アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

愛他的行動は素晴らしいが自分を犠牲にしないで

2010年03月01日 | Weblog
 人間が生得的にもっているが社会生活をしているうちに徐々に薄れていく形質は、たくさんあると思います。中でも、「愛他性」…これが目立って薄れている。

 「愛他性」…一般的には馴染みが薄い言葉。簡単に言うと、「(窮地に陥っている人を)助ける本能」です。もちろん助けるにあたって、報酬を期待することはない。それどころか、助けようとする自分自身がどうなるか分からないのに、助けるという行動に出る。

 もう10年経ってしまいましたが…愛他的行動の典型的な例として…
 山手線新大久保駅で、泥酔した男性がプラットホームから線路へ転落した。その男性を救助しようと、日本人カメラマンと韓国人留学生の男性が線路へ飛び降りた。折から進入してきた電車にはねられ、3人とも死亡した。
 話が逸れるが、その時のJR東日本にはあきれました。通常、鉄道会社では事故を起こした人に対し、損害賠償を請求する。JR東日本は、この事故では最初に転落した人の遺族のみならず、救出しようとした2人の遺族にも請求しようとしたのです。世論の非難をあびて、結局、最初の転落者の遺族にのみ請求しましたが。
 人命救助のために、自らの命を投げ出した…。事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレートが、新大久保駅に設置されています。

 閑話休題。昨年末には、JR中央線大曽根駅(名古屋市東区)で、酒に酔った男性会社員がホームから転落。直後に電車が入ってきたが、別の男性会社員がとっさに線路に飛び降り、男性をホーム側に引き寄せ救助した。

 そして、この度(2月15日)は…JR中央線高円寺駅(東京都杉並区)のホームから女性が転落。居合わせたが男性が線路に飛び降り、間一髪で女性を避難させた。男性は、「とにかく助けなきゃと、体がとっさに動いた。見て見ぬふりはできなかった」と。その状況では、「自分が死んだらどうしよう」などと考えない。本能のままに、線路へ飛び降りた。
愛他性…しっかり持っている人がおられることが分かり、嬉しいような、安心したような。

 愛他性、愛他的行動がなぜ薄れてきているか?これは、日本の社会が、「他人に関わらない社会」になってきているからです。
 話しかけたり、注意したりするのも怖い。特に若者へは危ない。「話しかけんな!」「カンケイネエダロー!」「ウザッテェおやじだなコラ!」…注意して、臭いツバをかけられた人もおります。もう、他人とは関わらないのが一番。触らぬ神に祟りなし状態。
 子供に声をかけようものなら、「キャー!」と叫んで逃げ出すケースも。不審者に注意の指導が行き届いている。
 我が家の前を通る人に挨拶しても、にらみつけられることの方が多い。挨拶も出来ない世の中に…田舎でもこの状態ですから、都市部はさらなりでしょう。
 
 高円寺駅と同じ状況が起こり、あたりに自分しかいない…ホームから飛び降りて救助活動をするか否か?「1人しかいない状況なら、100%助けようとする。これが、人数が増えるにしたがって救助行動をする率は減っていく」こういう研究がある。…正しいと思います。
 社会生活の中で薄れてくるとはいえ、人間は愛他性を持って生まれてくる。願わくば、自分が犠牲にならない範囲で愛他的行動をしていただきたい。助けようとした人が犠牲になるのはあまりにも悲しいですから。え?私ですか?たぶん…。