この1月からのTBSテレビ日曜日夜の連続ドラマ「とんび」が、時々視られないことがあり、3月17日の最終回も都合で・・・。昨日、鎌倉からの帰りに本屋に立ち寄った。
本屋では、角川文庫から単行本を文庫化したものがすぐ目にとまった。
重松 清 作 「とんび」文庫。
昨夕から読み出し、鎌倉から帰って一休みしたこともあって、夜中2時過ぎまで読みふける。今日も午前中…。
時々涙がじわじわと染み出る。
ぶっきらぼうな親父ヤスさんの 息子アキラに対する情にあふれる想いやり。立派に独り立ちしてゆくアキラ。
親一人、子一人に対する住職の照雲ほか周りの人たちの温かさ。どこにでもありそうなことでしたが、涙を流さなくてはいられませんでした。
東日本大震災で母と祖母を亡くした少女が、自宅のあった場所で、9歳のときお祖母さんから買ってもらったトランペットを吹いている記事がありましたが、はや2年。その少女は、今大学で看護師を目指し、“人の役に立ちたい” と願っていることが先日報道されていました。
震災に遭われた方たちまたは同じような境遇の人に遭遇した時、周りの方は、この「とんび」に登場する住職の照雲さん、その奥さんの幸恵さん並びに“夕なぎ”のたえ子さんのように温かく手を差し伸べていただけたら と願うばかりです。
朝日新聞の記事等は、「トランペットの少女」で検索してください。
アサヒ・コム 11/04/12
私は元気だよ 家族奪った海へ、追悼のトランペット~
涙をふきながら、海に向かってZARDの「負けないで」をトランペットで吹いた・・。
瓦礫で覆われた岩手県陸前高田市。佐々木瑠璃さん(17)は11日、自宅跡に立ち、行方不明者の捜索が続く海に向かってZARDの「負けないで」をトランペットで吹いた。津波で母親の宜子さん(43)、祖母の隆子さん(75)を亡くし、祖父の廣道さん(76)は行方不明のままだ。「私は元気だから、心配しないで」。涙をふきながら、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめた。
↓↓岩手県陸前高田市の自宅跡でトランペットを吹いた後、涙ぐむ佐々木瑠璃さん(17)。母親の宜子さん(43)と祖母の隆子さん(75)を亡くした。祖父の佐々木広道さん(76)は行方不明のままだ=11日午後、森井英二郎撮影
東日本大震災から1カ月後、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってトランペットを吹いていた少女がいた。震災から70日たった20日、少女は東京オペラシティの舞台に立った。聴衆約1500人に披露したのは、あの時、天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
この1枚の写真が、プロの音楽家の目にとまったのが、きっかけとなった。
岩手の少女、天国の母へ涙のトランペット
アサヒ・コム 11/05/21
http://video.asahi.com/viewvideo.jspx?Movie=48464141/48464141peevee391097.flv
被災地で演奏する姿が朝日新聞(東京本社発行)に掲載された縁で招待された慈善コンサート「故郷(ふるさと)」。被災地出身のプロの音楽家らが企画した。
制服姿で舞台に立った岩手県立大船渡高校3年の佐々木瑠璃さん(17)は「負けないで」の後に「威風堂々」、そしてアンコールの「故郷」を吹いた。
父の隆道(たかみち)さん(48)、弟の証道(しょうどう)さん(15)も見守った舞台。「故郷」では演奏に聴衆の合唱が加わり、被災地や天国へ届ける歌が会場を包み込んだ。
「負けないで」の演奏中、何度か涙を拭った。舞台を退いた後も鳴りやまぬ拍手に再び壇上に上がると、こらえきれずに顔を覆って号泣した。
演奏後は募金箱を手に会場前に立った。すっかり涙は引き、笑顔で「お願いします」と呼びかけた。
トランペットは、津波で亡くなった祖母隆子(りゅうこ)さん(75)に、9歳のとき買ってもらった「宝物」。やはり津波で命を落とした母宜子さん(43)も音楽好きだった。
「こんなに大きなホールで演奏するなんて初めてだし、多分、一生に一度のこと。しかも、プロの演奏家の方たちに囲まれて……。でも、天国のお母さんやおばあちゃんがそばにいてくれるから心強い」
今も時々、「受け入れたくない現実に押しつぶされそうになることがある」という。でも、吹奏楽部の仲間と一緒に楽器を吹けば気が紛れる。「トランペットって不思議。演奏する方も、聴く方も楽しい気持ちになれる。だから、趣味で一生、続けていきたい」
「悲しくなったら、思い切り泣いていいんだよね」と励まし合う友人たちが「頑張って」と送り出してくれた舞台。「家族を亡くし、家を失い、これからどうやって生きていけばいいかわからない人がたくさんいる。コンサートをきっかけに、少しでも支援の輪が広がったらうれしい」
開演前には記者会見に臨んだ。詰めかけた報道陣約20人、テレビカメラ6台を前に、佐々木さんは伏し目がちに、しかし、しっかりした口調で話した。
15分間ほどで終わった後、「少しは東京でリラックスできそう?」と記者が声をかけた。「明日、震災で親を亡くして東京に引っ越した友人と会う約束をしているんです」。目尻を下げてほおを緩めた。
どこにでもいる17歳の笑顔だった。
震災時、高校2年の終わりだった彼女は、あの後、「医者になる」という夢を叶えるべく、悲しみの中、勉強を再開したそうです。震災によって一度はその夢をあきらめかけたそうですが、「せっかく母や祖父母があんなに応援してくれていたのに、ここで投げだしたら自分が高校3年間努力してきた意味もなくなってしまう」と、「母との約束」を思い出したんですね。震災1年を前に受験に挑戦しましたが、結果は「不合格」。でも、「もし医学部に受からなかったら看護学部を受験して看護師を目指す」という、これも「母との約束」のもと、その後、看護学部を受験し、こちらは見事合格。今は、福島県立医科大学の看護学部で勉強しているそうです。