バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

瑞巌寺洞窟遺跡群

2019-06-27 10:18:57 | 
松島の古刹瑞巌寺
以前こちらに来た時には時間がなくて寄れなくとても心残りだったので
今回ゆっくりと訪れてみた

国宝の本堂や襖絵も見事だが
面白かったのは境内にある洞窟遺跡群だ
供養のために岩肌を穿って石仏や石碑、五輪塔などが彫られていて
主に江戸時代に造られたものだという

ブラタモリ風見地からすると
凝灰岩という加工しやすい岩質だったからこそ彫られたのだろう

黒変した洞窟内岩壁はロウソクや線香の煤によるものだろう
厚い信仰心の証だ
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北国街道:上山田温泉

2019-06-19 16:20:15 | 街道をゆく
今回の走り止めは上山田温泉
相変わらず飲み屋の数は多そうだが
夜は未だに賑わっているのだろうか?

20数年前のバブル景気が終息した頃に大学の同窓会で来たが
その頃はまだまだ街は元気だったなぁ
もちろん自分も

温泉街の食堂に張り出されたおしぼり蕎麦のメニューが気になるが
朝食はかき揚げ蕎麦だった
ローソンでいいや

帰り道は貸し切り状態の千曲川沿いのサイクリングロード

くそっ、向かい風だ!!

                  
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北国街道:坂木宿

2019-06-17 23:05:24 | 街道をゆく
坂城町といえばテクノタウンのイメージがあるが
旧北国街道沿いはのんびりしたものだ

それでも鉄の博物館なんてのがあるところがやはり物造りの町だ
ちょいと寄ってみると
日本刀の匠たちという企画展をやっていた
現代刀工の刀剣がずらりと展示してあったが
同じようなものでちょいと感激が薄い
常設展の坂城の工場で作られた工業製品の方が面白い

木造3階建ての旧家を利用したふるさと歴史館には
武田信玄を2度にわたり退けた村上義清関連資料が数多く展示してあった

歴史館の向いの公民館から焼肉のうまそうな匂いが漂ってきた
何かのイベントの一環だろう

時計を見るともう昼近い時間だ

         
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北国街道:つるべ小路

2019-06-14 23:20:23 | 街道をゆく
鼠宿から少し国道18号を走る
車が多くていやだが程なく旧道に入ることができた
金井という地名だ

通り沿いに今は使われていない井戸と釣瓶が目に入る
ざっと4箇所はあった

地図を見るとここは谷川の扇状地だ
伏流水の水脈が通り沿いにあるのだろう

家を新築しても井戸を残してあるところを見ると
いざとなればまだ使えるのだろうか?

古井戸の傍らには「つるべ小路」の標柱が立っていた

         


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北国街道:鼠宿

2019-06-12 22:43:00 | 街道をゆく
鼠宿・・・面白い名前だ
上田宿と坂木宿の間の宿として松代藩が設けた私宿で
口留め番所を設けて人や物の出入を取り締まった
と案内板にある

安曇野にも鼠穴という地名があるが
鼠は不寝見にも通じ見張りの意味合いもあるようだ
千曲川を挟んでせり出した岩山による狭隘な地形は
まさに適所だろう

国道から用水路を挟んで切り離されたこじんまりした家並みは
道端には今が盛りのバラが綺麗に植えられなかなか良い佇まいだった
宿場の面影はほとんどなく
かろうじて1件の新しい住宅の入り口に残された冠木門が歴史を物語っていた

宿場の端にある曾地早雄(おおじはやお)神社には江戸時代に建てられた万葉歌碑がある
文字は読み取れなかったがあとで調べてみると
「ちはやふる 神の御坂に 幣(ぬさ)奉り斎(いは)ふ命は 母父(おもちち)がため」
神坂峠を越えるときに幣を捧げてわが命の無事を祈るのは母父のためだ
この地の出身の防人の歌だ
神社入り口の小さな石造りの太鼓橋がなかなかよろしい

少し先の信号機に「ねずみ」と書いてあるのも面白い
いつの間にか雨も上がっている


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北国街道:蚕種の里

2019-06-10 23:30:46 | 街道をゆく
上田にも塩尻の地名がある
日本海側から来る塩と太平洋側から来る塩の終点が塩尻の名前の由来だろうが
どう見てもここは太平洋側からは遠すぎる

まぁ、それはともかくここの景観はとても素晴らしい

この地区は蚕の卵である蚕種を生業としていたということで
大きな歴史ある建物
土壁の土蔵や塀
増水から家を守るために川沿いに延びる漆喰の塀
まさに伝統的建造物保存地区にでもしたいくらいだ

大きな建物はその分維持が大変だが
いつまでも残して欲しい風景だ
         
         
         
         
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北国街道:道しるべ

2019-06-09 21:46:49 | 街道をゆく
秋和集落を過ぎるあたり
街道脇の草むらに佇む地蔵さん
その近くに道しるべの案内板があった

土手に付けられた階段を少し上ってみると古い道標だ
右は北国往還、左はさくば道(農道)とある
ここが元々の旧道かな?
すぐ近くに新幹線の高架橋があるので
地形は変わっているのだろう

一里塚もここにあったそうな
        
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北国街道:耕助と清兵衛

2019-06-09 18:56:41 | 街道をゆく
今回は北国街道を上田宿からスタート

宿場の雰囲気が残る柳町は観光スポットで
土産物屋や飲食店もあり旅番組では必ず出てくるところだ
観光化して収入を得るということは建物や景観の維持としては必要だろう

「犬神家の一族」のリメイク版で石坂浩二がここを下駄履きで走っていた
石畳舗装だったので撮影時には砂を撒いたという

外堀の矢出沢川が直角に曲がるところには城のような石垣がある
これは明治になって城を買い取った富豪がここに石垣を移築したと言う
「たそがれ清兵衛」の決闘シーンはここで撮影された
今は石垣も川原も雑草に覆われその時の雰囲気はない

小雨が降ってきたがとりあえずカッパを着て先に進もう

        
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約150キロ

2019-06-03 10:07:44 | 街道をゆく
帰りの電車の時間も気になり
野田尻宿、大椚宿、鶴川宿と流し上野原宿へ

上野原の街は中心部を国道20号線が貫いているので
車の交通量が多くて騒々しい
ゆっくり探訪する時間も無く
段丘を2キロほど下って上野原駅へ向かい輪行支度

これで甲州街道は下諏訪から上野原宿まで走破
大体150キロくらいだろう

今回のルートは比較的旧街道の面影が残っていて
結構楽しめたルートであった

                 
                 


                 ルートラボ
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