バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

脱原発、脱ワープロ

2012-09-26 21:50:15 | その他
とある会からとある記念品に何が良いかと聞かれて
モンブランの万年筆をリクエストしました

早速丸善でブルーブラックのインクを買い
越前和紙の便箋に礼状をしたためてみました

中字の滑るような書き心地は今まで使っていたものより数段上で
字を書くのが楽しくなりそうです
初めて乗ったロードレーサーに通ずるところがあります

でも相変わらず字は下手ですねぇ
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桑の葉

2012-09-25 21:43:52 | その他
家の庭先に桑の木が生えています

どのような経緯で生えてきたのか定かではないのですが
切っても切っても毎年切り株から新しい枝を出します

先に日本は蚕糸業と共に発展してきたと書きましたが
ウチの父親も蚕糸業関係の会社員でした
ということでワタシも蚕糸業のおかげで育ってきたわけです

その高原社という会社は今でも蚕を生産しているようです

父親がこっそり植えたかも知れないこの桑の葉は今は亡き愛犬が好んで食べていました
天ぷらにすればおいしいかも?
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秋寸景

2012-09-22 19:58:44 | ポタリング
山村の集落もほとんど稲刈りが終わって

秋祭りの幟があちこちに翻っています

今年の農作物の出来は良かったようです
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ふぉふぉふぉん

2012-09-21 17:12:08 | その他
本の町プロジェクトによる町おこしは高遠町
バルタン星人も応援
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池田鉄道廃線跡探訪2

2012-09-15 00:26:25 | 鉄道
北池田駅のプラットホームのコンクリートは当時のままなのか
後で補修されたものか不明ですがよく残っています

駅の周りは現在でもあまり家がありません
出来た当時は田んぼの中だったのでしょうか?

プラットホームは途中で切断されてその先には倉庫、住宅の庭、田んぼ、保育園などが続いており
鉄路の痕跡はまったく失われています
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池田鉄道廃線跡探訪

2012-09-13 19:41:32 | 鉄道
池田鉄道は大糸線の安曇追分から製糸業の盛んだった池田町まで敷設された私鉄でその距離約8キロのいわゆる盲腸線でした
大正15年に開業して製糸業の原材料や製品の運搬などに使われたようですが
昭和13年に世界恐慌のあおりを受け廃業と短命な鉄道なのでした

その線路のあったと思われるルートを探訪してみましたが
軌道跡は圃場整備や宅地開発でほとんど痕跡がありません
かろうじて北池田駅は残っていましたが
物置代わりに使われていた駅舎は今にも朽ち果ててしまいそうでした
標柱がなければ駅の跡だとは地元の人でさえ気づかないでしょう

あと池田駅跡らしきところも残っていましたが雑草に覆われていて良く分かりませんでした
草が枯れた頃もう一度探訪してみましょう

よく探すと駅のホームの石積みが民家の一部に残っていたりとかの情報がネットにありました
これも再調査です
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自転車操業いや創業

2012-09-11 22:10:09 | その他
旧製糸工場のいろんな機械類は歯車やカムやバネで構成されています
こういうのを見るのは結構面白いものです

片倉製糸が自転車製造に乗り出したのもうなづけますね
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今更野麦峠

2012-09-10 20:41:03 | その他
映画「あゝ野麦峠」の原作は暗い小説だとばっかり思って
初版が出てから40数年間一度たりとも本屋で手に取ったことがありませんでした

ところが先日古本屋で初版本を手に入れ読んでみたら
元糸ひき工女たちの証言によって当時の製糸業の実態が生々しく描かれた
興味深いノンフィクションなのでした

富国強兵策による外国の先進技術の導入費 最新軍艦の建造費に必要な外貨の多くは生糸の輸出によって獲得され
日清戦争 日露戦争 そして第二次世界大戦へと突き進んでいった日本史の裏には
飛騨から野麦峠を越えてやってきた少女たちの過酷な労働があったということですねぇ

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傷口修理

2012-09-09 19:57:30 | その他
大弛峠のダートで穴が開いてしまったキャラダイスのバッグ
リフォーム屋さんできれいに修理していただきました
リクエストで皮を使ってもらいました

こういう傷口がひとつひとつの思い出になります
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工女のルート

2012-09-08 19:54:08 | その他
有賀峠で見た「あゝ野麦峠」の石碑が気になって
工女の歩いたルートを検証すべく
その手がかりを求めて松本市歴史の里へ行ってきました

ここは建物野外博物館で
工女宿宝来屋 旧昭和興業製糸場などが移築されています

そこで奈川で宝来屋をやっていた奥原いとさんの話の記録に
「足の達者な者は薮原から来ても島々から来ても うんと早く昼ってやあ着くしね」
という下りがありました
やはり薮原ルートもあったわけです

帰りに古本屋で買ってきた山本茂美の「あゝ野麦峠」の表紙裏の地図を見ると
岡谷からは勝弦峠~牛首峠のルートをとっているようですが
距離的に見れば上諏訪あたりで働く工女なら有賀峠経由もあったのでしょう。

昭和興業製糸場は機械が動態保存されており
糸ひきの実演をやっていました
いろいろ話を伺って面白かったです

日本の歴史に深く関わってきた製糸業にちょっと興味が湧いてきました
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