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富田林と近鉄展2ーきらめきファクトリー2023.7

2023年07月15日 | 鉄道・バス

2023年7月8日 13:09 観光交流施設「きらめきファクトリー」富田林市本町19-8 

近鉄 富田林駅南側出入口すぐ。「富田林と近鉄展」の展示。 

 

紙で作られたとは思えない近鉄の旧車両の鉄道模型の展示。

 

なつかしい近鉄色の旧車両。

昭和38年(1963)までは深緑、それ以降は茜(あかね)色になりました。

 

きらめきファクトリーでは富田林~喜志駅間の一部高架工事(約900m)完成を記念して、7月17日(月・祝)まで「富田林と近鉄展」が行なわれています。

昨年6月の展示に続き、内容を変更して2度目の展示です。

 

7月8日 13時から2階の展示室で中谷啓太氏(前面左)の記念講演「近鉄と鉄道模型作りへの思い」がありました。

 

パワーポイントでケント紙やバルサ材での製作方法や鉄道模型への思いを説明されています。

 

講演の後、作られた鉄道模型(HOゲージ)を走らせていただきました。

 

かつて長野線を走っていたラビットカーのシンボルマークと形式プレート。

 

子供の頃の思い出に残るのはラビットカー。

 

鮮やかなオレンジ色の車体とシンボルマークが印象的でした。

シンボルマークはそのデザインから、かつての近鉄バッファローズのロゴデザインを担当した岡本太郎氏と思われていましたが、そうではないらしく画家で二科会会員の吉原治良がデザインされたということです。(近鉄社内誌「ひかり」12巻4号、1957年11月「鋭新ラビットカー登場!!」に記載)

 

壁には昔の懐かしい写真。

 

手前は昔の富田林駅を模しています。

 

寺内町センターに展示されている「昭和3年 富田林町俯瞰(ふかん)図 作 大工廣治」によれば、鉄道模型の通り、北側に2本の引き込み線があるのが分かります。

〈画面をクリックすると拡大します〉

 

いつまで見ていても飽きない富田林を走っていた電車。

 

ラビットカー 6800系

昭和32年、南大阪線の高加減速の高性能通勤車として新造し、20mの軽量車体に旅客の乗降を配慮した広幅両開きの片側4扉構造で、以降の近鉄および全国の通勤電車の基本となりました。

オレンジ色のあざやかな車体とツーヘッドライト。そして、今までの電車とは違った軽快な走りで、20mロングと両開きの4扉が当時の電車のイメージを一新しました。

 

特急「かもしか」モハニ231形

この電車は伊勢電気鉄道(現近鉄)所属で昭和5年(1930)年に日本車両で製造。昭和35年(1960)、南大阪線に転属。 季節特急「かもしか号」として使用のため、古市工場内の近畿日本工機において改造されました。 オール転換クロスシート化、車内をデコラ張りなど、近代的な車内に生まれ変わりました。

私は乗ったことはありませんが、大阪阿部野橋駅のホームに17m車両の「かもしか」の乗車位置のマークがあったことと河内天美駅の車両車庫に駐車していたのを覚えています。昭和45年(1970)年11月29日引退。

 

デニ形506形 なつかしい藤井寺球場が写っています。昭和12年当時甲子園球場と同じく銀傘がありました。

銀傘は戦時供出でなくなり、戦後復活はしませんでした。

昭和3年、デニ501形電動車35両(No.501~535)が川崎車輌と田中車輌で製造されました。これは当時の社長 富田林町在住の越井醇三(じゅんぞう)氏が近鉄南大阪線の前身の大阪鉄道が吉野鉄道との乗り入れ直通運転用として新造した半鋼製電車です。 当時の形式はデニ501形と称し、片側2扉で、わが国初の20m長の大型車でした。 後に改造され、昭和14年にロングシート化、戦後には3扉化などの改造を行なわれ、昭和49年まで運用されました。その重厚なデザインから「野武士」と呼ばれたそうです。

 

鉄道模型をジオラマ風に写してみました。

 

とてもリアル感があっていいなと思います。

 

長野線以外の旧車両。

 

昔の高架前の川西駅。

 

先代の富田林駅。かつてあった楠は切られています。

 

昭和30年代の富田林駅はこんな風でしたね。

 

昭和30~40年の勇士、オレンジのラビットカー。

高加減速の高性能車は「うさぎ」のようにとんでは跳ね回るイメージで「ラビットカー」と名付けられました。

 

ラビットカーのパンフレット(復刻版)。きらめきファクトリーに展示されています。

 

分解するとモーター部分が見れます。

 

ラビットカーは当時日本一起動加速度・減速度の高い車両でした。しかも当時は重量級の急行、準急の合間を縫ってちまちま走る各停専用の高加減速の高性能車両であったようです。(後に急行、準急のも使用)クーラーの付いていない扇風機がまわるこの車両は懐かしいですね、

関連記事:「富田林と近鉄展」~きらめきファクトリー2022.6 2022.6.16

20220604 近鉄長野線高架運用開始しました 2022.6.13

写真撮影:2021年月7月8日

2023年月7月15日( HN:アブラコウモリH)

 

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