富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

三都神社の宮入り 2018

2018年10月16日 | だんじり・祭り

「山本」のだんじりの彫り物

 

「山本」のだんじりの「獅子噛」

 

三都神社が鎮座する「今熊」のだんじり。

 

「隠(かくれ)」のだんじり 

前梃子なしのやり廻しで三都神社に向かいます。

 

8:37 西高野街道「おわり坂」を下りる「山本」のだんじり。

距離358m、標高差34.3m、平均斜度9度

*「おわり坂」:西高野街道の岩室を経て、上今熊から下今熊への坂道。

語源は諸説ありますが。江戸時代に狭山池の護岸修復工事に携わった土木技術者集団「尾張衆」が住んでいたというのが有力だと思います。

 

「山本」に続き、坂を下りる「隠」のだんじり

 

「隠」の彫り物

 

10:27  三都神社前にて 

 

8:54 「差し上げ」を行なう「山本」のだんじり。 

 

9:11 時間調整 三都神社へ宮入りに向かう遠方の地車 「山伏」・「山本」・「隠」

 

「山伏」の彫り物

 

「山本」の彫り物、「大坂夏の陣」

 

宮入りする道沿いにある今熊の太神宮灯籠

「明和五戊子(つちのえね)年」(1768)と銘記されているようにみえるのですが、ちょうど建之されて250年、太神宮灯籠では明和年間はかなり古いです。

南河内で一番古いのは宝暦十年(1760)ですので、民衆信仰の伊勢灯籠では初期の石灯籠と言えると思います。

*興味がおありの方は、太神宮灯籠をクリックしてください。

出典:「とんだばやし灯籠めぐり」平成30年3月

    富田林市立中央公民館 市民大学講座 『富田林百景+』の仲間たち

太神宮灯籠と「今熊」のだんじり

 

これなんですか?

 

これは宝永四年(1707)の法界塔

形式的には宝篋印塔の部分と思われます。

今から311年前、村の仲間が集落などへ悪いものが入り込まないようにと祈りの込めて造られた結界の役割をするものです。

写真をクリックすると別の角度から見れます。

 

8:43  「おわり坂」交差点で、「山伏」のだんじり

 

10:00 「今熊」のだんじりは大阪狭山市で唯一の前梃子のある岸和田型だんじり

 

8:57 宮入り前 差し上げをしながら、回ります。

 

9:02 「隠」のだんじり

 

宮入りする三都神社

 

急な階段を登りつめると...

 

拝殿

三都神社は天野街道下にあり、かつては天野山金剛寺から紀州熊野へ向かう人々が参詣したことから「熊野神社」とも呼ばれていて、昔は熊野信仰で栄えました。また、西高野街道・中高野街道とも近く、高野山や紀州に行く人々の往来もあったようです。

詳しい創建時期は分かっていませんが、7世紀頃に創建されたと言われています。16世紀に兵火で社殿を焼失しますが、金蔵寺内に再興されました。その後、明治時代の神仏分離では神社が残り、金蔵寺がなくなります。

今熊という地名は、熊野三山(熊野三所権現)を勧請した今の三都神社を、今熊野と呼んだのが、そのまま地名になったものと思われます。

 

階段途中にある手水盥

「(熊野)三所大権現」と「毘沙門天王」の記銘

 

盃状穴が見られます。

 

そういえば、階段の両側にも盃状穴。

 

盃状穴とは泉州や河内地方などの 神社仏閣の水盆や石燈籠などに、それが造られた以降に不規則に写真のような穴が開けられたもの。安産や授かりものを祈願しての江戸期の民衆信仰によるものと思われます。

盃状穴に興味のおありの方は写真をクリックしてください。

 

 

境内にあるこの一石五輪塔は、大阪狭山市では年号のわかるものでは一番古く、天文十八年(1549)と彫られています。

 

天文十八年と彫られているのが解ります。

 

神社下に勢ぞろい、左より「山本」「山伏」「隠」のだんじり

 

宮入り後はこども天国になっています。

 

「山伏」の獅子噛

2018年10月16日 HN:アブラコウモリH 

 


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