この歳になると、高い三脚を立てての仕事は危険。だからと言って放置すれば手が届かなくなり、始末に負えなくなる。
家内に手伝ってもらい、”これが最後になるかも” と高い三脚を出して、椿など高く伸びないように枝を切り落とした。
この歳になると、高い三脚を立てての仕事は危険。だからと言って放置すれば手が届かなくなり、始末に負えなくなる。
家内に手伝ってもらい、”これが最後になるかも” と高い三脚を出して、椿など高く伸びないように枝を切り落とした。
昨夕、近くにいる娘が、「明日は母の日だから・・・」と言ってカーネーションとチーズケーキを持ってきた。
ママは、「うれしい」と早速花瓶に入れ、テーブルに飾った。チーズケーキは数が多かったので、二人で一個づづ食べたのち、残りを冷凍庫に入れ保存した。
朝食を摂っているとき、私から「久しぶりに歌舞伎町のあのビルを観に行こうか。もう完成して一年近くになるんではないか」と・・・。
ママも予定がないようで、「近いのにまだ行っていないよね」と応じて来る。
ゆっくりして12時過ぎに出発。西武新宿線で三つ目、西武新宿駅下車。
駅中間出口から観るともう目の前。100mほどで東側のビル前に着く。
ビル前はずごい人人・・・。ビルの名前は、「東急歌舞伎町タワー」。
地上1階からエスカレーターで3階に上がる。
3階にある飲食店。
4階に上がるエスカレーター。
4階から5階までがゲームセンターでした。
6階から9階までが演劇場となっているよう。今日は何もなかったようで静かでした。
私共は、17階にあるラウンジに上がりました。
廊下から北西側(自宅のある方向を望む)。
西側にある青空ラウンジ。
真ん前の茶色のビルは西武駅ビル「ペペ」。
17階の青空ラウンジから。18階から上47階までホテルとなっています。エレベーターも違います。
東側にはバーとレストラン。
突き当りが、
青空ラウンジとなっていました。
私共はこのレストランに入りました。
「お上りさんなんで、窓側の席は空いてませんか」と申したら、「お上りさん」がわからない様子??。 「ちょうど今空きましたので、ちょっとお待ちください」と。
しばらくすると案内された。
こちらがこのタワーの入り口側です。歩いている人が小さく見えます。
国立競技場も見えます。
スカイツリーも見えます。
とても見晴らしの良い場所で、店員曰く「このレストランで一番良い場所です。運がよかったですね。」とのこと。「ありがとうございます」と礼を言って、カメラのシャッターを押してもらった。
名前がわからないんで珍しいものばかりを頼んだら、私の嫌いな漬物が来て、大笑い。
1時間ぐらいいたかしら? 近くのテーブルが空いてきた。
満足して席を立った。
エレベーターで1階に下りると、出口の前は西武新宿駅前。あまりにもあっけないので、二人で表側に回り、改めて歌舞伎町の中心地の広場を確認して駅に向かった。
この写真を撮っていたら、家内から「ほんとにお上りさんね」と冷やかされた。ヨドバシカメラなどには度々来ているが、この西武新宿駅の南側に出てまっすぐJR新宿駅西口に行ってしまう。こんなにゆっくりしたことはなかった。
家に帰ったら午後5時だった。
楽しい一日だった。
猪爪寅子、司法試験2次試験の口頭試験も乗り越え、日本初の女性弁護士が誕生した一瞬でした。
おはようございます。突然こんな出だして゛・・・。
今朝のNHK連続テレビ小説「虎に翼」のことです。
先日来、「虎に翼」に夢中になってしまっている旨を記していますが、今日は、寅子の司法試験合格による猪爪一家の喜びと、寅子の弟が同じく受験していたが、不合格による進路変更を伝え、家族が悩むどこにでもある家庭情景を放映し、感激。
これから猪爪寅子はどんな考えをもって弁護士として、また裁判官として進むんでしょうか。楽しみましょう。
今日は子供の日。全国各地でいろんな催しが開催されたよう。ニュースでは各地の子供の日のイベントが報じられ、参加した子どもたちは「大変楽しかった」と感想を述べられていた。
快晴のここ逗子海岸でも恒例の「砂の芸術」と名打ったイベントが、朝8時過ぎから11時過ぎまで開催された。
私がベガちゃんの朝の散歩で海岸に行ったら、ちょうど開会式が行われているところで、まさにこれから作品作りに取り掛かる時でした。
今回の参加グループ数は、22組だそう。参加グループ数が年々少なくなっているよう。
お父さん、お母さんはもっぱらスコップで砂を掘っている。子供は、砂を固めるべく海水を運ぶ。
大人が多いグループは大きな作品が徐々にかたちになっているが、若い夫婦と子供が小さいクループは、開始20分ほどしても「どうしてよいかわからない?」ようで、夫婦で笑いながら子供たちと小さなスコップで砂をかけあって遊んでいる。ほほえましい。
私たち、まだ朝食前だったので、1時間ほどでいったん家に帰ることとした。
午前11時までが作品作りの時間となっているのでそれまでに現場に戻ればと。
11時前に現場に戻る。もうほとんどが完成している。
数点紹介しよう。
11時に作品制作終了のマイクが。
11時15分から表彰式が行われた。いろんな名前の賞が逗子市長から子供たちに手渡されていく。
最後の2点、逗子市長賞の作品は、
右端 逗子市長。右から4番目 逗子市教育長。
逗子市教育長賞として、
「トトロ」。 左端 逗子市教育長。 右端 逗子市市長。
子供の日、逗子市は恵まれた砂浜を利用した素晴らしいイベント。子供たちの明るく喜んでいる姿を見ると、年々参加するグルーブが少なくなっているのが心配ですが、ぜひ努力して継続してもらいたいものです。
なぎさ橋上から。これだけまとまっているのが珍しかったので・・・。
<追記>
ヒ表彰式が終わった後、自分たちが造った砂の作品に上がって喜ぶ子供たち。あっという間に崩してしまいます。その後、大人たちがスコップで平らにして終了。
5月の連休の中日、穏やかな天候に恵まれた今日、逗子海岸は、大変な人人。
朝9時過ぎから、海岸はこんな状況。
大型ボートもいつもより多く乗り込んでいるよう。普通6人だったと思うが・・・。
気温もぐんぐん上がるようだ。予報では最高気温28℃になるとか?
でも、湿度がそれほど高くなくカラッとしているため、部屋にいると体が冷たい。午後2時ごろ、「体が冷たいので、短パンになって体を焼いてくる。ビタミンDを採ってくるから・・・」 と言い、半袖シャツを着て、ゴザを持って海岸に向かった。
人がいっぱいいる場所からちょっと離れた砂浜にゴザを引く。半袖シャツも脱ぎ転がる。
約1時間30分横になっていた。体が暖ったかい。
近くにいた男性に、記念写真としてシャッターを切ってもらった。
午後5時過ぎに、レオちゃんを連れて再度海岸に行く。
海岸の中ほどの道路に接した部分の一部が仕切られ、毎年この時期の約1か月ほど午前11時ごろからいろんな遊びと夕方から青空映写会が行われている。
ちょうどフランス料理店カンテーナの前あたりの場所。
夕方の入り口。会場内は客が満杯。
入り口前には、数十メートル空き順のため並んでいる。
スクリーンの前はご覧のようにもう一杯。
並んで待っていても入れるのかしら??
逗子海岸に来ている人を見ると、圧倒的に若い女性、アベックが多い。
私の年齢の人はほとんど見かけない。時々おじいちゃん、おばあちゃん、子供夫婦、お孫たちの家族を見ることがあるが・・・。
今日は、鎌倉方面へ向かう道路も高速道路に上がる方向の道路も一日中渋滞していた。
十分注意して運転してもらいたいものです。
弊社は、業務の性格上、例年、この4月~5月の休暇はカレンダー通りに採ることができず、後半の3日~6日の4日間を一斉休暇としている。小生は週2~3日、1日2~3時間だが・・・。
3日朝、車での出発では、渋滞に巻き込まれるのが明らかなので、2日21時20分過ぎに、新宿・中落合を出発した。
首都高、環八、第三京浜、横横道路・・・。そしたら会社からの帰りや仕事帰りの車も少なく、スイスイ。ほとんどが高速道路だが、環八信号待ちで1回停止しただけで、逗子までノンストップ。追越し車線にほとんど入らず、時速85㌔前後で1時間10分ほどで到着。
走る時刻選びが良かったようだ。
3日、逗子海岸を散歩する。
快晴。なぎさ橋から。富士山がきれい。
海岸にはもう人が多い。
今日は一日快晴。
お昼過ぎから窓ガラス、ベランダを高圧洗浄機で洗剤を噴霧したのち水洗する。水を噴霧するだけが、疲れる。腰が痛い。体力がなくなっているのを痛感する。
夕方、海岸に。
太陽が熱海方面の山に沈むところだった。
海岸には大勢の人だ。
6日月曜日まで天気は良さそうだ。
しばらくこちらでのんびりすることにしている。
日本初の裁判所長三淵嘉子を題材にしたNHK朝ドラ「虎に翼」の主人公寅子の父直言の判決がいよいよ明日迎えることとなった。
以前このブログで、この本を買って事前にこの人のことを頭に入れたことを記したことがある。
この朝ドラが始まってからは、家内も協力してまだベットにいるときは起こしに来る。
その時は、ベットにあるテレビで見る。 一日も欠かさず見ている。
先週から、寅子の父直言の共亜事件の強制自白についてのシーンに入ってきた。この事件は、昭和十数年当時、実際に日本で起きた帝人事件を題材にしているとのこと、革手錠をされて “お国のため、政治家のため” と強制圧力をかけられ、ないことを強制自白させられた事件。
弁護士を目指している寅子が父の逮捕で学校にも行けずにいるが、寅子の先生 穂高教授 が直言の弁護士を引き受けてくれ、いよいよ今日結審を迎えることとなった。今日はそのシーンでした。
3日の朝は楽しみ・・・・。
<追記>
16人全員無罪。 控訴せず、確定。
朝日新聞デジタル記事にショッキングな数字が載っていますのでご紹介します。
若年女性の人口変化率
「消滅可能性自治体 2050年にはここまで減る」
( データー元 民間の有識者らでつくる「人口戦略会議」)
全国地図の消滅可能性自治体色分けと詳細な数値が記載されていますので、データーをお借りします。皆さんのふるさとのデーターもご覧になってください。
ちなみに、掲載されているふるさと新潟・佐渡市の数値を記載しますと、
若年女性 2020年 2020年 2050年 2050年 大分類 中分類
人口変化率 総人口 20~39歳女性 総人口 20~39歳女性 消滅可能性 自然滅 : 小
ー60.5% 51,492 3,228 25,968 1,274 社会減 : 大
いやいや、びっくりしてしまいました。
行政に任せるのではなく、みんなで真剣に考えていただきたく思います。
家内の叔母は、御殿場市にその連れとともに眠っている。何ですか墓地の契約は20年ごとに更新するのだそうで、その二人には子供がなく、契約は家内の姉となっているそう。
家内の姉も寄る歳に逆らえず、あちこち不便さを感じるようになったよう。
そこで、義姉たちは、熟慮の上、墓地契約の途中だが、子供たちに迷惑を掛けてはいけないので、永遠の共同墓地に移し、墓じまいをしようと考え、先日その行事を行った。
私共は、それに参加できず、14日(日曜日)お墓参りに逗子から直接御殿場市に向かった。
横横高速道路逗子ICから上がり、東名高速道路御殿場ICまで約1時間30分。東京からとほぼ同じほど。
御殿場インターを下りてナビゲーターに従って進むが、番地までの詳細なところはわからなかったが運よく交番に出会い、新しい共同墓地のある場所を車を止めて聞く。お巡りさん、東京から来た者と話したら、丁寧に教えてくれた。
以降、墓地駐車場まで一度の間違いもなく到着した。
車を降りると富士山がきれいに顔を出している。家内は、「大きい富士山だ」といつもの言葉。実は家内は戦時中、この御殿場の叔母さんの家に疎開したことがあるので、「窓を開けると大きな富士山がいつも観られた」といつも申していた。
墓地の駐車場から望む富士山。
車を駐車場に入れ、来た道をやや戻ると、右に共同墓地に通ずるやや広い道路に。
右に折れまっすぐ進むと共同墓地に突き当たった。この墓地のお寺さんはここにはなく、やや遠く離れているようだ。
富士山をバックにしてややこんもりした共同墓地。二人でお線香に火をつけ、家内が手を合わせている。
周りを一巡したのち、別れを告げ、車を動かした。
家内が前のお墓を観に行きたいと申すので、車を走らせた。
見覚えがあるのでスムースに進む。7~8分ほどで到着。
おじさん、おばさんの名前と亡くなった日付、年齢が刻まれている。(花立てのステンレス缶は共同墓地の方に持って行かれたとのこと)。
おじさんが先に亡くなって、高校教師だったため、おばさんが「本を広げている」この模様のお墓を造ったもので、「自分がなくなった時に右手に自分の名前等を入れてくれ」と姉に遺言していたので、後日、姉が遺言通り石屋に依頼してできたものとのこと。
おばさんは94歳まで生きたと記されている。亡くなってから10年になるようだ。
残念なことです。
朝が早かったので、ここの駐車場で一休み。
午後1時20分過ぎに御殿場を出発。逗子に向かった。
東名高速道路御殿場ICから上がり逗子に進んだ。来た道を横浜町田JCTまで戻ればよかったのだが、ナビゲーターに従って進んだところ、鎌倉を通るコースを選んでしまった。
14日は鎌倉祭りで、道路が規制されていることを知っていたので、御殿場に来るときは、やや遠回りだったが横浜町田JCTを選んだのにすっかり忘れていて、失敗。
道路はどこも渋滞。 しょうがなく、江の島に向かい、海岸沿いに出た。
ここでも渋滞。ノロノロ運転。
やっとの思いで逗子海岸に到着。う~んと先に我がマンションが見える。
到着したらなんと午後5時30分過ぎ。3時間半もかかってしまった。
もうぐったり。
ベットに潜り込んだ。
昨日(12日)正午過ぎ、およそ1月ぶりに逗子に向かって新宿中落合を出発。この歳になると霧雨が降っていたため車は、規定速度をややオーバーする程度で全く追い越し車線に入らず、安全運転でのんびりと走る。
レオちゃんは足の上でほとんど寝ていた。
そのせいか、いつもよりやや時間がかかって逗子に着く。
部屋の中は、閉め切っていたため冷えている。リビングの床暖房スイッチを入れ部屋を暖める。しばらく雑談ののち、ベットに潜り込んで休憩。
目を覚ますと、薄日が差していた。予報通りだった。
早めに散歩に出かけた。
海岸に下りると、レオちゃんのお友達が挨拶に来てくれる。
富士山は顔を出していない。
先日来、株主優待ポイントにお世話になっているが、その株式会社を起こした社長の出身がこの逗子市のため、逗子市内には大きな飲食店が何軒かあり、また、イベントがあると一番の寄付者に名を連ねている。
石原慎太郎の「太陽の季節、ここに始まる」の碑の前に張られている設立記念寄付壁にも一番に名を連ねている。
石原慎太郎の記念碑の前の壁に張られている名盤 (一番大きい)。
あぁ、残念。 1週間早いと、太陽の真上に太陽が沈む“ダイヤモンド富士“を観られたのに・・・。
今朝、天気予報通り晴れてきたが、靄がかかっており、富士山は顔を出していない。
前を歩く女性は、もう肩まで出している。今日は気温が上がるようだ。
それに比べ、家内は、厚い物を着て帽子をかぶっている。「暑くないの?」と聞いたら、「裏が取れるんだが、・・・」。
これから子供たちが乗り込んで出発のようだ。父母たちが一緒に来ている。
みんなで海上に運び出した。
子供4人、大人2人が乗り込み出発。
気持ちよさそう・・・。
今日は一日、穏やかな天気になりそう。
<追記>
夕方の散歩では、富士山が見られなかった。
左側に富士山があるのだが・・・。
富士山の裾野の山に沈む太陽。
海岸には多くの人がこの光景を見送っていた。
昨日(4月10日)、穏やかな天候となり、家にいてももったいないほどの風もなく日本晴れ。会社も定休日。
家内に神田川の桜の状況を問うと、もう葉桜になっているのでは❔ との返答。でも、運動不足も手伝ってつい、午後1時過ぎ、レオちゃんを連れて大きなニコンのカメラをぶら下げて、プラプラと西武新宿線下落合駅近くの神田川の桜を観に出かけた。家内はその前に買い物に出かけてしまった。
先日、下落合駅近くの特別養護老人ホームもみの樹園裏側の妙正寺川沿いの桜はもう葉桜となっていた。
老人ホームもみの樹園の表、道路を挟んで下落合駅向き正面はご覧と通りの雄姿。
6階建ての大きな建物です。右手にはもみの樹がもう5階まで届きそう・・・。
西武新宿線下落合駅前の踏切を渡ってすぐのせせらぎの里公園を左手を進む。
せせらぎの里公園の桜はやや葉桜となりつつあった。
その脇を東方向に約100mほど進むと神田川に出会う。
神田川の桜は今が満開。散ってもいない。最高。
今日は人も少ない。
大きな一眼カメラを持ってきてよかった。きれいに撮れる。
浄水場をまたぐ歩道橋に上がると、同じトイプードルが・・・。レオちゃんはこの5日にトリーミングに行ったばかりで、女性の方たちから「足が長くて素敵・・・」なんてほめられる。
歩道橋から観る神田川上流方向。
下流方向。 流れている川水が観えない。
途中に掛かっている橋からの眺めがすごくきれい。上流側。
橋からの眺め。下流側。
歩道のツツジが咲き出し、とてもきれいだった。
風もなく、桜も散っていない。素晴らしい壱日となった。
家に帰ったら午後4時前だった。重たいカメラをぶら下げて、レオちゃん、レオちゃんのしまつ袋を肩に下げ、何と2時間40分も歩いてきたようだ。
夕食を食べ、ベットに潜り込む。深夜12時過ぎに目を覚ます。“これから寝よ“ と言っても無理で、ブログを書き出した次第・・・。
今日4月8日(月曜)、JR目黒駅から徒歩1分の距離にある居酒屋「北海道 目黒西口店」で、私共有志7人が集まり、Wさんの90歳お祝いの会を開いた。
まず、Wさんは、首都圏M人会の創設時から携わった人であり、かつ首都圏〇〇連合会の創設時の一人でもあります。
首都圏〇〇連合会役員は、十数年ほど前に若者に譲りたいと申して勇退したが、首都圏M人会には副会長から顧問として長らく在籍し、後輩の指導にあたっていました。
最近、寄る歳に勝てず、足が弱くなって杖をついて歩くようになったが、今年の新年会にも元気に姿を見せていました。そしてしっかりした考えを持ち、若い人たちの指導をしていましたが、先日、事務局の方に本人から「90歳を迎えるにあたって(4月27日で満90歳とのこと)、この際、すべての役職から外れることにしたい。大変お世話になった」旨の連絡があったとのこと。
首都圏M人会として、今までこのような方のお祝いの会の経験もないし、同様なことがこれからも起きて来た場合のことを考慮しておかなければならないことから、そしてみなさんもう年金暮らしですから、できるだけお金のかからない方法を考えた結果、先日も二次会で使用した私の持っているある会社の株主優待ポイントを使おうと思いつき、友人の一人に提案しました。
この3月末で、優待ポイントが加算され、現在35000ポイント余となっているので、7人ぐらいまでならOK。
Wさんは、中目黒に住んいるからJR目黒駅近くで居酒屋を!と検索。
そしたら、直ぐにその系列の居酒屋「北海道 目黒西口店」が見つかった。
調べるとなんと、JR目黒駅から徒歩1分、目黒駅近辺では一番の座席数を誇る230数席と書かれている。
電話してみると、個室で椅子席が取れるとのこと。友人の一人と参加する人を選び、彼にその日時の選択を一任した。
今日、居酒屋のあるビルの4階に上がってみると、4階フロワ―全体を「北海道」で使っている。 今日は月曜日のため、客が少なく店は空いていた。
さて、皆さんの都合のよい日が一致した結果が今日のお祝いとなったといううことです。
向こう正面の中央が90歳のWさん本人、正面向かって右が東京〇〇県人会副会長Yさん、左が首都圏〇〇人会会長Nさん。
左から、Nさん、Kさん、空いている席 私、Cさん。の7名です。
16時の開店と同時に店に入り、Kさんの司会進行で祝いの会が始まった。
乾杯はN会長の音頭でまずビールで・・・。
料理はコースと飲み放題としているので、次から次と出てくる。 「北海道」との名前だけあって魚が多い。皆さん「おいしいね」との言葉が発せられ私もホッとする。
思い出話も出る。話は尽きることがない。
時間が気になるが、今日は月曜日で客が少ないようなので、ゆっくりしても大丈夫なよう・・・。
もう、始まってから2時間が過ぎている。Wさんの御礼の言葉が述べられ、皆んなに羊羹が配られ、「大変お世話様になりました」との言葉が・・・。ジンと来る。
最後にYさんが締めの言葉「本当に長いことご苦労様でした。また、ありがとうございました」との御礼を述べ、一本締めで締めた。
携帯の時計をみたら開始から2時間25分経過していた。空いていたからのんびりさせてくれたんだろうと思う。お店の皆さんにありがとうと御礼を申し外に出た。
夕方から雨の予報でしたがまだ振り出していなかった。
Wさんに「体にお気をつけてください」と申してお別れしました。
昨日(4日)の朝日新聞の1ページ下段に次のような広告を見つけた。
朝日新聞広告。
私、実は化学の出身。もう少し詳しく話すと(私の大まかな備忘録”〇〇家の足跡″によれば)、ふるさとの高校卒業後上京して〇〇大学理工学部工業化学科に入学、(卒業論文は希望していた先生が突然アメリカに留学したので、その先生の指示で通産省東京工業試験場の技官(後に東大教授に就任)のもと1年間授業の合間を見て実験に通う)。卒業後、大企業〇〇製薬綜合研究所に10年余勤務。
生まれ育ったのが商家のせいか、義兄や兄たちが車で上京するたびに、「いい天気だから富士山五合目まで上がってこよう」とか「箱根にドライブに行こう」とか言うのを、″やはり自分で商売をして、自由な時間を造らないと。サラリーマンではだめだ」と気づく。
思い切って研究所勤めを退職し180度転換、田中角栄総理の一億総不動産屋の時代に勉強のため、日本交通公社(当時はまだJTBと言っていなかった)関連会社の不動産関連部門に就職。JR東京駅東口近くのビルの一室で開発の業務に就いた。時には地方に出かけて、地上げもした。
そうこうしているうち、バブルがはじけ、不動産関連事業はあっけなくしぼんでしまう。
交通公社関連会社も縮小、私も一度は添乗に駆り出された。余談だが私は、日本不動産協会の31日間の世界一周旅行の補助添乗に駆り出され、ヨーロッパはイギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、スイス、イタリア、そしてアメリカ本土東岸ニューヨークから始まり横断、最後はハワイ島といい思いをした。
初めの話に戻そう。
高田馬場に出かける用事があったので、朝日新聞の広告記事を切り抜き、駅前の大きな本屋3階に入った。 店員にその切り抜きを見せ、この店舗にあるか確認依頼した。
女性店員は、PCで検索、展示場所を確認する。「4階にあるようですので私が取りに行ってきます」とのこと。 私はカウンターの横でしばらく待つ。
店員は、分厚い本を抱えて戻ってきた。
「この本ですね」と確認。
「そうです。実は、私、化学の出身ですが、これからおさらいしてみようと思いまして」と申したら、
店員「いいことです。いろいろと思いだすことでしょう」と。
とても分厚い。456ページもある。
家に持ち帰って、家内に見せたら、
家内曰く「ひゃ~、厚いね。ゆっくり勉強すると1年かかるんではないか?」とひやかす。
パラパラとめくると、元素周期表も見える。
H、 He 、Li、 Be、 B 、C 、 N 、O、F、 Ne、(高3の時、スイヘイリベツバックノフネ)と記憶したのを思い出した。
これから、ゆっくりと大学時代、研究所勤務時代を思い出して化学をおさらいしようと思っている。
また、本屋3階の入ったところに、この4月から始まったNHK連続テレビ小説「虎の翼」の主人公モデルとなった日本初の女性裁判所長「三淵嘉子」の本が積まれていたので、手に取った。
4月1日から始まった朝のNHK連続テレビの予告編を先日見て、「素晴らしい女性なんだなぁ」と感心したところだった。
但し、朝、またはお昼ごろの時間帯は忙しくてと言っては何ですが、時々しか見られそうもない。 この本を買って「本人の生い立ち、経歴を勉強しよう」と考え、購入してきた。
もう、1/3ほど読んでみたが、とても頭の良い素晴らしい人。
今朝8時のNHKテレビ放送はベットの中でイヤホンを付けてみました。
良妻賢母主義の母親のあるきっかけで、寅子は母親から六法全書を買ってもらう場面まで。 とても感動しました。
まあ、この2冊を読み終えるのはいつになることかしら・・・。
ここ東京 新宿の3月31日の最高気温は28.1℃だったそう。3月の最高記録だそう。暑かった。
弊会社の年度末だったので、会計台帳作成にわずかの時間会社で作業したが、午後1時過ぎには、家内と、この暑さにつられて近くの中落合公園や妙正寺川のサクラを見に出かけた。
中落合公園の入り口から。
満開です。
桜の名前は「高遠小彼岸桜」。
このサクラには歴史があるのです。
現在の新宿御苑一帯が高遠藩主内藤家の江戸屋敷であったそうで、その一部が新しい宿場内藤新宿となった関係から相互交流による友好を深め、新宿区と高遠町とは昭和61年7月に友好提携を宣言したと記してあります。
そして、現在の地区一帯が広く下落合地区となっていましたが、平成初期に区画整理により新たに中落合、中井地区等に区画整理されました。
しばらくして、中落合地区の現在場所に、第一次避難集合場所として中落合公園ができました。その時に先の現伊那市(旧高遠町)から3本の桜が寄贈され、植樹されました。それがこの桜です。ピンクがやや強いものです。
もう30年以上前になりますでしょうか。よく覚えています。家から3~400mほど下落合駅寄りです。
その他、公園内に咲いていたきれいな花です。
その足で、80mほど南を流れる妙正寺川を覗いてみました。
東側下落合駅方面を望む。ソメイヨシノは1分~2分咲きでしょうか。まだまだですがこの暑さで早いかもしれません。
下落合駅方向の川沿いにピンク色のサクラらしきものが見えるのでその方に足を進めた。
下落合駅直ぐの特別養護老人ホームもみの樹園の妙正寺川傍に数本植えられていた。
桜の百科事典を参考にしたのですが、八重桜の一種の紅華か紅豊かしら? ピンクがとても強くきれいだった。ヒヨドリが・・・。
最後になりましたが、家の庭にある椿です。花が大きく今まで見たことがないほど多く咲いています。
ここ2日ほど初夏のような天候。桜の開花が例年より遅れていましたが、進むのではないでしょうか。
昨日3月30日(土)、東京 江戸川区総合文化センターで行われた全日本リコーダーコンテストで、ふるさと新潟 佐渡市から新潟県予選(動画提出審査)を通過して全国大会に出場した母校佐渡市立真野中学校の二重奏と佐渡市立南佐渡中学校リコーダー部の五重奏以上の二演奏がそれぞれ金賞を受賞されたと発表されている。
特に南佐渡中学校リコーダー部の五重奏以上の演奏は、金賞の中でも優秀なものに贈られる【花村賞】を受賞されたとのことです。おめでとうございます。
私は、母校が全国大会に出場した数年前までは、江戸川文化センター会場に郷土会の皆さんと駆けつけ、応援しましたが、ここ数年、コロナ禍の関係で出場がありませんでした。
今回、久しぶりの出場でしたので、郷土会役員の若い人たち数人が、応援に駆け付けました。現場に行かれた人たちよかったですね。
母校の皆さん、おめでとうございます。
また、南佐渡中学校の皆さん、初めての花村賞かしら? おめでとうございます。
益々勇気づけられたことでしょう。
<追記>
新潟日報(4月4日版)に掲載されていましたのでご覧になってください。
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/385415