バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

潮沢探訪3:矢越

2020-08-24 22:25:32 | 山村探訪
名九鬼から国道に戻り沢の反対斜面に位置する矢越集落へ
潮沢の民話によると
坂上田村麻呂が矢本という所で放った矢が越していった所だそうだ

地形的にここは潮沢の最深部でここから西条への山越えが始まる
矢を谷と考えれば谷を越える所
矢本は谷の入り口
矢下は谷の下方ということになるのだろうか?

でもやっぱし坂上田村麻呂の弓矢に由来する地名としておきましょう(^^)

数件の家はほとんどが無人だと思ったが
家の隣の明るい南斜面には獣除けの網で囲まれた畑が作られ
消火用ホースの収納箱もきれいに塗り直されていたのは
まだここに人の暮らしがあることを物語っていた

帰路久々に潮沢信号所跡へ寄ってみた
昭和47年に潮沢地区の住民30人が善光寺、戸隠のお参りに行くにあたって
信号所長に懇願してこの信号所から特別に乗降させてもらったそうだ
歴史に残るたった1日の駅ということだ
まだまだのんびりした時代だったんだなぁ
                   
                    


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潮沢探訪2:名九鬼

2020-08-23 21:06:42 | 山村探訪
名九鬼・・・以前から面白い地名が気になっていたところだ
全国には鬼の付く地名が結構ある
長野県でも鬼無里とか青鬼集落・・・
岩手県には鬼死骸村なんてのがあって今でも神社やバス停にその名が残ってるということだ

調べてみると災害とか疫病と関係していると出てくるが
いずれにしても鬼イコール災いという意味合いが強い
災いが無いようにと鬼無里村
鬼が怒ったように暴れる鬼怒川・・・
名九鬼・・・無九鬼
九はたくさんを表すのだろうか?
やはり自然災害や疫病など多くの災いが無いようにかな?
ちなみに中国では九は縁起のよい数字みたいだ
まぁ、この鬼が付く地名から坂上田村麻呂伝説をくっ付けたのだろう
ネット検索してみるとここに住み着いた者は平家と関連があるらしく
降旗姓に改姓して繁栄したようだ
松本出身の映画監督降旗康男氏もここと関係あったのだろうか?
高倉健の「駅STATION」は好きな映画の1本だった

10件ほどある家はすべて無人だ
中には最近まで住んでいた形跡のある家もある
また蔵の周りの草刈がなされている家もあり移住した家人が時々訪れて手入れをしているのだろう

安曇野市の有形文化財となっている地蔵堂前には結構立派な墓地があった
これを見るとやはり平家と縁のある者が先祖だったのかも知れない
また地蔵堂の脇には旧潮沢学校名九鬼支校跡という朽ちかけた標柱が立てかけてあった
かつてはここから子供たちの元気な声が聞こえてきていたのだろう

村の神社も守る者も無く放置されたまま荒れ放題になっていて
この地にはもう鬼も住めないようだ
                    
                    

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潮沢探訪1:柏尾

2020-08-23 18:00:52 | 山村探訪
明科から国道403号線に入った狭隘な谷沿いの潮沢地区
地図を見ると国道沿いの山中にはいくつかの小集落が点在する
このうち柏尾、名九鬼、矢越には坂上田村麻呂の鬼退治伝説が残るということで探訪してみた

篠ノ井線潮沢信号所跡から山中に入ってしばらくして現れた大日堂
敷地内には紙衣を着た藁人形が並べられていた
これは毎年3月のお彼岸の中日に行われる疫病退散の祈願だそうだ
紙衣にはコロナ退散の文字が書かれていた

柏尾鬼首大明神には坂上田村麻呂が成敗した鬼の頭と尾を埋葬したとある
社脇の建物は神楽殿のようなものだったろうか?
壊れて埃まみれの山車が置かれ中には古い発動機が放置してあった
この山車はこの上の養蚕の護神大天白のお祭りに使われたものと思われる
祭りを担う若者がもうだいぶ前からいなくなってしまったことを物語っていた

この地区の戸数はざっと見たところ10戸くらいか
その中で半分くらいは空き家かなぁ?
                           
                           
                           
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大鹿村走道記3

2018-06-15 07:04:31 | 山村探訪
中央構造線博物館はその成り立ちから
構成されている岩石の展示まで興味深い

ビデオコーナーで見た天竜川水系の36災害の映像が悲惨だった
地震も怖いけど水害も怖い

その時に屏風が倒れるように崩れ落ちて30数名が犠牲になったという
山肌の爪痕が生々しい

災害の少し前に竣工した小渋橋は水害に耐え今も美しい景観を見せている

             
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大鹿村走道記2

2018-06-12 07:08:30 | 山村探訪
大鹿村と言えば農村歌舞伎
食堂目指して走っていたらこんな舞台に出くわした

かつては村内に13ヶ所あったというが
現在はここを含め4か所に上演可能な舞台が保存されているということだ

もう一度故原田芳雄の「大鹿村騒動記」を観てみたくなった

しかし周りにはほとんど人家がない・・・ 

       
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大鹿村走道記1

2018-06-10 22:41:40 | 山村探訪
「青いけし」?
大鹿村に入ると所々にある案内板に興味をそそられ
対向車とのすれ違いもままならない狭い山道をどんどん奥に進んでいく
不安になったころ忽然と人家が現れほっとするが
目的地まであと5キロの表示

おいおい大丈夫かなと思い始めたちょうどその時
何台かの車が駐車して人が歩いているのが見えた

どうやらここは切り花を生産している農場だが
たまたま珍しい青いけしの花が新聞で紹介されたらしく
それを見に来る人が結構いるという話を農園の方から伺った
おかげでけしの花を切ることができなくなったが
その代わり入園料を500円いただくようになったということだ

それにしてもずいぶん山奥だ
けしの花を鹿は食べないのだろうか?

             
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晩秋の山村

2017-11-23 22:43:14 | 山村探訪
通りすがりの晩秋の山村風景
何気にいいな
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覚音寺

2017-09-20 13:28:28 | 山村探訪
県道55号線を大町に向かっていると
沿道に「国の重要文化財指定」の標柱が視野にチラリ
行ってみよう

簡易舗装はされているものの小石や枯葉の散在する細道を下るのは心許ないが
ところどこに設置されてる比較的新しいガードレールに安堵する

カーナビの矢印が寺に近づいていることを確認しながら坂を下ると
やっと目的地だ

この山中の寺は平安時代の創建でかつてはそれなりの規模を擁していたようだ
住職も住んでるらしく寺の横には住居もある
重文の観音像など見たかったが留守のようなので
格子戸の隙間から垣間見る
よく手入れされた堂内に厳かに佇む木像に目を凝らし
手を合わせから来た道を引き返す

帰り道は意外に短く感じるものだ
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八坂の学校

2017-09-17 22:32:45 | 山村探訪
かつてシルクロードの曲で知られた喜多朗さんが一時期住んでいたことで知られた八坂村
今は大町市八坂となっている
村の様相はその名の通りほとんど坂また坂の山村だ

ここの中学校はえっ!と思うような山中にある
本通りから車一台がやっとの細い道路をしばらく下って行き
心細くなる頃にやっと現れる校舎にほっとする
グーグルマップによるとこの先には数軒の集落があるだけで行き止まりになってしまう

学校に必要なグランドを造る平地がここくらいしかなかったのだろうか?
おそらく徒歩で通学できるのは周辺の数軒だけだろう
気になって生徒数を調べてみたら35名とあった・・・
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左右

2017-08-15 22:42:25 | 山村探訪
信州新町の中にぽっかりと等高線の緩やかなスポットがある
その中にあるのが左右と書いて<そう>という集落だ

何年か前に自転車でここを経由して大町に抜けたことがある
沿道の標識には勾配12%とあるが
そんなにきつかった記憶はない
でも、今走ったら苦しい思い出が残るんだろうなぁ

20戸ばかりの集落にはやはり空き家が目立つ
でも中にはこの地に不似合いなほど大きな家もあり
子供の遊ぶ声も聞こえてくる
夏休みで祖母の家にでも来ているのだろうか?

荒れ果てた観音堂が集落の行く末を暗示しているようだった

             
          
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