“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

ふるさと佐渡へ 第5日目 第6日目(東京へ帰る日)

2024-08-24 17:18:20 | 文字の大きさ

朝、起きて道路に出てみると隣の入り口に、きれいな花がこちらに向かって咲いている。

フヨウ でしょうか。咲き終わったものとか蕾をいっぱいつけている。
ふるさと佐渡にこんなに長く滞在したのは独身時代以来。いつも家族で来るから実家に迷惑を掛けないよう心掛けている。
 今日(18日)は、久しぶりに中学同級生有志と会うことになっている。
 Tさん(元初代佐渡市長)には大変迷惑をかけた。帰省日の変更や宿泊先の探しまで依頼し、最後には、アースセレブレーションの予定まで入ってしまったことによる再々変更まで、大変申し訳なく思っている。
 集合先は、真野新町の喫茶店〇〇〇〇。午前11時30分となった。
 再々変更などで集まれる有志は限られる。そこで、私からのお願いで以前にお世話になった真野商工会役員の一人Nさんを誘ってよいか と問うたらOKとのこと。早速彼に連絡し、参加をお願いした。
 定刻に集合。 「カンパイ」。 
 Tさん曰く。 「このお店には今回、中止や変更で2回ほど迷惑をかけているんだ」 私「悪かったね。すみませんでした。集まっていただきありがとうございます」。 まあまあ、「カンパイ」。

 総勢5名。やはり重なる変更等で有志も限られたようだ。申し訳ない。
話は尽きない。あっという間に2時間が過ぎた。
 誰かが、「これが最後なんて言わないで、88歳に再会しましょう。皆元気でね」 の声。 「カンパイ」
 それぞれ再会を期してお別れした。
 家に帰ったらビールが入ったせいかぐったり。眠ってしまった。
 
 第6日目(東京に帰る日)
 朝、5時過ぎに目を覚ますと、弟が海岸に散歩に行くところだという。
 私 「トキのいるところを教えてくれないか。自然にいるのはまだ一度ほどで・・・」とお願いする。
 早速一眼レフカメラをぶら下げて海岸へ行く途中の松林に向かった。
 5分ほどで到着し、弟がしばらく松林の中を探す。

 海岸へ行く途中の松林。
 弟 「いたいた」。
  確かに3羽ほど松の枝に止まっている。

白い羽の3羽。

 首回りがねずみ色の1羽。
 弟は、私に教えたのち、海岸に向かって一人で「行くよ」と申し歩き出した。
 私は、しばらく観察を続けた。
 きれいな真っ白な鳥だ。素敵。などと一人思い観察し、私も海岸に歩き出した。

沢根側の方向。

西三川方面。 小木の半島はここでは見えない。
 海岸からの帰り道、グァ~ グァ~と声がする。トキの鳴き声だ。3羽づつ2組が金北山方面に向かって飛んでいく。カメラをとっさに向けたが、小さく・・・。

 みんなにトキを観たことを報告。朝食も明るい雰囲気。
 両津港発9時15分なので、皆さんに別れをしてすぐに出発した。

 両津港ではおけさ丸が大きな口を開けて待っていた。
 9時過ぎに、船に乗り込み開始。

佐渡島から離れる。「あぁ~ 今度佐渡には来れるのかなぁ~」。目頭が熱くなる。

 「さようなら」

遠くなるまで 甲板で両津港を・・・。

 カモメがいつまでもついてくる。
 カモメさん、さようなら・・・。
 新潟に上がり、弟が運転して、休むことなく関越道路まっしぐらで東京に向かう。
 途中、関越自動車道 花園ICで下に降り、近くの秩父鉄道 深谷花園駅まで弟を送り、運転を自分に代わり、東京新宿まで走り、午後4時過ぎ、自宅に無事到着した。
 早速、弟と佐渡の実家に無事到着した旨を連絡した。
 総走行距離 約750km。電気充電は二見で1度満充電にしたが、ガソリンは行くときに満タンにしたのみ。よく走るものだ。 
 友人や親せきの皆さん、いろいろとお世話様になりました。ありがとうございました。

終わり。



 

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ふるさと佐渡へ 第4日目

2024-08-23 14:35:17 | Weblog

 4日目となると布団から起きられず、朝食7時過ぎの直前まで床の中。

 今日(17日)も夕方18時からアースセレブレーションだから、午後4時過ぎまでには帰ってこなければならない。

 弟は、「最近相川鉱山に行っていない」と来る船の中で言っていたので、私「午前中に、世界遺産登録された相川金山を改めてみてこよう。帰りに二見を廻ってもう一度姉に会って来よう」と提案。

 9時前に実家を出発、10時前に相川金山入口前に到着。朝が早かったせいか駐車場もすぐに止めることができた。

 二つのコースがあったが一般のコースを選んだ。

 入ると、直ぐに幅2メートルほどの暗い下りの階段が続く。深さとして20数mぐらい下っただろうか。

 通りの横に穴がいくつかある。当時の姿を模して動いている。

ライトで照らされ、迫力ある。

 

隣りに説明文があるが読んでいられない。マイクでも若干説明している。

 

 

 

測量をしている様子。測量は非常に精密だったとか。

 

見学者の状況(後ろ向きの男性は弟)。坑道内の気温は、15℃ぐらい。外気温3Ⅰ℃ほどですから寒い。私はジャンパーを着ていました。

 

「やわらぎ」と言って、金銀鉱脈の発見を願う鉱山の祝歌を歌って景気付けている。

坑道を一周し、展示センターへ。

アリの穴のように地下に掘り下がった様子の模型。

道路に面し今でも残る坑道の入り口「宗大夫坑」跡。

「絵葉書になっている金山縦割り山は、どこへ行けば見えるのか」と案内人に聞いたところ、「もう一つのコースに入ると芝生広場に出られて見えるがこのコースでは見られない」との説明。

 「駐車場5号まで上がると裏側から観られます」とのこと。

 5号駐車場まで上がる。駐車場5号から観る金山。絵葉書とはちょっと違いますね。

この縦割れ金山は、先ほどの見学場所からやや下った場所から眺めたもの。

 車を「佐渡島の金山世界遺産登録」から江戸時代以降の遺稿大部分を占めると構成資産の範囲から除外された北沢地区に進めた。

 

鉱山からの砕石の洗浄場。コンクリートでできていて近代遺稿とみるのが妥当と思うのが、規模は大きい。

相川地区を離れ、七浦海岸へ。

七浦海岸夫婦岩海岸。 観光売店を経営している真野出身のS社長を訪ねる。元気だった。

 売店で家内が好きなノリの缶詰を数個お願いしたら真野新町の自宅にあるとのこと。帰りにもらってゆくと約束して時間がないので失礼した。

 二見地区のS家に到着。

 甥っ子が自分の経営する河原田のレストランからわざわざ出前をして待っていてくれた。私より9才上の長姉や甥っ子、姪っ子らと一緒に食事するのはしばらくないかも、と思いながらの・・・。ありがとう。

 別れづらいが1時間ちょっと で失礼した。

 実家でしばらく休憩したのち、アースセレブレーション会場に向かった。

小木港に到着すると、小木―直江津航路のこがね丸が出港するところだった。

 昨日と同じように午後5時過ぎに入場開始。

 18時開演。

今日は、昨日と同じように開演中はカメラ撮影禁止とアナウンサ。

但し、アンコール時はOKとのこと。

 今日は、ウガンダの演奏家6人による楽器演奏が主体のようだ。

 初めて聞く音楽。リズムが早い。

 

 

 座っている席を観ると、人の密度が初日よりやや下がっているように感ずる。

 昨日の出演者が一流の楽器演奏家と思われるような人たちでしたし、過去の鼓童卒業生で立派に成長している人たちの出演だったように思う。

 今日のウガンダ人6人の演奏家も立派な人たちでしょうけれども、何か2日目という感じがした。

 昨日も記したことですが、大太鼓のブオーンという音がスピーカーで大きすぎて耳を抑えてしまった。残念だった。

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第3日目

2024-08-22 14:27:53 | Weblog

朝、目を覚ますと、地元の神社に駆けつけた。

 神社は歩いて5分ほどの集落の端っこに鎮座する。

 

小さい時は、この神社周りが遊び場だった。

 本殿もしっかりしている。靴を脱いで2段ほど上がり、賽銭を入れたのち、2礼2拍手1礼のお辞儀をして下りる。

 横に廻り、彫刻を観て廻る。

元のままだ。

 朝食時に弟は話す。

 弟は5時過ぎに起き海岸まで散歩に出かけたとのこと。

 彼が話す「途中の松林で、中を覗いている男の人に会った。観ていると向こうから「トキがいるよ」と教えてくれた。自分もそこに行き、松林の中を覗くと4羽のトキが止まっていた。2羽は真っ白かったが後の2羽はややねずみ色がかっていた。 しばらく観ていると、グワーッ、グワーッと声を出して金北山の方へ飛んで行った」と。

 私「いゃ~いいところを観たね。私も帰るまでに見たい。わがふるさとの松林に巣を作っていると以前から言われているもんね」と。

 

 鼓童のアースセレブレーションは夕方の6時開演。

 鼓童役員には、以前から友人がいる。首都圏の郷土会団体役員をしているときに知り合い、佐渡に帰った時など一緒にお茶を飲んだりした大学後輩で群馬県出身。私も鼓童に寄付したりしてお付き合いを続けている。

 アースセレブレーションの実行委員に電話を入れたら、彼が実行委員長となっていた。が電話は通じず。

 16日午前、彼個人の携帯に電話を入れたら、生憎留守。しばらくしたら彼から折り返しの電話が入った。

 彼 「別の場所にいて会えないが、開演前に小木街を流す太鼓集団の演舞を観ていただきたい」と教えてくれた。ありがとう。

 そうなると、あまり時間的余裕がないようだ。歩きがゆっくりなので、中学校にも、海岸にも行きたい、と・・・。

 車で廻ることとした。朝食後、一人で直ぐに出発。

 まず、家から歩いて5分ほどにある真野陸上競技場グラウンドへ。

左側の建物は中学の体育館。佐渡一の400mグラウンド。

中学の時、ここで100m競争はもちろんのこと、400mリレーやサッカーもしました。

グラウンドから観る金北山です。とても懐かしい。

ここを見終えてから中学の正面に廻りました。

 午前9時頃だった。脇に車を止めると、先に車を止めた先生が飛び出して来て、「何か御用でしょうか。私、ここに勤務しているものですが・・・」と尋ねて来た。私、「別に用事はありません。私、昭和〇〇年の卒業生で、写真を撮らせてもらいたいんですが」 と申したら、気持ちよく「どうぞ」と言って下がって行った。

真野中学校 正面。

 正面から入ってしばらくしたところ。

真野中学校校歌が石にはめ込まれていた。懐かしい校歌です。

また、反対側には、真野中学校創立20周年記念として、2年先輩の同校卒業生で東京で教鞭をとられていたH先生の作品「かどで」がありました。

 校舎は私共が机を並べた木造建物からは建て替えられていますが、玄関頭上の校章は変わっていません。ノートを開いた真ん中にペンが描かれている素敵なものです。

 ここから新町の海岸に出てみました。

新町海岸から金北山方面を眺める。海岸は荒れ放題だが一時なくなった砂浜は残っていた。

右側から突き出ているのが二見半島。長姉は半島先のちょっと手前の白っぽい建物のある付近に住んでいる。

真野新町から真野豊田方面。

 車を国分川の先端付近まで進め、金北山を望む。右手前の建物は、国際佐渡観光ホテル「八幡館」。

国分川の川幅は昔とあまり変わらなかった。

 今日16日は、もう送り盆となってしまった。新宿中落合の梅干し屋からお土産として買っていったものを、送り盆が終わる前の朝食、仏壇から引き下げ、皆で食べようとしたら、義姉に「仏さんがまだいるのに先に食べるのか」と止められ、仏壇に返しに行った事故があった。小木に出発する前に皆で、仏壇前に備えてある瓜やナスなどを箱に入れ、大願寺に向かった。お墓にある花等を整理し新たに花等を備え、持参したものを別のところに捨て、手を合わせ仏さんを送った。

 

 小木街の流し太鼓を観るには午後3時ごろには出発しなければならないようだ。

 新潟から、実家の姪っ子が帰ってきた。数年間お会いしていないが変わっていない。

 午後3時過ぎに5人いっぱいで、実家を出発。

 駐車場がすぐに見つかり駐車。目の前はたらい船の発着場でした。

 たらい船が楽しそうに出発してゆきました。

早速、小木の街方面に向かいました。

街の中ほどまで歩むと向こうから太鼓の音が聞こえてきました。

 

 

寄付のある家でしょうか、その都度家の前に留まり、一曲演舞します。

 最後は街外れの木崎神社。

 

木崎神社では、代表の挨拶で終了でした。

 近くの小木港で16時から開演するアースセレブレーション会場に急ぐ。

 先にチケットを確保していた姪っ子たちと合流して入場を待った。

 アースセレブレーションは、青空会場。芝生広場に自由に敷物を引き座って観しょう。スピーカーを使用するようだ。

 演奏中はカメラの撮影禁止、録音禁止とのこと。但し、終了後のアンコールを2曲行うからその時はカメラ撮影OKとのことでした。したがって以下は、アンコール時の画像です。

 18時開演、途中20分の休憩をはさんで約1時間30分の太鼓演奏。迫力満点。

 芝生広場の両サイドの立見席の人たちは、リズムに合わせて体を左右に動かし、もう、リズムの虜。

 

 チケット番号が早かったため、S席の前の方を確保でき、大変見やすかった。

 翌日の新潟日報のニュースには、初日のアースセレブレーションへの入場は昨年の1.5倍の1200名と報じられていた。3日間続いた。

 難点だったと思われたことをひとつ申し上げますと、スピーカーの音量調節がうまくいっていなかったように思われました。

 笛の演奏の時、一流の演奏家でありながら大きな音を出そうとして音が割れるところがあったことは残念に思った。

 2日目も太鼓の音がスピーカーであまりにも強すぎた、ブーンとして私は、耳を抑えてしまった。

 続き。  

 

 

 

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第2日目

2024-08-21 22:05:20 | Weblog

 7時前に目が覚めると、まず家の周りを観て廻る。

 家の前の国道。北側を望む。道路は私が中学時代に広げられたかと想う。

 家は、中学時代に「もう、80年以上経っている」と言われていたから、現在すでに150~160年経過の建物と思う。中高の屋根が上段と同じく瓦屋根だったが、危険なので鉄板屋根に修繕したようだ。

 

 庭は手入れしていなかった。池があるのだが・・・。

 食事後、佐渡に渡ると欠かしたことのない真野御料への参拝に弟と車で出かけた。車で10分ほど。

 正式には、順徳院の火葬塚。同火葬塚は御料と同格の扱いで宮内庁の管理となっています。

火葬塚の外壁。

火葬塚の入り口。

 

 順徳天皇は、乱(所謂「承久の乱」と言われる)の首謀者として鎌倉幕府によって佐渡に流され、京に帰ることが叶わず、46歳で崩御、翌日、この場所で火葬し、京に帰られたと言われている。

 火葬塚に入る前の売店にある佐渡特産の赤玉石。売店経営者の奥さんにも挨拶しようと立ち寄ったが、あいにく欠席、従業員が自宅に電話を入れてくれ、お話しすることができた。ご主人の体調がすぐれないので欠席しているとのことでした。お大事に。

 帰りに街の花屋で墓参りの花束をたくさん購入する。また、実家までの帰りを利用して友人、知人数人に挨拶をして廻った。

 自宅に立ち寄り、お墓参りと実姉宅に向かう旨を告げる。

 10分ほどにある時宗大願寺に向かう。

 

 最近造られたようだ。時宗一遍上人の碑。

鐘堂。

 実家の墓に花やお線香を立てて、無事帰郷した旨を、また、皆 元気であることを報告した。

 親戚のお墓や、母の実家(昨日立ち寄った金丸のN家のお墓)の墓を廻り、花とお線香を手向けた。

 本堂に寄り、手を合わせた。

 以上でお墓参りは終わり、実姉のいる二見地区に向かった。

 ちょうどお昼ごろになってしまった。

 応接室に入り、10分間ほど話をしたがすぐに車で引き返し、甥っ子が河原田地区で経営しているレストランに入った。満員だったがあらかじめ電話していたので、端っこの席を開けてくれていた。

 食後の写真。実姉と甥っ子、姪っ子、弟、私の5人。

 1時間ほどお話しし、もう一度くるっちゃと言って別れた。

 実家に帰って一休み。

 午後4時30分ごろ、姪っ子から真野新町の炭火焼「登貴」に食事に行こうと誘われた。お付き合いのあるお店だそうで遠慮しなくてよいとのこと。

 姪っ子が気楽に注文してくれた。

 久しぶりに会うので話が弾む。

 料理も盛り沢山。食べきれず残す。疲れが出て来ている。

 1時間ほどで引き上げる。実家に帰って横になったら眠ってしまった。

 明日、明後日の二日間、鼓童が毎年夏から秋に開催する「アースセレブレーション」を実家で予約してあるとのこと。新潟に住んでいる姪っ子も帰ってくるので合わせて5名分のチケットを予約したあるので夕方,みんな一緒に小木方面に出かけようと。アースセレブレーションを観るのは初めて!!  感激。

 続き。

 

 

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第1日目

2024-08-20 12:42:14 | Weblog

  このお盆にふるさと佐渡へ向かうことになったのは、同級生のTさん(元佐渡市初代市長)との電話やり取りからだった。

 私、「あなたは、散々苦労して佐渡金山の世界遺産登録に努力したよね。それがやっと実が結びそうだね。おめでとうございます。登録が叶ったら同級生でお祝いを兼ねて有志で集まりたいね・・・」

 Tさん、「それはいいね。本当に苦労したよ。でも、もうホテルはどこも満杯のようだよ。当たってみるけど・・・。何人ぐらい集まるかなぁ~」。

 関東方面も今まで会合に集まったような人に友人のK君とともに声掛けが始まった。早速一人参加すると言ってくれたが、その他は、昨年帰ったとか、この春帰ったとかで集まりが悪かった。が私は、佐渡汽船のフェリーへの車の予約を入れ、運よく12日で予約が取れた。神奈川にお住いのK君は、私と一緒に私の車に乗ってゆくことになった。

 一方もう、佐渡金山の世界遺産登録の確定がされた後だったので、ふるさとのTさんから、「お盆の最中なのでホテルが取れない。また、宴会場が取れない」との連絡が入った。

 また、台風5号の様子がおかしい。8月6日ごろにはどうも北関東方面から秋田方面へとの予報が出たので、Tさんに宿泊場所が取れない、宴会場がないとどうしようもないので今回は中止にしよう」となってしまった。

 関東からのK君ももう一人の方も結局行かなくなってしまった。

 私は、佐渡汽船の予約を2日ずらして14日に予約しなおした。家内が一人では危ないというので、群馬にいる弟に声を掛けたら、「5年ほど佐渡に行っていないのでこのお盆に帰ろうかなと思っていたところだった。よい機会なので一緒に行きたい」と言ってくれた。

 運転代行が見つかり、安心して14日朝8時東京新宿区中落合を出発し、関越自動車道花園ICで下り、秩父鉄道線の花園IC近くの駅で弟を拾い、新潟港佐渡汽船に向かった。

 清水トンネルを過ぎたところでトイレ休憩。運転を弟と交代。

 14:00過ぎに新潟港佐渡汽船に到着した。諸手続き後、2階に上がって昼食を摂った。

 

 

新潟港佐渡汽船待合室には、佐渡出身の人間国宝佐々木象堂先生の作品「瑞鳥」や前文化庁長官宮田亮平先生の「イルカ作品」が展示されている。

 16時05分新潟港発のフェリー「おけさ丸」に乗り佐渡両津港に向かった。

佐渡に向かうおけさ丸の航跡。

船内5階の展望室内。

佐渡島が近づいてきました。

 

両津湾内に入ったところ。水津灯台。ここから両津港まで約15分かかります。

 この近くに来る前に客室から甲板に出て来て弟とベンチに座り、二人でここの思い出を語りだす。「あぁ~、ふるさと佐渡に帰って来たんだ。などなど・・・」。佐渡に在住している長姉(9拾余歳)から携帯に電話が入る。「今、どのあたりなんだっちゃ。もう佐渡に着いたのんか。首を長くして待っている」。「今、水津を過ぎたところ。もうすぐ両津だよ。ふたりとも元気だよ。〇〇に代わるね。明日、そちらに伺うね」と。いつまで経っても姉弟だね。

 車は、新潟では後部から船に乗せ、両津港では前部分が開き、車を陸にあげます。夕方の便も2階の車運搬場までほぼ満杯のようでした。

 私共は、陸に上がったのち、両津の街中を通り、本線 ⇒ 金丸線 ⇒ と。

 実家に帰る道筋には亡き母の実家のある金丸地区を通るので、先にN家に立ち寄り、仏壇で手を合わせ先祖を拝んだ。甥は、他地区で商売をしているが、午後7時を廻っていたので、自宅に帰っていた。

 しばらくお茶をご馳走になって近況を得て別れ、実家に向かった。

 実家のお姉さん、甥っ子が私たちを迎えてくれた。

 早速、仏壇の前に座り手を合わせ近況を報告した。

 続き。

 

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ふるさと佐渡に行っていました。

2024-08-19 18:54:40 | Weblog

 去る14日から今日19日まで6日間ふるさと佐渡に帰ってきました。

 車(プリウスPHV)で往復。先ほど帰ってきました。大変疲れましたので、報告は、明日からにしたいと思います。

 鼓童アースセレブレーションに2日間観しょうしたこと、世界遺産登録された佐渡金山現地を改めて見学、同期生との会合そして実家近くの松林でトキが木に留まっている状況とその林から飛び立っていく姿を実際に観た等いろんなことがございました。

 それらを順に報告したいと思います。ご期待ください。

 

 

 

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逗子海岸へ

2024-08-03 11:10:59 | Weblog

 昨日は、オレオちゃんの2か月に一回のトリーミング。

 午後4時前に出発して逗子に。

 逗子はやはり、海岸近かのせいで東京より気温が2~3℃低い。

夕日がきれい。

夕焼けが素敵。

 いつも取っている昼寝をしなかったせいか、疲れがひどい。リビングで横になってウトウトとなってしまった。10時前に夕食をとる。

 今日のオリンピック成績、フェンシング女子団体銅メタル素晴らしい。柔道斎藤、残念。

 3日朝、逗子海岸を散歩。

 レオちゃん、毛を短く切ってもらい、素敵な足。地元で散歩しているとき、後ろから来たお姉さんに「モデルさんが歩いているようだ」と褒められたことがあった。長い足で素敵に歩く姿は確かにきれい。散歩しているときには人に吠え付くことはない。言うことをほとんど理解する頭の良い犬です。

 夏休み土曜日のせいで、海岸では、ボートやサーフィンが多い。

 

 9時になろうとしているので、遊泳可能地区には入れなくこの場所に集まっているようだ。

 穏やかな天気。逗子湾には、ボートが多く出ている。

 今日も良い天気になるようだ。ゆっくり休もう。 

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