バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

犬目宿は猫町

2019-05-31 17:07:12 | 街道をゆく
犬目宿
その存在を知ったのはだいぶ前に読んだつげ義春の「猫町紀行」で
友人とのドライブで犬目宿を目指したが二度とも行き着けなかったことを
萩原朔太郎の「猫町」に重ねて書いたエッセイだ
名前のユニークさにも想像を掻き立てられいつかは訪れたいと思っていた所だ

昭和45年の大火で多くの家が消失してしまったので
古い宿場的建物はほとんどないけれど
大火の後拡幅したのか火除けを兼ねた広い通り沿いに立ち並ぶ家々の風景は
宿場であったことの雰囲気を十分に醸し出している

つげ義春の「猫町紀行」からちょっと引用してみよう
道に迷いつつも十字路を横切るときに左右の通りに垣間見た一瞬の風景を描写した箇所だ

「ちょうど陽の落ちる間際であった。
あたりは薄紫色に包まれ、街灯がぽーっと白くともっていた。
いくらか湿り気をおびた路は清潔に掃除され、日中の陽射しのぬくもりが残っているように感じられた。
夕餉前のひと時といった風ののどかさで、子どもや老人が路に出て遊んでいた。
浴衣姿で縄跳びをする女の子、大人用の自転車で自慢そうに円をかいてみせる腕白小僧、
石けりをする女の子のズボンには大きなつぎが当たったいる。
私は近ごろ、あの母の温かさが縫いこまれたつぎの当たった衣服を見たことがない。
縁台でくつろぐ老人。
それは下町の路地裏のような賑やかさであった。」

友人に気兼ねしてそのまま車で通り過ぎてしまったのでここが犬目宿だと確証はできなかったということだ
その後再訪した時も複雑な地形ゆえたどり着けなかったばかりか
大火で焼失したという話を聞いて

「やっぱり猫町だな。
いつかちらりと垣間見せてくれただけで、もう二度お目にかかれないとは・・・」
とつぶやいている

                
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恋は肥か?

2019-05-31 07:55:58 | 街道をゆく
下鳥沢宿で国道20号線から別れ大月上野原線へと入ると
車の交通量は僅少でありがたいがここからしばらくは上りだ

5月だというのに猛暑日
しかも一番暑い時間帯の上りだ
少し走るとみるみる体温が上がっていくのがわかる
日陰を見つけてはクールダウンしながら水分と塩分補給
ボトルの水は温水になっている

大月カントリークラブ入り口の山谷集落に来ると
ようやく等高線と平行になる
途中旧道の石畳の案内板が
10数メートルくらいの枯葉に埋もれた石畳を登りきると民家の庭先に出た
恋塚だ

恋なんて付くとロマンチックな響きを持つが
ここには馬宿があったそうなので馬糞を堆肥用に積み上げた
肥塚が転訛したものだろうか?

        
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猿橋から水路橋を眺める

2019-05-29 11:27:29 | 街道をゆく
気温もぐんぐん上昇してきたので昼飯は冷たいものを食いたい
大月の駅前でぶっかけうどんとノンアルビールで腹ごしらえをして猿橋に向かう

猿橋を訪れるのは2度目なので感激はちょっと薄い

橋の説明書きに日本三奇橋とあったがあとの二つはどこだろう?
山口県の錦帯橋・・・これは納得
富山県黒部川の旧愛本橋・・・これは知らなかったなぁ
画像を検索してみると猿橋と同じ刎橋(はねばし)でなかなかすごいものだった
復元の話もあるようなのでそうなったらぜひ見てみたいものだ

猿橋もいいけれど
少し下流にかかっている水路橋がとても良い感じだ
明治45年に発電所用に造られた鉄筋コンクリートアーチ橋で
国登録有形文化財だそうだ



                
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街道沿いの珍石仏

2019-05-28 13:45:36 | 街道をゆく
樹齢1000年を超すといわれるとても立派な矢立の杉を見てから一気に下降する
途中旧道の案内板が目に留まり矢立の杉まで散策路になってるとのことだ
しまった!
杉の横の道を下ればよかったのか
今更上り返す気もしないので舗装路をそのまま国道20号に合流
これからしばらくは路肩が狭く車の多い酷道走行だ

危なくて路面状況から目が離せないが
それでも時々面白いものが視野に入る

黒野田宿の路傍に鎮座する笠懸地蔵
何を願ってか安政のころに作られたそうだ

白野宿手前の国道から切り離された旧道沿いの稲村神社で休憩
境内をうろうろしてみると陰陽石の合体道祖神だそうだ
まさにチン石仏だ
                 
 
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笹子峠で虫攻撃

2019-05-27 22:09:00 | 街道をゆく
あんまり時間を気にしないので旧道をどのくらい歩いたのだろう?
小一時間はかかったと思うがもっと短かったもしれない
甘酒茶屋跡の標柱で車道に合流する
しばし休んでいると
上から何台ものロードレーサーが切れ切れに下ってくる

車道に出てからは程なく笹子峠の国登録文化財に指定されている隧道にたどり着く

トンネル直下には旧道の登り口があるので当然こちらを進む
雰囲気の残る感じの良い道だがやたら虫が多い
押し歩きなので顔の周りを何十匹もブンブン飛び回る
刺された形跡が無かったのは汗のミネラルが欲しい虫なのだろうか?

南米で土産物用の蝶を捕獲するときに岩の上にオシッコをまいておいて
そこに寄ってきたのを一網打尽にするのをいつかテレビで見たことがある
小便トラップだ
これも目的はミネラルなのだろうか?
それともホルモン?

そんな訳で笹子峠で江戸時代の旅人の心情に浸る間もなく反対側へ早々に退散

隧道脇の駐車スペースにワゴン車が止まっており椅子、テーブルがセットされていて
サイクルジャージを着た人がくつろいでいる
近くに立てられた旗のデザインは
おっ、どこかで見たぞ
ああ、PEAKSだ
カリフォルニアだかどこかで発祥した坂バカ…いや、坂好きな人達の山岳ロングライドレースで
記念すべき第1回目はワタシの地元美ヶ原高原周辺だったので知っていたのだ
どおりで多くのローディーが走っていたわけだ
スタッフの方に聞いてみると
7回目の今回は地獄のコースで走行距離190キロ、獲得標高6,000メートルだそうだ
ご苦労様です
         


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笹子峠丸太橋の恐怖その2

2019-05-27 10:08:20 | 街道をゆく
ひと気の無い山道は何となく心細いものだ
時折聞こえてくるカッコーの鳴き声に気を紛らわせながら進む

峠歩きを楽しむ人も結構いるのだろう
一部手すりや階段が設けられている所がある
安全性もいいけど旧道の雰囲気にはそぐわないなぁ
などと思いながらしばらく進みカーブを曲がると突然
オット!!

何じゃ、こりゃ!
全然安全確保してないじゃん!

丸太橋の一部が朽ちかけてぶよぶよしている
そしてこわごわ足で揺すると不気味にたわむのだ
まぁ、落ちてもせいぜい3メートルくらいなもんだから死にはしないだろうけど
打ち所が悪くて大腿骨骨折したり脊椎損傷するのも御免だ
自転車のタイヤを丸太の溝に沿わせ這う這うの体で対岸へ

思わず
雰囲気より安全性を確保してくれ~(^^;


                     
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笹子峠丸太橋の恐怖その1

2019-05-26 22:49:49 | 街道をゆく
甲斐大和駅は以前大菩薩峠を越えた時にも降り立った思いで深い駅だ
そんな数年前の記憶に思いを馳せながら自転車を組み立て
今日は反対方向の笹子峠へと向かう
駅からわずかに下ると峠の入り口だ

少し上った所に佇む駒飼宿で既にローディー二人とミニベロに抜かされる
信州の山岳コースに慣れてる身には大した勾配ではないけれど
のんびり走りたいのだよ
と嘘ぶく

今日の甲州地方は猛暑日の予報だけれど
時間も早いし木立の中なので心地よい

しばらく単調な舗装路をくねくね上っていると
旧道の標識が目に入る
当然押し担ぎだろうけどここは行くべきだろう
ちょうどお尻に違和感を感じていたことも加勢した
駅のトイレでウ○チしたのだが
そのとき供え付けの安い固めのトイレットペーパーで擦り過ぎたのだ
ウォシュレットで甘やかされている黄門様はどうも軟弱になっているらしい

旧道は一部を除いて街道と言うよりほとんどが普通の山道感が否めない
部分的に残っていた旧道を適当に繋げたのかもしれない
そんな山道を押し担ぎで上っていく・・・と
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村の食堂

2019-05-06 21:22:04 | 昭和食堂
信州最南端の根羽村
ここは長野県とはいえ完全に中京文化圏
昭和レトロな村の食堂には中日新聞
メニューにはきしめんも
でも味噌煮込みうどんは無かったな
あまり腰のない柔らかめの手打ちうどんは関西風か?

しかしここから県庁所在地の長野市へ行くのは大変なことだ
        
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信玄終焉の地を訪ねて:その2

2019-05-02 06:20:57 | 歴史探訪
根羽村の信玄塚から国道153号線を北上すること20キロ余り
阿智村駒場に長岳寺という寺がある

信玄は甲斐への帰路このあたりの山中で亡くなり
遺骸がこの寺に運び込まれ火葬されたということだ

この寺は1000年以上の歴史があり
かつてはかなり広い寺社領を持っていたが
諸々の事情により3回の移転を経て現在地に50年ほど前に移築されたそうだ

少し離れた裏山にある信玄が荼毘に付されたと言う火葬塚から出た灰を
昭和の時代に建立した十三重塔に移したということだ

寺には信玄の遺品とされる「兜の前立て」と兜の中に入れられていた小さな仏様が展示されており
これを見ていると本当にここが信玄終焉の地と思えてくる

息を引き取ったのが根羽村の地で
火葬されたのが近隣で比較的規模の大きかった長岳寺なのだろうか?
映画「影武者」では骸を諏訪湖に沈めていたがそれは確実に無いだろう
         
         

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