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“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

“あらかわ佐渡おけさ祭り” に出かける。

2018-09-30 15:27:01 | Weblog
 天候を心配していたのだが、午前中は何とか持ちそうとの予想ゆえ、あらかわ佐渡おけさ祭りに出かけた。

 台風24号の影響が心配されたが、あらかわ佐渡おけさ祭りが始まる午前10時前には小雨もやみ、荒川区冠新道商店街の広場は、急きょあわただしくなった。
 あらかわ佐渡おけさ祭りは、2015年荒川区と佐渡市が友好交流都市を結んだのを機に、東京新潟県人会と冠新道商店街の有志の縁で秋に開催されるものである。
 しかし、イベントの当初予定は午後5時までとなっていたが、台風24号の影響で、午後1時過ぎまでの一回きりとなった。


冠新道商店街。

 商店街を通行止めにして、午前10時開会式が始まった。
 来賓の方々の挨拶が続く。
 

冠新道商店会の代表挨拶。


当時の東京新潟県人会副会長(現東京新潟県人会館理事長)の挨拶。荒川区冠新道商店会と佐渡市が友好交流都市の縁を取り持ったと言われる。


荒川区長の挨拶。


佐渡市伊藤副市長の挨拶。


あらかわ警察署長、荒川消防署長の挨拶。

 その他多くの来賓の挨拶と紹介が続いた。


佐渡を世界遺産にする首都圏の会の代官役と司会者が挨拶。


首都圏在住の両津港木遣り愛好会による木遣りの紹介。

 開会式が終了すると、商店街の道いっぱいになって、若波会、荒川法人会女性部会の有志等約100名の踊り手たちが佐渡おけさを披露して、またその後に十数名の世界遺産にする首都圏の会の有志が約200mを練って歩く。









午前12時前には、広場前で地元の集団が太鼓を披露。


五神太鼓を披露。とてもリズムよく太鼓をたたいていた。

次いで、佐渡から上京した12~3名の佐渡鬼太鼓が紹介された。
 今回の集団は、佐渡市畑野に在る丸山神社の氏子たち。








助だちが入り、踊り舞う。


時々、この白い姿の人が祝儀の紹介をユーモラスにする。
 佐渡島内には、100を超える鬼太鼓の集団があると言われる。このような鬼を打つ姿に初めて接した。

 次いで、新道では、約30名による本格的な佐渡おけさを紹介。


ステージには歌い手が上がり、きれいな声で佐渡おけさを唄う。ステージ下では、道路いっぱいに佐渡おけさを披露。

閉会式に入り、佐渡を世界遺産にする首都圏の会有志が、“金荷の受け渡し式”を披露。冠新道商店会会長に金荷を引き渡す。




「遠いところご苦労であった」との受け手代官のねぎらいの言葉。

 そして、商店会長による閉会の辞となった。


閉会の言葉を述べる商店会長。

 午後1時過ぎには、心配した天候も薄日を射すような明るい空模様。
 皆さん、普段の良い行いが通じたよう…。
 
 午後2時30分ごろ自宅に戻りしばらくすると大粒な雨が落ちてきた。
 なんて幸運に恵まれたのだろう。














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「あらかわ佐渡おけさ祭り」イベント情報

2018-09-27 20:26:23 | Weblog
佐渡市役所地域振興課から島外イベント情報が届いていますのでお知らせします。


【イベント情報】

〇イベント名:あらかわ佐渡おけさ祭り

〇日時:9月30日(日) 10:00~16:30

〇会場:東京都荒川区西日暮里6丁目 冠新道商店街

例年ご好評をいただいている「あらかわ佐渡おけさ祭り」を今年も開催いたします。

佐渡おけさや木遣りといった伝統芸能のほか、各種体験コーナー(金塊つかみ、砂金採り)、「佐渡を世界遺産にする首都圏の会」による「金の道」パフォーマンスで祭りを盛り上げます。

また、今回は佐渡産コシヒカリ「朱鷺と暮らす郷」を天日干しした稀少な「お達者米」をぬか釜で炊き上げた「おにぎり」の試食及びお米の販売も行います。

雨天延期の場合も、屋内(西日暮里ふれあい館)で鬼太鼓等は実施予定です。みなさまお誘い合わせの上、是非ご来場ください。

【問い合せ先】
地域振興課移住交流推進係 TEL:0259-63-4152

冠新道商興会(山本様)
TEL:03-3893-5767

当日11時00分には、佐渡高校同窓会関東支部第20回総会・懇親会が千代田区に在る学士会館に於いて開催されます。
 記念講演は、劇団東京ヴォードヴィルショー 佐藤 稔 先生の予定。

 台風24号の進路並びに進み速度が心配です。

 両イベントともに成功をお祈りいたします。

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久しぶりに逗子へ(その2)

2018-09-23 18:27:44 | Weblog
 昨日、久しぶりに海岸まで歩いた(と言っても片道200mほど)。最近歩いていないので、足が思うように動かない。ふらふらしている。
 これではいけないと思い、今日は午後3時半過ぎから、普通の歩き速度で10分ほどに在る葉山マリーナ並びに葉山港の突堤までゆっくりと歩いた。
 

葉山港日本ヨット発祥の地の石碑。


葉山マリーナにあるヨット。


葉山マリーナ第2港。

 大学のヨットレースがあったようで突堤まで行く間に、慶応大、中央大、明治大、早稲田大、駒大、東大等々のヨットが港に帰ってくる。


早稲田のヨットが港に入ってくる。ほとんど風がないので苦労している。


東大のヨットは、モーターボートに引かれて帰ってきた。

この付近には、各大学ヨット部の建物が多くみられる。




突堤の先端に在る灯台。


突堤から観る逗子湾。


突堤まで歩くレオちゃん。


突堤から観る夕景。熱海方面は雨が降っているようだ。

 突堤の閉場時刻は、午後6時とのこと。
 ゆっくりと帰ってきた。約2時間。スマホでは5017歩を示していた。

 “歳を取ってから運動をしていないと歩けなくなる”とよく言われることが、身を持って体験したここ2~3日の出来事でした。

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久しぶりに逗子へ

2018-09-22 12:35:22 | Weblog
 8月お盆の休日以来久しぶりに、昨夕逗子に。

 到着してすぐにカーテンを開けると、海岸べたに在った4階建ての○○保養所ビルが解体中、1階を残すのみとなっていました。
 そして大崎公園、稲村ケ崎海岸や湘南海岸まで見えるではないか。


大崎半島から湘南海岸方面まで観える。(2枚の写真を合成) 所は、左側にクレーン車が見えるところ。
 ベランダからの眺めが素晴らしく開けた。
 解体後何になるんだろう。

 昨日午前に、東京山手メディカルセンターに行き、ステンを抜いたところを診察してもらった。T先生の外来受付日でないのに診察室に来て見てくれた。別に異常がみられなかったので、消毒し終了。
 大変親切な先生ですので安心しています。後は、26日の抜糸だけとなりました。
ありがとうございました。

22日、逗子海岸の夕陽です。








 

 
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胸に入っているステンレスを抜く。

2018-09-19 15:31:33 | Weblog
 今から14年前の平成16年12月16日、新宿区新大久保に在る東京山手メディカルセンター(旧社会保険中央総合病院)で心臓バイパス手術を行い、順調に来ていましたが、今年に入ってあばら骨を結んでいるステンレスの針金4つの内の上部の一つが、上皮側に刺激を与えるようになり、時々ウズラの卵ほどのこぶができるようになった。
 このままでも大丈夫とのことでしたが、気持ち良いものでないため、今日19日、切開しステンレスを抜くこととなった。
 
 心臓外科の先生は、週一回の外来診療のため今日となり、朝9時前に処置室に通された。


心臓外科室の入口。

 当時手術を担当したT心臓外科部長と助手の先生、看護師の3人で、直ぐに局所麻酔を注射して切開が始まった。
 結んであるステンの一方を切断し、他方をペンチでぐいぐいと引っ張る状態でした。
 こちらが時々痛がるので、再度局所麻酔注射をするなど助手の先生と苦労をしていたが、約20分ほどですべてが抜けた。
 術後は、助手の先生と看護師が、消毒をしておしまいだった。すべてが30分ほどで終了。

 看護師に抜いたステンレスを記念に取っておきたいのでと申したら、捨てたところから取り出そうとするがうまく出ない。その内にT先生がいらして、ひっくり返してとってくれ、消毒のされたガーゼに包んでビニール袋に入れ手渡された。
 それが次の写真です。


家で熱湯で再度消毒し撮影。

 太くてびっくり。一方の先端は切り取っていますが、長さは約6cmもありました。

 切開部分は、約2.5cmとのこと。抜糸は来週水曜日。


切開した部分。この下の手術跡は、14年ほど前のバイパス手術跡です。

胸には、あと3本のステンレスが入っています。 

 手術後T先生の部屋でいろいろとお話頂きました。
 このステンレスを抜く手術は、2十数年前に母校に居た時に一回経験があるのみで、今回が2例目とのこと。
 年齢とともに表面に出てきたものかしら? もう無理をしないで行こうと思っています。
家内が手術室の前で心配して待っていてくれた。ありがとう。

 
 
   
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ふるさと佐渡へ(その2)

2018-09-18 08:00:49 | Weblog
 16日、ホテル八幡館で目を醒ますと、雲が若干あるが日も差している。
 兄の一周忌の法事が始まる前に、佐渡に帰ると欠かしたことのない「真野御陵へ参拝」をするため、早めに朝食会場の7階のレストランに上がった。
 隣りの屋上に出ると真野湾がきれいに見える。


八幡館屋上から望む真野湾。手前の赤松林地区は八幡館の敷地で大変展望の良い場所。

 北側を見ると、金北山、妙見山が姿を見せている。


雲の上に金北山、妙見山。
 朝食のバイキングを終えると、早速ホテルを出発、隣りの真野地区に。
 実家に立ち寄る。仏壇前で手を合わせて御陵に向かう。

 御陵の駐車場で車を止めると、売店を経営している佐々木さんの奥さんが、私たちを見つけて駆け寄って挨拶。
 1分ほど立ち話して御陵に向かう。


御陵の敷地をかこっている石塀は壮観、とても広い敷地。管理は環境庁でしている。


真野御陵。順徳天皇の火葬塚である。 拝礼。

御陵の入口に在る売店の佐々木さん敷地に在る赤石が素晴らしい。


佐渡島内でこれほどまとまっている佐渡の名石“赤石”はない。

 参拝を終え、友人のT家に立ち寄る。


Tさんは、あいにく留守。広い庭は芝生で整理されている。
 庭で携帯で呼び出すが、これまた出ない。留守電を入れて退去。 その後Tさんから電話、県知事を迎えるために両津に居るとのこと。

今年2月に行われた首都圏佐渡連合会総会で講演された元楽天社長の永田先生に講演依頼のお願いの中継ぎをしてくれた友人Nさんの自宅に立ち寄る。
 お店はまだ開いていなかったが、裏の入口に回ると、早かったのでNさん夫妻は在宅。
 奥さんが主人に声をかけてくれた。久しぶりに会うKNさん。足が痛くて歩くのが難儀だとか。それでも玄関まで出てきて、家内にも挨拶してくれた。
 「お互い健康に気を付けよう」と話し、別れた。

 もう法事が始まる時間なので、急いでお寺に車を飛ばす。


 四日町に在る「海潮庵宝林寺」。住職は、数年前に亡くなり、宿根木の時宗「称光寺」住職が兼ねている。

 寺の総代「登さん」が司会して兄の一周忌の法要が始まる。
 出席者は、集落の人たち、親戚等四十名弱。
 登さんは、この寺の歴史を詳細に調査している人で、向かって右に「寺の歴史」の大きな石碑がある。
 彼が東京に住んでいた20年ほど前に二人で会っているので、法要が始まる前に挨拶。
 昔の話で盛り上がる。 今も自宅は所沢に在り、住所は佐渡だとか。

 法要は、約1時間で終わる。

 出席者の皆さんが佐和田の「浦島」に向かい、会食。14時ごろまで続く。

 法事が終了して、姉を二見まで送る。
 その足で、先日の連合会産業振興フォーラムで講演なさったホテル「吾妻」の支配人に合うため吾妻に向かった。
 途中、家内が久しぶりなので景勝の「長手岬」、「夫婦岩」に立ち寄る。


「長手岬」


「夫婦岩」 経営者の佐々木さんがいて、話しが弾む。

ホテル吾妻に立ち寄ったら、取締役支配人で先日講演してくださった「八重田さん」がちょうど事務所に居た。


ホテル吾妻の庭。
 先日の講演での内容が素晴らしかったこと、私どもも佐渡の良さを改めて確認したこと等玄関でしばらく談笑。
 3時前だったが、すでに入館の人も来ていて忙しそうだったので早々にお別れした。
 彼女は、私どもの車が見えなくなるまで手を振ってくれていた。私どもも車の窓を開け、お返しする。

 実家に立ち寄って、仏前でお別れの挨拶をし、今日の宿泊ホテル両津の「ニュー桂」に向かう。

 ホテルの浴室は、未だまばらでゆっくりとお湯につかった。


ニュー桂の本館、別館。


本館最上階4階の部屋から観る加茂湖。

 18時過ぎからレストランに行き夕食。19時からステージでは、佐渡の民謡が紹介された。


ホテルの民謡研究会の皆さんにより両津甚句を踊る。

 9時過ぎには床に入る。昨日と同じようにもう疲れてバタンキュウ。

 途中で腕時計を観たら、午前2時。隣りの家内も起きているよう。「あら、時計が泊まっている」と家内に声をかける。
 「本当に午前2時よ」とのこと。あまりに早く床に入ったので時間の感覚がマヒ。笑ってしまった。
しばらく寝付けずPCを開くが、八幡館のようにインターネットが繋がらない。
 諦めて昨日、今日の写真をしばらく眺める。

 朝食を済ませ、ホテルを出て、両津港に向かう。

 途中、近くの諏訪神社をお参り。


諏訪神社。薪能が行われる由緒ある神社。

 やや早いと思っていたが、駐車場では車がもう5重にもなっている。


我々が乗り込むおけさ丸。

 船の中で実家に宿泊した弟と合流。一緒に2階の船室に入る。


乗船し甲板に出るとカモメが迎えてくれた。

9時15分、出向。


両津港がみるみる遠ざかっていく。


おけさ灯台。


白波を立てて一路新潟港に向かう。

 12時前に新潟港に上陸。
 弟が運転して、東京に向けて出発。高速道路をひた走る。
 昼食は、実家からもらった赤飯を頬ばる。

 途中の赤城高原インターで運転を交代。今度は弟が赤飯を食べる。
 弟は、栃木県館林市に居住しているため、高崎で関越道路を下りて、館林に向かう。
 弟の自宅まで約40分。
 お土産等沢山の荷物を下ろして出発。館林インターから東北自動車道に上がる。
 途中、事故による渋滞に遭遇したが、17時過ぎに新宿の自宅に到着した。
 お互い無事てあったことを喜び、佐渡の実家、館林の弟に無事到着した旨を伝えた。
 最近、遠出をしていないためと年齢のせいか疲れ、帰ってからもお風呂に入らずにベットに入ってしまった。
 次回の佐渡行きは、いつになるか・・・。

 明日19日は、十数年前の心臓バイパス手術の時、あばら骨を結んでいるステンの針金を抜く手術を行う予定。 最近、4本のうちの一本が悪さをし出して、針金の上にこぶができるようになったため。
 
今日は、ゆっくりしよう。







 
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ふるさと佐渡へ

2018-09-16 05:45:28 | Weblog
 法事で昨夕佐渡に来ました。

 東京を9時30分頃、車で出発、新潟港発16時のフェリーで佐渡に着きました。

 途中、3連休のため、関越道路は、渋滞、高崎付近に到着するまでに2時間を要しましたが、それ以降はスムースに。

 今日16日5時過ぎに、宿泊ホテルの八幡館でPCをひらきましたら、外部と接続可能でしたので、早速、昨日の模様をお知らせします。


私たちが乗る船 ときわ丸が新潟港に入ってきました。


車から降りて、甲板に上がると、出向の合図。新潟港を離れる。


船の屋上甲板には、カモメが休んでいました。


甲板から見た佐渡汽船ターミナル。


3階の2等船室の前は、ご覧のようにとてもきれいでした。


新潟港の最後の堤防を過ぎて一路佐渡へ。

しばらく船室で休み、頃合いをみて甲板に出るともう、水津の岬を過ぎていました。


甲板から見た両津湾。


甲板から見る夕陽。金北山の方に沈んで・・・。

 両津港から実家に向かったのですが、暗くて且つナビゲーターも新潟港のままで動かず、両津市街を抜けるとき道を間違え、10分ばかりうろうろ。

 19時10分ごろ、実家に到着。仏前で手を合わせる。しばらく姉たちと雑談し、宿泊先の八幡館へ。


八幡館の玄関。


ロビー。


ロビーには、昭和天皇や秋篠宮ご夫妻が宿泊されたときの写真が飾ってある。この八幡館は、皇族の定宿で、温泉もあり、気持ち良い。

5階に通され、浴衣に着替え、早速温泉に入る。
 10時過ぎに床に入った。疲れていてパタンキュでした。

朝目覚めると太陽が上がるところ。シャッターチャンス。


5階の部屋から。

今日は、10時からお寺さんで兄の1周忌の法要。

 明日は、1番良い時刻のフェリーが取れず、朝9時過ぎの出発となるため、宿泊は両津椎崎温泉「ホテルニュー桂」です。




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ここ一週間、貸家の改装に精を・・・。

2018-09-10 10:09:24 | Weblog
 西武新宿線都立家政駅から徒歩6分ほどのところに存する建物の改修に、ここ一週間ペンキ屋さんのお手伝いをした。
 
 この土地・建物は、前所有者(小生が会社を興したころ、この地元に住んでいた内科医の養子さん)から、体調を崩しふるさと秋田に帰りたいので早急に処分してもらいたいとの申し出を受けたが、その時弊社の紹介でその建物に賃借人を紹介したばかりで、賃借人が入居したままではその期限までに売却できず、平成19年10月弊社が買取り、賃貸を続けていた。
 今年7月中旬、その賃借人が12年ぶりに建物を明け渡したので、売却の目的で改修に取り掛かったものです。
 




 建物は、隣り3軒での建売り物件だったとのこと。
 10年を超える期間賃貸していたため、内部はあらゆるところで修理が必要となっていた。

 まず、ペンキ屋さんに入ってもらい、ベランダ、車庫の鉄部、内部の窓枠、床等をきれいにしてもらう作業に入った。
私は、蛍光灯やカーテンレールの新品への交換のお手伝い。お手伝いをはじめて昨日まですでに5日。
 建物は新築から20年余り経っているので、修理を始めると次から次に「これもこれも」と交換したくなる。
 クロスの模様には趣味があるので、買い手が決まってからどうするか決めたいと思っている。

 昨日までの改修状況は、下記の写真の通りです。











 これもあれもとまだまだ新しくしたいものがあるが、このあたりで一段落と思っている。

 
 それにしてもからだが思うように動かない。足や腰が痛く、毎日アリナミンのお世話になっている。

 駅から近く、角地の物件ですので早く買い手が見つかるとうれしい。

 

 

 

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