15日は、洗ったガラスのサッシ枠や避難梯子の蓋等の金属部分にKURE5-56を噴霧してタオル切れで油液を伸ばし錆びないように配慮する。
大変な面積なので大変。疲れてしまい一服。もう午後もだいぶ廻ってしまった。
17日(火)は家内がインフルエンザの予防注射予約日、18日(水)は、東京・文京シビックホールで開催される佐渡・太鼓集団〈鼓童〉の演奏を見に行くこととしているので、16日(月)は、東京に帰らねばならない。いつもより短く、忙しい滞在だった。
そこで、16日の朝食は、前のなぎさ橋珈琲で摂ることとなった。
海岸を散歩したのち、私は、そのまま珈琲店前で椅子に座って待ち、家内は、レオちゃんを家まで連れて一度帰って行き、駆けつけた。
店前は、広い駐車場ですが、10時過ぎなのにもうほとんどいっぱいとなっている。
家内が帰ってきたので、店内に入る。
運良く、海側の席が空いており、勧められた。
席から観る富士山並びに逗子湾。外の席は、寒いので空いていた。
料理が来るまでの間、隣のドアから外に出て、逗子湾や富士山をカメラに収める。とてもきれいに観られる場所。
手前は、田越川の河口。その向こう側は、いつもレオちゃんと散歩する逗子海岸。
メニューの注文は、いつも家内の大好きなものを選んでいる。
コロワイド(株)のカードを利用できるので・・・。長とろも付いており、とても美味しい。
食事中、横浜に住む高校同級生(A女性)のことが話題に出て「6月ごろだったか、ご主人さんから電話があって君が取り、『外国旅行から帰った後、おかしくなって、リハビリに通っている。痴呆症も見られる』と言われたんだよな」「それ以降、一切電話がない。こちらからも怖くなって電話していない。彼女の一番の友人に電話してみれば、知っているかもしれないよ」となって、B同級女性になぎさ橋珈琲店から電話した。
自宅にいて電話に出た。
二人とも逗子のマンション宅には、A女性の車で他の数人と一緒に2回ほど遊びに来たことがある。
B女性は、やはり度々Aさんに電話しているそう。Aさんのことを詳細に話してくださった。
Aさんは、外国旅行中の日本に帰る前日ニューヨークのホテルに滞在中、気持ち悪くなり戻したりしたそう。帰る前日なので病院に行かず、翌日,飛行機に搭乗して日本に帰ったそう。
帰ってすぐに近くの病院に行ったら、軽い脳梗塞を起こしていたのだそう。右手が動かないそう。足は動くとのこと。言葉はやや不自由とのこと。
Bさん「私は、時々電話しているんですよ」 とのこと。 安心した。
なぎさ橋珈琲店内だったが20分ほど話してしまった。
「また後で電話するね」と言って切った。
食事の後、二人でもう一度海岸べりに出てお互い写真を撮り合う。
この寒く低い気温であるのに外のテーブルに客が入っていた。
「さあ、帰ろう」と席を立ち、家に向かった。
午後1時30分ごろ、逗子を出発。
月曜日のせいか、東京・新宿に到着するまでに2時間30分ほど掛かってしまい、午後4時前となっていた。
車の中で考えたことだが、右手が動かず、言葉が不自由のようだが、入院とか寝たきりとなっていなく、元気なようですので ″恐れていなくやはりAさんに直接お見舞いの電話をしよう″ と決心し、Aさん宅に電話を入れた。
電話口にまずご主人さんが出てくれた。
「〇〇です。ご無沙汰しています」
「〇〇ですか。こちらこそお世話になっています。電話に出られますのでちょっと待っててください」
Aさんが電話に出られるようだ。よかった。安心した。
Aさん「ご無沙汰しています」
私「午前中Bさんに電話して、Aさんのことを聞いたんです。ご主人さんがあまりよく言っていなかったから怖くて電話できなかった。すみません」
Aさん「ほんとに怖かった。2か月ほど入院したんですよ。子供が心配して」
以下、手が若干不自由、足は不自由なく歩けること。言葉は話していても以前とは違ってやや発するのが遅れる程度。リハビリは続けているとのこと。
「よかった、よかった。これからは『神からもらったもの』として、ゆったりした心をもって過ごしてください」 と言って電話を切った。
電話を切ると、直ぐにBさんに電話して『今、Aさんと電話でお見舞いの話しができました。ありがとうございました』と伝えた。
家内もAさんのご主人から電話をもらってから、「Aさんはどうなったんだろうね。ご主人さんの言葉が気になって・・・」と言っていたのが、安心したようだ。
この歳ですので、何時どんなことがあってもおかしくない。お互い気を付けることは必要で、他人に迷惑をかけないよう注意しなければならないが、これからの日々は、天から与えられた時間と思い、前向きに考えることにしようと思う。