バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

信級村のかたつむり

2020-08-26 23:00:17 | 昭和食堂
旧信級小学校の動画を取りに信州新町の信級へ

ちょうどお昼
人口140人の山村集落にある食堂「かたつむり」
土壁造りの精米所を改造したなかなか趣ある店だ
地元産の野菜を使ったヘルシーなおかずに夏マツタケの炊き込みご飯のお昼をいただく
食後は玄米の信級コーヒーをいただく
香ばしく濃い麦茶に似た味わいだ

地元のお馴染みさんと元気なママさんが世間話
何だか山の上の方で煙が立ち上っている
どうやら火事らしいということで消防署に連絡したみたい
そのうちにけたたましいサイレンの音が静かな山村に鳴り響き何台もの消防車が駆けつけてきた
一番山奥の空き家で
どうやら掃除に来ていた所有者の焚火が燃え移ったらしいとのことだ

旧信級小学校を訪れたのは3年ぶりくらいだろうか?
やはり老朽化は進んでいるようでいずれは取り壊されるのだろ
しかし村の子供たちはここまで歩いて通学していたのだろうか?
結構山の上なのだ
                   
                   
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潮沢探訪3:矢越

2020-08-24 22:25:32 | 山村探訪
名九鬼から国道に戻り沢の反対斜面に位置する矢越集落へ
潮沢の民話によると
坂上田村麻呂が矢本という所で放った矢が越していった所だそうだ

地形的にここは潮沢の最深部でここから西条への山越えが始まる
矢を谷と考えれば谷を越える所
矢本は谷の入り口
矢下は谷の下方ということになるのだろうか?

でもやっぱし坂上田村麻呂の弓矢に由来する地名としておきましょう(^^)

数件の家はほとんどが無人だと思ったが
家の隣の明るい南斜面には獣除けの網で囲まれた畑が作られ
消火用ホースの収納箱もきれいに塗り直されていたのは
まだここに人の暮らしがあることを物語っていた

帰路久々に潮沢信号所跡へ寄ってみた
昭和47年に潮沢地区の住民30人が善光寺、戸隠のお参りに行くにあたって
信号所長に懇願してこの信号所から特別に乗降させてもらったそうだ
歴史に残るたった1日の駅ということだ
まだまだのんびりした時代だったんだなぁ
                   
                    


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潮沢探訪2:名九鬼

2020-08-23 21:06:42 | 山村探訪
名九鬼・・・以前から面白い地名が気になっていたところだ
全国には鬼の付く地名が結構ある
長野県でも鬼無里とか青鬼集落・・・
岩手県には鬼死骸村なんてのがあって今でも神社やバス停にその名が残ってるということだ

調べてみると災害とか疫病と関係していると出てくるが
いずれにしても鬼イコール災いという意味合いが強い
災いが無いようにと鬼無里村
鬼が怒ったように暴れる鬼怒川・・・
名九鬼・・・無九鬼
九はたくさんを表すのだろうか?
やはり自然災害や疫病など多くの災いが無いようにかな?
ちなみに中国では九は縁起のよい数字みたいだ
まぁ、この鬼が付く地名から坂上田村麻呂伝説をくっ付けたのだろう
ネット検索してみるとここに住み着いた者は平家と関連があるらしく
降旗姓に改姓して繁栄したようだ
松本出身の映画監督降旗康男氏もここと関係あったのだろうか?
高倉健の「駅STATION」は好きな映画の1本だった

10件ほどある家はすべて無人だ
中には最近まで住んでいた形跡のある家もある
また蔵の周りの草刈がなされている家もあり移住した家人が時々訪れて手入れをしているのだろう

安曇野市の有形文化財となっている地蔵堂前には結構立派な墓地があった
これを見るとやはり平家と縁のある者が先祖だったのかも知れない
また地蔵堂の脇には旧潮沢学校名九鬼支校跡という朽ちかけた標柱が立てかけてあった
かつてはここから子供たちの元気な声が聞こえてきていたのだろう

村の神社も守る者も無く放置されたまま荒れ放題になっていて
この地にはもう鬼も住めないようだ
                    
                    

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潮沢探訪1:柏尾

2020-08-23 18:00:52 | 山村探訪
明科から国道403号線に入った狭隘な谷沿いの潮沢地区
地図を見ると国道沿いの山中にはいくつかの小集落が点在する
このうち柏尾、名九鬼、矢越には坂上田村麻呂の鬼退治伝説が残るということで探訪してみた

篠ノ井線潮沢信号所跡から山中に入ってしばらくして現れた大日堂
敷地内には紙衣を着た藁人形が並べられていた
これは毎年3月のお彼岸の中日に行われる疫病退散の祈願だそうだ
紙衣にはコロナ退散の文字が書かれていた

柏尾鬼首大明神には坂上田村麻呂が成敗した鬼の頭と尾を埋葬したとある
社脇の建物は神楽殿のようなものだったろうか?
壊れて埃まみれの山車が置かれ中には古い発動機が放置してあった
この山車はこの上の養蚕の護神大天白のお祭りに使われたものと思われる
祭りを担う若者がもうだいぶ前からいなくなってしまったことを物語っていた

この地区の戸数はざっと見たところ10戸くらいか
その中で半分くらいは空き家かなぁ?
                           
                           
                           
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茶臼山

2020-08-16 08:39:43 | 低山徘徊
三城から目指すは茶臼山
約2キロ沢沿いの樹林帯の中を行くと広小場だ
ここから百曲がりと茶臼山へのルートが分かれるが
手持ちの平成2年修正測量の国土地理院の地図には載ってない

この前の豪雨で登山道の一部が流失していたが
テープやペンキでルートはしっかり確保されているので問題ない
登山道脇の笹や草は刈られ整備されていて歩きやすい
日当たりの悪い北斜面は苔むして暗い雰囲気だが涼しいのは幸いだ
ゆっくり登って2時間弱で頂上だ

霞んではいたが目の前に広がる富士山、蓼科山、浅間山、八ヶ岳、南アルプス
先日登った鷲ヶ峰などを眺めながらおにぎりをほお張る

下山は百曲がり目指して塩くれ場方面へ
眺めは良いし谷から吹き上がる涼風も心地よい道だ
下界は気温38度ということだがここは24度くらいだろう

百曲がりは小学校の集団登山で登ったルート
段差も無く歩きやすいが結構急ではあった
                   
                   
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鷲ヶ峰

2020-08-14 09:28:56 | 低山徘徊
八島湿原1周後は鷲ヶ峰だ

上り口は湿原入り口で
最初は笹薮が邪魔くさい感じだがすぐに気持ち良い登山道に変わる
稜線上に出ると高い木も無く眺望が楽しめる
軽いアップダウンを繰り返すが歩きやすい
かなりのんびり登っても1時間もかからないで頂上だ

頂上からは360度の眺めが楽しめるが生憎の薄曇で
遠くに諏訪湖が霞んでた

八島湿原と抱き合わせでお昼をのんびり食べても3時間もかからないコース
ただ駐車場のキャパが少ないので入るのに40分くらいかかってしまった
                            
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戸隠神社信仰遺跡

2020-08-13 17:11:38 | 歴史探訪
小川神社の近くに戸隠神社信仰遺跡の案内板
遺跡という文字に惹かれて行ってみることに

ぽつんと一軒家に行くような山道を上っていくと
路肩が崩れ鉄板と三角コーンで応急処置してある場所が・・・
FITの車幅ギリギリだ
バックもできないので恐る恐る渡る
おまけに周囲はスギ林になって薄暗くなってくる

びくびくしながら2キロくらい登ったろうか?
やっと奥の院の案内板
社はここから200メートルというが下で見た熊出没注意の看板にビビって行くのは中止
昨日上高地の小梨平でテントが熊に襲われたニュースを聞いたばかりだ
夏のこの時期は食べ物が少ないという
早々に退散

何でも上杉vs.武田の騒乱に巻き込まれ絶えず危機にさらされていたので
衆徒らは縁のあったこの地に避難し戸隠神社に模した三院を作り約30年間ここで過ごしたという
                   
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小川神社

2020-08-12 11:45:07 | ブラリング
県道36号線通称オリンピック道路を走っていると
小川神社の案内板が目に入る
ここも以前から気になっていたがあっという間に通り過ぎてしまうので訪れたのは今回初めてだ

口伝によると健御名方命が諏訪の地に逃れる道中この地に滞留したということだ
古事記にはあって日本書紀には出てこないというこの神の立ち位置は微妙だが
やはり国譲り事件でタケミカヅチノカミに力負けして諏訪へ逃れたという古事を信じたい
逃走ルートは糸魚川~白馬~小川村~上田~和田峠~諏訪だろうか?
小谷の大宮諏訪神社上田の生島足島神社などにも逗留したとの口伝伝承がある
しかし戦いに負けて命乞いした神が諏訪の地で軍神になったというのも微妙だ・・・

左手にあるのはは御射山神社
社殿の両サイドにはやはり御柱が立っていた
                 
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小川村新発見

2020-08-11 07:37:03 | ブラリング
最高気温35度ともなると自転車は危険
ということでエアコンの効いた車でぶらぶらドライブ

立ち寄った小川村の郷土歴史館ふるさとらんど小川は
旧長野県知事公舎が移築移転されて資料館となってる
客が少なくソーシャルディスタンス十分な館内では
ちょうど工芸作家の3人展の展示販売をやっていて
中でもペットボトルを利用した飛行機などの作品群が目を引いた
喫茶コーナーもあり陶芸家でもあるという館長さんが焼いた黄瀬戸のコーヒーカップ
外の景色を眺めながらマッタリした時間を過ごせた
美味しいコーヒーだったし別客が食べていたワッフルもうまそうだったなぁ
敷地内にはまた村内にあった水力発電所の発電装置等が記念館として展示されていた

今まで何度かこの前を素通りしていたがやっぱ寄り道はするべきだなぁ
                    

                    
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旧御射山

2020-08-09 21:49:19 | 歴史探訪
八島湿原の奥に鎮座する旧御射山神社(もとみさやまじんじゃ)は諏訪大社下社の祭祀場だ
平安から元禄にかけてここで7月の5日間狩猟や弓の競技が行われたということで
階段状に削平された場所には寝泊りするためにススキで屋根を葺いた穂屋が作られたそうだ
さながらコロシアムのようだと形容されているが
こんな所で寝泊りしたら蚊やブヨに食われて大変だったろう

特に鎌倉時代は盛大だったようで
これは諏訪氏の武士化が着々と進み承久の乱で抜群の戦功をあげ
政治の中枢に関わるようになり諏訪明神が手厚く保護され
軍神としてのブランド力が高まったことに起因するようだ

ここで弓矢のテクニックが認められた者は
給料アップとか他家からのヘッドハンティングとかあったのだろうか?
時代が平和な元禄あたりになると武術の需要も低下して
弓術コンペも衰退してきたのだろ

しかしビーナスラインも無い時代に全国各地からここまで来るのは結構大変だったろう
                   
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