛門」
厨子(つし)二階平入り・入母屋/切妻・八棟造り・本瓦葺き・忍び返し・煙出し・駒つなぎ(跡)
2025年1月22日 12:04 旧杉山家住宅の忍び返し。正面・側面・後側、敷地が広いのであちこちの塀に付いています。
先を尖がらせた木の棒に五寸釘の打ち付けたもので、侵入するのがイヤになる構造です。
〈西側〉塀自体かなり高い塀なので、梯子を掛けなければ到底乗り越える事はできませんが、それにさらに「忍び返し」が付いていれば、もう侵入する意欲が失せます。
鬼まで睨みつけるともう万全です。
そんなに古い時代からあったとは思えませんが、富田林の場合は一区画が広いお家(うち)が多く、侵入を防ぐために塀を築き、侵入されるようなところには「忍返し」を取りつけたと思われます。
おそらく「忍び返し」自体は明治以降に作られたのではないでしょうか?
〈北側〉泥棒・不審者が中に侵入するのがイヤになる位の「忍び返し」は、あくまで犯行を事前に防止するためのものですが、万一それでも乗り越えようとする者がいれば、わざと「やわ」に固定してあり、泥棒・不審者が「忍び返し」に手を掛けた途端手前に倒れるようにしてあるようです。
雪の煙出しもきれいです。
〈杉田家住宅〉城之門筋堺町 18世紀後半の建設 屋号:樽屋 生業:油屋 代々「樽屋善兵衛」
厨子(つし)二階平入り・入母屋・本瓦葺き・鍾馗さん・忍び返し・煙出し
〈東側〉煙出しと本瓦葺きの屋根の重厚さと迫力の忍び返し。
〈東側〉杉田家も敷地が広く、四方に忍び返しがあります。
〈東側〉城之門筋に面した忍び返し。建て付けはわざと「やわ」に作ってあって、手前に引っ張ると倒れやすいように固定されていると聞いたことがあります。
たしかに6年前の台風2号の時に、ここの忍び返しは軒並み倒れていました。
〈北側〉「忍び」は返せますが、「猫」には通用しないようです。
〈東側〉塀は乗る越えることができないように3mと高く作ってありますが、その上に1mほどの忍び返しが乗っかっています。
〈北側〉旧杉山家住宅の忍び返しは長い5寸釘が上の方にひとつでしたが、杉田家のは少し短い目のが上下2本付いています。
〈南側〉ところが南側の一番低いところの忍び返しはそれより長い釘が上中下3本ついています。ここは塀が低く侵入しやすいからなのかもしれません。
〈田守家住宅〉城之門筋堺町 18世紀中期(民家では2番目に古い)屋号:黒山屋 生業:木綿問屋
厨子(つし)二階平入り・入母屋・本瓦葺き・鍾馗さん・忍び返し・煙出し
杉田家住宅と城之門筋を挟んで隣り同士の田守家。大きな蔵が3つならんで圧巻です。蔵と蔵の間は少し低いので、忍び返しが設置されています。低いといっても3mはありますが。
坪庭を囲む忍び返し。町の景観にも溶け込んでいます。
結構細かい細工で作られています。
「忍び返し」って、「泥棒除け」って言うよりなんか言いまわしがやわらかでいいですよね。
庭のさざんかと忍び返し
忍び返しは現在も建築用語。いろいろな忍び返しが出回っています。富田林のと同じ構造ですね。
〈南葛原家住宅〉富筋南会所町 安政元年(1854年)建設 屋号:十津川屋 生業:味醂醸造業
厨子(つし)二階平入り・入母屋・桟葺き・三階蔵・忍び返し
〈北側〉南会所町沿い、ここは主屋と三段蔵の間に忍び返しが設置されています。
〈西側〉富筋に面した部分には現在忍び返しはありません。
忍び返しがあるのとないのとでは、建物の重みが違うような気がします。
たくさんの鬼瓦と忍び返し
旧杉山家住宅と同じ、上側に1本だけの忍び返し。富田林の中でも、基本形は同じでも少しずつ釘の大きさや打ち込みの場所が違うようです。
家屋の形が基本形は同じ(厨子二階平入り主屋、四間取り)でも、本瓦葺と桟瓦葺、入母屋と切妻というふうに個々の家屋により少しずつ違うのと同じかと思われます。
〈越井家住宅〉東筋富山町 明治末期に建設 屋号:平尾屋 生業:材木商 代々「平尾屋庄兵衛」
主屋は厨子(つし)二階平入り・入母屋・八棟造り・黒漆喰・桟葺き・忍び返し・米蔵・煉瓦防火壁
*主屋はこの建物の奥にあります。表屋は長屋門が二階建になった感じです。厨子二階も本二階に近い感じ。明治末期の建物です。
一番低い部分、越井家住宅はここだけ忍び返しがあります。
年月を経て、だいぶん痛んできているようです。
〈南奥谷家住宅〉城之門筋北会所町 19世紀後期建設 屋号:岩瀬屋 生業:味醂醸造
厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・忍び返し(一部)・駒つなぎ・袖うだつ
ユニークな忍び返しですね。このタイプは南奥谷家住宅だけです。
〈奥谷家住宅〉城之門筋北会所町 19世紀後期建設 屋号:岩瀬屋 生業:味醂醸造
厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・忍び返し(一部)・駒つなぎ(跡)・袖うだつ
2014年2月14日 7:42 奥谷家住宅にもかつては忍び返しがありました。現在は撤去されています。
〈木口家住宅〉城之門筋東林町 宝暦三年(1753)建設(三番目に古い民家) 屋号:木綿庄 生業:木綿問屋のち瀬戸物商
厨子(つし)二階平入り・入母屋/切妻・本瓦葺き・煙だし・忍び返し・揚げ見世〈ばったん床几(しょうぎ)〉
城之門筋にある木口家住宅。一番低いところに忍び返しが見られます。
うしろの庭とよく溶け込んだ感じです。
木口家住宅の忍び返しは旧杉山家、南葛原家住宅と同じく上一本タイプです。
これも忍び返しなのでしょうか?
最近はこんな短いのも出ているようです。
〈北野家住宅〉西筋堺町 明治30年代建設か? 屋号:新堂屋 生業:木綿問屋
厨子(つし)二階平入り・入母屋/切妻・桟葺き・忍び返し・袖うだつ・駒寄せ・犬矢来
犬矢来、駒寄せ、忍び返し、袖うだつなどいろんな工夫が見られます。犬矢来はトラックが近づき過ぎて庇(ひさし)を痛めるのを防ぐ効果もありそうです。
整然と長い忍び返しがあります。本来防御のためのものですが、木製のため違和感はありませんね。
釘は杉田家、田守家と同じく上下二本のタイプ。
〈たばき橋本家住宅〉 亀ヶ筋筋富山町 19世紀前期 屋号:たばき(煙草木)生業:雑貨商
厨子(つし)二階平入り・入母屋/切妻・本瓦葺き・忍び返し・煙出し
現在も事務用品・贈答品などを商われています。創業天保三年(1832)、まもなく200年を迎えます。じないまちで数少なくなった商店で、しかも雑貨商は非常に珍しいのではないかと思います。
この通りにも昔はたくさんのお店がありました。
庭の塀の低いところに忍び返しがあります。
〈京谷家住宅〉東筋富山町 不明
厨子(つし)二階平入り・入母屋・桟瓦葺き・忍び返し
小さな忍び返しがあります。
秋のもみじがきれいです。
2019年3月10日 9:35 昔ここには大きな梅の木がありましたが、今は見られなくなりました。
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写真撮影:2025年1月15日、20日
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