“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

ふるさと佐渡へ 第4日目

2024-08-23 14:35:17 | Weblog

 4日目となると布団から起きられず、朝食7時過ぎの直前まで床の中。

 今日(17日)も夕方18時からアースセレブレーションだから、午後4時過ぎまでには帰ってこなければならない。

 弟は、「最近相川鉱山に行っていない」と来る船の中で言っていたので、私「午前中に、世界遺産登録された相川金山を改めてみてこよう。帰りに二見を廻ってもう一度姉に会って来よう」と提案。

 9時前に実家を出発、10時前に相川金山入口前に到着。朝が早かったせいか駐車場もすぐに止めることができた。

 二つのコースがあったが一般のコースを選んだ。

 入ると、直ぐに幅2メートルほどの暗い下りの階段が続く。深さとして20数mぐらい下っただろうか。

 通りの横に穴がいくつかある。当時の姿を模して動いている。

ライトで照らされ、迫力ある。

 

隣りに説明文があるが読んでいられない。マイクでも若干説明している。

 

 

 

測量をしている様子。測量は非常に精密だったとか。

 

見学者の状況(後ろ向きの男性は弟)。坑道内の気温は、15℃ぐらい。外気温3Ⅰ℃ほどですから寒い。私はジャンパーを着ていました。

 

「やわらぎ」と言って、金銀鉱脈の発見を願う鉱山の祝歌を歌って景気付けている。

坑道を一周し、展示センターへ。

アリの穴のように地下に掘り下がった様子の模型。

道路に面し今でも残る坑道の入り口「宗大夫坑」跡。

「絵葉書になっている金山縦割り山は、どこへ行けば見えるのか」と案内人に聞いたところ、「もう一つのコースに入ると芝生広場に出られて見えるがこのコースでは見られない」との説明。

 「駐車場5号まで上がると裏側から観られます」とのこと。

 5号駐車場まで上がる。駐車場5号から観る金山。絵葉書とはちょっと違いますね。

この縦割れ金山は、先ほどの見学場所からやや下った場所から眺めたもの。

 車を「佐渡島の金山世界遺産登録」から江戸時代以降の遺稿大部分を占めると構成資産の範囲から除外された北沢地区に進めた。

 

鉱山からの砕石の洗浄場。コンクリートでできていて近代遺稿とみるのが妥当と思うのが、規模は大きい。

相川地区を離れ、七浦海岸へ。

七浦海岸夫婦岩海岸。 観光売店を経営している真野出身のS社長を訪ねる。元気だった。

 売店で家内が好きなノリの缶詰を数個お願いしたら真野新町の自宅にあるとのこと。帰りにもらってゆくと約束して時間がないので失礼した。

 二見地区のS家に到着。

 甥っ子が自分の経営する河原田のレストランからわざわざ出前をして待っていてくれた。私より9才上の長姉や甥っ子、姪っ子らと一緒に食事するのはしばらくないかも、と思いながらの・・・。ありがとう。

 別れづらいが1時間ちょっと で失礼した。

 実家でしばらく休憩したのち、アースセレブレーション会場に向かった。

小木港に到着すると、小木―直江津航路のこがね丸が出港するところだった。

 昨日と同じように午後5時過ぎに入場開始。

 18時開演。

今日は、昨日と同じように開演中はカメラ撮影禁止とアナウンサ。

但し、アンコール時はOKとのこと。

 今日は、ウガンダの演奏家6人による楽器演奏が主体のようだ。

 初めて聞く音楽。リズムが早い。

 

 

 座っている席を観ると、人の密度が初日よりやや下がっているように感ずる。

 昨日の出演者が一流の楽器演奏家と思われるような人たちでしたし、過去の鼓童卒業生で立派に成長している人たちの出演だったように思う。

 今日のウガンダ人6人の演奏家も立派な人たちでしょうけれども、何か2日目という感じがした。

 昨日も記したことですが、大太鼓のブオーンという音がスピーカーで大きすぎて耳を抑えてしまった。残念だった。

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第3日目

2024-08-22 14:27:53 | Weblog

朝、目を覚ますと、地元の神社に駆けつけた。

 神社は歩いて5分ほどの集落の端っこに鎮座する。

 

小さい時は、この神社周りが遊び場だった。

 本殿もしっかりしている。靴を脱いで2段ほど上がり、賽銭を入れたのち、2礼2拍手1礼のお辞儀をして下りる。

 横に廻り、彫刻を観て廻る。

元のままだ。

 朝食時に弟は話す。

 弟は5時過ぎに起き海岸まで散歩に出かけたとのこと。

 彼が話す「途中の松林で、中を覗いている男の人に会った。観ていると向こうから「トキがいるよ」と教えてくれた。自分もそこに行き、松林の中を覗くと4羽のトキが止まっていた。2羽は真っ白かったが後の2羽はややねずみ色がかっていた。 しばらく観ていると、グワーッ、グワーッと声を出して金北山の方へ飛んで行った」と。

 私「いゃ~いいところを観たね。私も帰るまでに見たい。わがふるさとの松林に巣を作っていると以前から言われているもんね」と。

 

 鼓童のアースセレブレーションは夕方の6時開演。

 鼓童役員には、以前から友人がいる。首都圏の郷土会団体役員をしているときに知り合い、佐渡に帰った時など一緒にお茶を飲んだりした大学後輩で群馬県出身。私も鼓童に寄付したりしてお付き合いを続けている。

 アースセレブレーションの実行委員に電話を入れたら、彼が実行委員長となっていた。が電話は通じず。

 16日午前、彼個人の携帯に電話を入れたら、生憎留守。しばらくしたら彼から折り返しの電話が入った。

 彼 「別の場所にいて会えないが、開演前に小木街を流す太鼓集団の演舞を観ていただきたい」と教えてくれた。ありがとう。

 そうなると、あまり時間的余裕がないようだ。歩きがゆっくりなので、中学校にも、海岸にも行きたい、と・・・。

 車で廻ることとした。朝食後、一人で直ぐに出発。

 まず、家から歩いて5分ほどにある真野陸上競技場グラウンドへ。

左側の建物は中学の体育館。佐渡一の400mグラウンド。

中学の時、ここで100m競争はもちろんのこと、400mリレーやサッカーもしました。

グラウンドから観る金北山です。とても懐かしい。

ここを見終えてから中学の正面に廻りました。

 午前9時頃だった。脇に車を止めると、先に車を止めた先生が飛び出して来て、「何か御用でしょうか。私、ここに勤務しているものですが・・・」と尋ねて来た。私、「別に用事はありません。私、昭和〇〇年の卒業生で、写真を撮らせてもらいたいんですが」 と申したら、気持ちよく「どうぞ」と言って下がって行った。

真野中学校 正面。

 正面から入ってしばらくしたところ。

真野中学校校歌が石にはめ込まれていた。懐かしい校歌です。

また、反対側には、真野中学校創立20周年記念として、2年先輩の同校卒業生で東京で教鞭をとられていたH先生の作品「かどで」がありました。

 校舎は私共が机を並べた木造建物からは建て替えられていますが、玄関頭上の校章は変わっていません。ノートを開いた真ん中にペンが描かれている素敵なものです。

 ここから新町の海岸に出てみました。

新町海岸から金北山方面を眺める。海岸は荒れ放題だが一時なくなった砂浜は残っていた。

右側から突き出ているのが二見半島。長姉は半島先のちょっと手前の白っぽい建物のある付近に住んでいる。

真野新町から真野豊田方面。

 車を国分川の先端付近まで進め、金北山を望む。右手前の建物は、国際佐渡観光ホテル「八幡館」。

国分川の川幅は昔とあまり変わらなかった。

 今日16日は、もう送り盆となってしまった。新宿中落合の梅干し屋からお土産として買っていったものを、送り盆が終わる前の朝食、仏壇から引き下げ、皆で食べようとしたら、義姉に「仏さんがまだいるのに先に食べるのか」と止められ、仏壇に返しに行った事故があった。小木に出発する前に皆で、仏壇前に備えてある瓜やナスなどを箱に入れ、大願寺に向かった。お墓にある花等を整理し新たに花等を備え、持参したものを別のところに捨て、手を合わせ仏さんを送った。

 

 小木街の流し太鼓を観るには午後3時ごろには出発しなければならないようだ。

 新潟から、実家の姪っ子が帰ってきた。数年間お会いしていないが変わっていない。

 午後3時過ぎに5人いっぱいで、実家を出発。

 駐車場がすぐに見つかり駐車。目の前はたらい船の発着場でした。

 たらい船が楽しそうに出発してゆきました。

早速、小木の街方面に向かいました。

街の中ほどまで歩むと向こうから太鼓の音が聞こえてきました。

 

 

寄付のある家でしょうか、その都度家の前に留まり、一曲演舞します。

 最後は街外れの木崎神社。

 

木崎神社では、代表の挨拶で終了でした。

 近くの小木港で16時から開演するアースセレブレーション会場に急ぐ。

 先にチケットを確保していた姪っ子たちと合流して入場を待った。

 アースセレブレーションは、青空会場。芝生広場に自由に敷物を引き座って観しょう。スピーカーを使用するようだ。

 演奏中はカメラの撮影禁止、録音禁止とのこと。但し、終了後のアンコールを2曲行うからその時はカメラ撮影OKとのことでした。したがって以下は、アンコール時の画像です。

 18時開演、途中20分の休憩をはさんで約1時間30分の太鼓演奏。迫力満点。

 芝生広場の両サイドの立見席の人たちは、リズムに合わせて体を左右に動かし、もう、リズムの虜。

 

 チケット番号が早かったため、S席の前の方を確保でき、大変見やすかった。

 翌日の新潟日報のニュースには、初日のアースセレブレーションへの入場は昨年の1.5倍の1200名と報じられていた。3日間続いた。

 難点だったと思われたことをひとつ申し上げますと、スピーカーの音量調節がうまくいっていなかったように思われました。

 笛の演奏の時、一流の演奏家でありながら大きな音を出そうとして音が割れるところがあったことは残念に思った。

 2日目も太鼓の音がスピーカーであまりにも強すぎた、ブーンとして私は、耳を抑えてしまった。

 続き。  

 

 

 

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第2日目

2024-08-21 22:05:20 | Weblog

 7時前に目が覚めると、まず家の周りを観て廻る。

 家の前の国道。北側を望む。道路は私が中学時代に広げられたかと想う。

 家は、中学時代に「もう、80年以上経っている」と言われていたから、現在すでに150~160年経過の建物と思う。中高の屋根が上段と同じく瓦屋根だったが、危険なので鉄板屋根に修繕したようだ。

 

 庭は手入れしていなかった。池があるのだが・・・。

 食事後、佐渡に渡ると欠かしたことのない真野御料への参拝に弟と車で出かけた。車で10分ほど。

 正式には、順徳院の火葬塚。同火葬塚は御料と同格の扱いで宮内庁の管理となっています。

火葬塚の外壁。

火葬塚の入り口。

 

 順徳天皇は、乱(所謂「承久の乱」と言われる)の首謀者として鎌倉幕府によって佐渡に流され、京に帰ることが叶わず、46歳で崩御、翌日、この場所で火葬し、京に帰られたと言われている。

 火葬塚に入る前の売店にある佐渡特産の赤玉石。売店経営者の奥さんにも挨拶しようと立ち寄ったが、あいにく欠席、従業員が自宅に電話を入れてくれ、お話しすることができた。ご主人の体調がすぐれないので欠席しているとのことでした。お大事に。

 帰りに街の花屋で墓参りの花束をたくさん購入する。また、実家までの帰りを利用して友人、知人数人に挨拶をして廻った。

 自宅に立ち寄り、お墓参りと実姉宅に向かう旨を告げる。

 10分ほどにある時宗大願寺に向かう。

 

 最近造られたようだ。時宗一遍上人の碑。

鐘堂。

 実家の墓に花やお線香を立てて、無事帰郷した旨を、また、皆 元気であることを報告した。

 親戚のお墓や、母の実家(昨日立ち寄った金丸のN家のお墓)の墓を廻り、花とお線香を手向けた。

 本堂に寄り、手を合わせた。

 以上でお墓参りは終わり、実姉のいる二見地区に向かった。

 ちょうどお昼ごろになってしまった。

 応接室に入り、10分間ほど話をしたがすぐに車で引き返し、甥っ子が河原田地区で経営しているレストランに入った。満員だったがあらかじめ電話していたので、端っこの席を開けてくれていた。

 食後の写真。実姉と甥っ子、姪っ子、弟、私の5人。

 1時間ほどお話しし、もう一度くるっちゃと言って別れた。

 実家に帰って一休み。

 午後4時30分ごろ、姪っ子から真野新町の炭火焼「登貴」に食事に行こうと誘われた。お付き合いのあるお店だそうで遠慮しなくてよいとのこと。

 姪っ子が気楽に注文してくれた。

 久しぶりに会うので話が弾む。

 料理も盛り沢山。食べきれず残す。疲れが出て来ている。

 1時間ほどで引き上げる。実家に帰って横になったら眠ってしまった。

 明日、明後日の二日間、鼓童が毎年夏から秋に開催する「アースセレブレーション」を実家で予約してあるとのこと。新潟に住んでいる姪っ子も帰ってくるので合わせて5名分のチケットを予約したあるので夕方,みんな一緒に小木方面に出かけようと。アースセレブレーションを観るのは初めて!!  感激。

 続き。

 

 

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第1日目

2024-08-20 12:42:14 | Weblog

  このお盆にふるさと佐渡へ向かうことになったのは、同級生のTさん(元佐渡市初代市長)との電話やり取りからだった。

 私、「あなたは、散々苦労して佐渡金山の世界遺産登録に努力したよね。それがやっと実が結びそうだね。おめでとうございます。登録が叶ったら同級生でお祝いを兼ねて有志で集まりたいね・・・」

 Tさん、「それはいいね。本当に苦労したよ。でも、もうホテルはどこも満杯のようだよ。当たってみるけど・・・。何人ぐらい集まるかなぁ~」。

 関東方面も今まで会合に集まったような人に友人のK君とともに声掛けが始まった。早速一人参加すると言ってくれたが、その他は、昨年帰ったとか、この春帰ったとかで集まりが悪かった。が私は、佐渡汽船のフェリーへの車の予約を入れ、運よく12日で予約が取れた。神奈川にお住いのK君は、私と一緒に私の車に乗ってゆくことになった。

 一方もう、佐渡金山の世界遺産登録の確定がされた後だったので、ふるさとのTさんから、「お盆の最中なのでホテルが取れない。また、宴会場が取れない」との連絡が入った。

 また、台風5号の様子がおかしい。8月6日ごろにはどうも北関東方面から秋田方面へとの予報が出たので、Tさんに宿泊場所が取れない、宴会場がないとどうしようもないので今回は中止にしよう」となってしまった。

 関東からのK君ももう一人の方も結局行かなくなってしまった。

 私は、佐渡汽船の予約を2日ずらして14日に予約しなおした。家内が一人では危ないというので、群馬にいる弟に声を掛けたら、「5年ほど佐渡に行っていないのでこのお盆に帰ろうかなと思っていたところだった。よい機会なので一緒に行きたい」と言ってくれた。

 運転代行が見つかり、安心して14日朝8時東京新宿区中落合を出発し、関越自動車道花園ICで下り、秩父鉄道線の花園IC近くの駅で弟を拾い、新潟港佐渡汽船に向かった。

 清水トンネルを過ぎたところでトイレ休憩。運転を弟と交代。

 14:00過ぎに新潟港佐渡汽船に到着した。諸手続き後、2階に上がって昼食を摂った。

 

 

新潟港佐渡汽船待合室には、佐渡出身の人間国宝佐々木象堂先生の作品「瑞鳥」や前文化庁長官宮田亮平先生の「イルカ作品」が展示されている。

 16時05分新潟港発のフェリー「おけさ丸」に乗り佐渡両津港に向かった。

佐渡に向かうおけさ丸の航跡。

船内5階の展望室内。

佐渡島が近づいてきました。

 

両津湾内に入ったところ。水津灯台。ここから両津港まで約15分かかります。

 この近くに来る前に客室から甲板に出て来て弟とベンチに座り、二人でここの思い出を語りだす。「あぁ~、ふるさと佐渡に帰って来たんだ。などなど・・・」。佐渡に在住している長姉(9拾余歳)から携帯に電話が入る。「今、どのあたりなんだっちゃ。もう佐渡に着いたのんか。首を長くして待っている」。「今、水津を過ぎたところ。もうすぐ両津だよ。ふたりとも元気だよ。〇〇に代わるね。明日、そちらに伺うね」と。いつまで経っても姉弟だね。

 車は、新潟では後部から船に乗せ、両津港では前部分が開き、車を陸にあげます。夕方の便も2階の車運搬場までほぼ満杯のようでした。

 私共は、陸に上がったのち、両津の街中を通り、本線 ⇒ 金丸線 ⇒ と。

 実家に帰る道筋には亡き母の実家のある金丸地区を通るので、先にN家に立ち寄り、仏壇で手を合わせ先祖を拝んだ。甥は、他地区で商売をしているが、午後7時を廻っていたので、自宅に帰っていた。

 しばらくお茶をご馳走になって近況を得て別れ、実家に向かった。

 実家のお姉さん、甥っ子が私たちを迎えてくれた。

 早速、仏壇の前に座り手を合わせ近況を報告した。

 続き。

 

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ふるさと佐渡に行っていました。

2024-08-19 18:54:40 | Weblog

 去る14日から今日19日まで6日間ふるさと佐渡に帰ってきました。

 車(プリウスPHV)で往復。先ほど帰ってきました。大変疲れましたので、報告は、明日からにしたいと思います。

 鼓童アースセレブレーションに2日間観しょうしたこと、世界遺産登録された佐渡金山現地を改めて見学、同期生との会合そして実家近くの松林でトキが木に留まっている状況とその林から飛び立っていく姿を実際に観た等いろんなことがございました。

 それらを順に報告したいと思います。ご期待ください。

 

 

 

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逗子海岸へ

2024-08-03 11:10:59 | Weblog

 昨日は、オレオちゃんの2か月に一回のトリーミング。

 午後4時前に出発して逗子に。

 逗子はやはり、海岸近かのせいで東京より気温が2~3℃低い。

夕日がきれい。

夕焼けが素敵。

 いつも取っている昼寝をしなかったせいか、疲れがひどい。リビングで横になってウトウトとなってしまった。10時前に夕食をとる。

 今日のオリンピック成績、フェンシング女子団体銅メタル素晴らしい。柔道斎藤、残念。

 3日朝、逗子海岸を散歩。

 レオちゃん、毛を短く切ってもらい、素敵な足。地元で散歩しているとき、後ろから来たお姉さんに「モデルさんが歩いているようだ」と褒められたことがあった。長い足で素敵に歩く姿は確かにきれい。散歩しているときには人に吠え付くことはない。言うことをほとんど理解する頭の良い犬です。

 夏休み土曜日のせいで、海岸では、ボートやサーフィンが多い。

 

 9時になろうとしているので、遊泳可能地区には入れなくこの場所に集まっているようだ。

 穏やかな天気。逗子湾には、ボートが多く出ている。

 今日も良い天気になるようだ。ゆっくり休もう。 

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「佐渡島の金山」世界遺産登録に決定。

2024-07-27 14:17:48 | Weblog

 インド・ニューデリーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、27日、ふるさと佐渡の「佐渡島(さど)の金山」について、世界文化遺産への登録を協議した結果、世界遺産に登録することが決定されました。

 日本時間、7日13時40分から新潟県が現地からパブリックビューイングで流したのをPCで見ていて、ブルガリア委員から修正案が流れた(結果は賛成だった)ので耳を澄ませて聞き入った。他には意見がなく、司会者は登録を決議。 手を叩いて喜んだ。

「佐渡島の金山を世界遺産へ」と運動が始まってから長い道のりだった。

 この感激は何とも言えない。

 お盆の8月には、佐渡に帰る予定。故郷で友と祝いたい。

 

 

パブリックビューイングで流れたものをカメラで収めたもの。

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素晴らしいボーイスカート団員たち。

2024-07-14 18:57:32 | Weblog

 7月14日(日)、寝坊して9時を廻ってから海岸に行った。先に記したように遊泳区間内には、9時を廻るとワンちゃんを入れてはいけないルールとなっているので、海に向かって左側の遊泳禁止区間内の砂浜をプラプラしていた。

  連休のため、遊泳区間では多くの人たちがすでに集まっているし、遊泳禁止区間では、SUPサーフィンで沖へ向かう集団が楽しそうに出かけて行った。

SUPサーフィン集団が楽しそうに沖に向かって出発。

そんな中、田越川方向を観ると、4人ほどのボーイスカートらしき少年が空き缶などを拾っている姿が目に入った。

30mほど離れたところから望遠で撮影。 もうビニール袋がいっぱいになっている。

 だんだん、私のいるところに近づいてきた。

 先に来た一人には「ご苦労様です。ありがとうございます」。

 次に近づいてきた一人は、どうもリーダーらしかったので、「ご苦労様です。ありがとうございます。どちらからいらしたのですか」と声を掛けたら、彼「東京千代田区からです」と申す。「私も東京からです」と。肩の記章を観たら「ボーイスカート日本連盟 CHIYODA 第6団 神田」。

 「ありがとうございます」。「肩の記章を撮らしていただけますか。私、もう20年、ブログを発しているので、紹介していいかしら?」と申したら、「ああ~、いいですよ。ブログの名前は?」と問うので、紹介したら。携帯ですぐに探す。「これかしら?」と。

 彼が肩に着けていた記章。 なんとさわやかな少年でしょう。まだ高校生でしょうか。 

 連休でみんな遊びたい時期、今朝、東京から逗子海岸に到着したようで、人数を聞いたら、荷物の番をしている一人を入れて5名ほどで逗子海岸に来たとのこと。

 ほんとうに「ありがとう」と心からお礼を申し上げた。

 逗子海岸で遊ぶ方々には、ごみを持ち帰るようご協力くださるようお願いしたいものです。

 

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なんて晴れ男なんでしょう!!

2024-07-14 14:01:29 | Weblog

 ここ3~4日の天候は梅雨空で、12日の塀の工事作業は不可能と前もって連絡があったので、出かけることにした。

 12日夕方から雨が強くなるとの予報だった。確かに12日午前中、横横高速道路を通過しているときに、スコールみたいに叩きつけるような雨脚の強い状態があったが、逗子に着くと雨は止んでいた。

 午後4時過ぎ、犬の散歩も予定通り海岸に行くことができた。

 

 

曇り空だったが・・・。

 翌13日は、ご覧のように朝から大変良い天気となった。

 なんて晴れ男なんだろう。

 

 

レオちゅんも元気に・・・。

 

いつも会う犬・・・。素晴らしい。

 

 午前9時から午後5時までの間、遊泳区間内には犬を入れてはいけないことになっている。

 もうすぐ午前9時なので急いで区域外に出た。それにしても良い天気になったものだ。

 午後には曇ってくるような予報もあるようだが、いつも晴れ男と言われる。 

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朝ドラ「虎に翼」主人公モデル、元新潟家裁所長の三淵嘉子さんの寄稿発見!の記事

2024-06-26 17:12:36 | Weblog

 新潟日報のデジタル記事をあさっていたら、6月21日付けで首記の記事が掲載されていました。

 小生、朝ドラに取りつかれてしまい、月曜日から土曜日まで規則正しく起きてテレビの前にいます。 朝ドラをこんなに欠かさず見ているのは初めて・・・。

 最近では、判事補となって家庭裁判所の仕事も滑り出し、ちょうど家庭の離婚騒動が取り上げられています。

 新潟で見つかった記事では、こんなことが書かれています。

日本の法曹界史上初の女性裁判所長として1972〜73年に新潟家庭裁判所長を務めた三淵嘉子さんが、仕事や育児に奮闘する女性たちへのエールをつづったエッセイを、新潟県の地元紙「新潟日報」に寄稿していました。

三淵さんは、新潟での仕事や暮らしを振り返るとともに、新潟家裁での調停を通じて感じた「新潟の女性の逞(たくま)しさ」を、エッセーで率直に語っています。

 新潟家庭裁判所の調停を通じて感じたことは、新潟の女性の逞(たくま)しさです。妻から家庭裁判所に申し立てる離婚のケースで、夫がだらしなく、かい性がないことを理由にするのが目立ちました。
 そんな夫に愛想をつかした妻は、財産分与も子供の養育料もいりません、子供は私が引き取って育てますというのです。手に職があるわけでもない家事専業の妻が、別れた後どうして暮らしを立てていくのかしら、と案ずる私の杞憂(きゆう)など吹きとばすだけの生活力を、彼女らは持っているようでした。
 〈新潟では杉の木と男の子は育たぬ〉という格言を聞いたとき、私は余りにも逞しい母親の陰で、乳離れができ損なった弱い夫の姿を思い出したものです。新潟の女性の逞しさはすばらしいと感嘆していますが、男の子を逞しく育てる母こそ、本当に人間としてもすばらしいと思うのです。

 途中途中のものですが、昨日、今日のテレビの状況を寅子が心で感じているようなことが表している文となっています。

 新潟日報のWEBデジタル版を読める方はぜひ開いて読んでいただければと思います。

 ご参考まで。

 

 

 

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留守の間に梅の木の梅が・・・。追記あり。

2024-06-19 18:28:54 | Weblog

 18日(火曜日)は、全国的に一日中朝から夜まで雨との予報だったので、逗子にいても との思いから、17日夕方逗子を出発して東京に向かった。

 ところが同じ思いの人が多かったのでしょうか、第三京浜から首都高用賀PAから西池袋PAに向かったのですが、途中の目黒天空庭園を3回ほど廻り環七の下の高速道山手トンネルに下りるまでがなんと大渋滞。全然動かず40分もかかってしまった。初めてなこと。なんと逗子から自宅まで2時間20分もかかってしまった。(通常1時間15分ほど)ぐったり。

 昨日は、予報通り朝から一日中雨。

 今日、散歩で庭を廻ってみると、梅木にあるはずの梅が一つもない。先日、枝を透かしたときに、書きましたように青い実がたくさんあったので、それを隠すように枝を残したのだが、その甲斐なく、てっぺんまで、一つも残っていない。

 家内が、「熟した実が2つほど下に落ちている」と言って拾っていました。

 これだけ背の高い木のてっぺんの実まで、もぎ取っていくとは、普通ではない。

 7~8年ほど前にも下の方だけ、実をとられたことがあったが、こんなにほぼ全滅にされたことは今までなかった。家内が毎年、ジャムを造ったりして楽しんでいたのに・・・。

 今日19日、夕方犬の散歩のとき、道路でバッタリお巡りさんに会ったので、留守中に庭の木が梅泥棒にあった旨を話したら、「何か心当たりはありませんか。今後は、防犯カメラを取り付けたりして防ぐことを考えたら如何でしょうか」ぐらいでした。「まぁ~、しょうがないですが、人のものを勝手に持っていかれるのは嫌ですね」と申しておきました。

 まあ~、梅の木に「駄目、駄目、だめ・・・」の札でもぶら下げようかしら・・・。

 駐車場にあるサボテンが花を付けました。

 

このサボテンは、小さな子がたくさんでき、増えてゆきます。花がこんなにいっぱい付けるのは珍しいことです。 

<追記 >

 22日、梅の実の泥棒に対し下記のような文を作り、雨が降っても大丈夫なように会社でラミネート包装して木にぶら下げました。

 

表、裏合わせて・・・。

   

 「情に訴えて聞く様な人は初めからやらないよ」と社員は申すが・・・。

 一週間ほどぶら下げてみます。

 

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ウインドサーフィン逗子市長杯が逗子海岸で・・・・

2024-06-16 18:50:15 | Weblog

 5月30日の逗子花火大会は、その規模が湘南一と言われ、海岸には大勢の観客が押し寄せ盛大に行われたようだが、今回は所用があり、ベランダから初めて眺めることができず残念だった。

 5月の連休後には庭の塀改良等を行い手が空かなかったが、ここのところやっと休みが取れ、14日正午頃、東京を出発、逗子に来た。

 今日16日朝、海岸に行くと、数多くのウインドサーフィンが並んでいた

「太陽の季節ここに始まる」(石原慎太郎)碑から望む。

海岸にびっしり。

 

9時過ぎには、あの大きく長いボートが6人全員で海に運び出していた。

 

9時過ぎには、テント前で開会式が行われていた。

今日は、ウインドサーフィン逗子市長杯大会だそうです。

開催事務局テント。

 テント脇にいた事務局員に参加している人数を聞きましたら、名簿に書かれているそれぞれの人数を合計してくれ、総数143人と申していました。

 PCで大会の内容を調査したらレース使用予定エリアは以下のようなところと説明図面があったが、今日は風かないため、逗子湾の外に出ての競技となったようだ。両半島サイドを結んだ線内にはいなかった。

レースエリアMAP

次の図面は、テントの脇に貼ってあったもの。競技に参加した青年に聞きましたら。ヨーイドンである距離間のスピードを競うものののようだ。

若い学生たちが多いようだが、一般の人も参加できるようだ。

 

 朝食のためなぎさ橋珈琲店に入った10時過ぎに一斉に出発となった。風がないので皆苦戦しているようだ。

左手に見える江の島より左手の沖に進んでいく。

時間が遅いため、いつも食べる長芋おろしがあり目玉焼き付の和食料理はもうなかった。でも、パンの間に卵2つ分ぐらいの卵焼きが詰まったパンを食べることができた。とても美味しかった。

 午後3時前、リビングにいると、ベランダの隙間からサーフィンが帰ってくるのが見えた。カラス窓を開けてパチリ。

午後3時前には、競技を終えて海岸に戻ってきた。早速、家を飛び出した。

午前10時過ぎから午後3時前まで昼食はどうしているのだろうと、先ほどの事務局テントにいた方に聞きましたら、競技の途中に海岸に一度戻って来て食事をとって体力を補っているとのこと。

午後3時過ぎ、海岸はご覧のような状況でした。

帰ってきた人は事務局にある名簿に自分でサインして、その旨を確認通知していた。

 これから表彰式が行われるようだったが、私は、これで海岸を離れ、家に帰ることにした。

 なぎさ橋を渡っているとき、海から帰って来たサーフィン板の上にワンちゃんが一緒に乗っている一団を見かけたのでパチリ。ワンちゃんは船酔いしないのかしら?

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中村蘭台一門篆刻展へ

2024-06-12 21:08:17 | Weblog

 第18回首記篆刻展が銀座・鳩居堂3階画廊に於いて昨11日から開かれる旨の案内状を、日展会員としてご活躍している首記篆刻展の実行委員長である篆刻家 柳 濤雪先生(高校時代の同級生)から頂いていたので、毎年一緒に行くK君と時間を調整して現地で合流、見学してきました。

 柳先生は、お忙しい方なので留守にするかもしれないと思い、K君との集合時間の1時間ほど前に電話して、空いているかを聞きK君と現地で落ち合うことになっている旨を伝えた。

 銀座・鳩居堂と言えば銀座交差点角から2軒目ほど。地下鉄のA-2口のすぐ前。

銀座交差点のすぐ近く。交差点の反対側には三越デパートが。

地下鉄出入口のすぐ前。こんなところで毎年、篆刻展を1週間も開くなんてすばらしい。

1階入口脇のビル掲示案内板に堂々と書かれている。

 早速、脇のエレベーターで3階に上がる。

 受付でサインをする。柳さんが中央の応接椅子に座っている。

 柳さんに声をかける。

 すぐに飛んできた。柳さんからいつもの出品者の作品冊子を頂いた。私から柳さんに「もうこの篆刻展に来れるのがこれが最後になるかもしれないから」と言ってお祝い金を手渡す。「いやいや、これはもらえないから・・・」と言って返そうとするが、私も受け取らない。押し問答となる。

 最後は、柳さんが折れてポケットにしまう。

 K君は私より先に来ていて、もう作品見学を一巡したよう。

 私は先に作品を一枚一枚ゆっくり見せてもらった。

作品一枚一枚の間隔が狭い。柳さんに聞きましたら、今年は作品の数が例年に比して少ないのでは との推測から4階の画廊室を借りなかったそう。ところがそれほどの減少がなかったので、作品の間隔が狭くなってしまったとのこと、喜んでよいのだが・・・と、複雑な気持ちを表していた。

 一枚一枚、それぞれ独特な形をしている。まっすぐなもの、反っているもの、欠けているもの。でも、じっと見ていると、それぞれに味が出てくる。自分に ″これはいいな″ というものがある。

入口受付付近。

お偉方の作品の下には、印の実物が展示されている。

 

柳 濤雪さんの作品。

その印。柳さんが手に取って印側を見せてくれた。ミリ単位以下の世界。柳さんの作業場を見に行ったことがあるが、とてもきれいに整理されていた。

 印の文字は横に書かれている文字。百折不撓(ひゃくせつふとう)。柳さんがこの文字の意味を解説してくれた。「なんどくじけても、こころざしを曲げずに、あくまで自分の志を貫こうとすること」とのこと。

 この文字を掘ったのちに文字に色を付けるのが大変だったと。木には目地がありそこに入ったものを取り除かなくてはならなかった。その作業が大変と。

手前のガラスケースには、初世 中村蘭台、二世 中村蘭台等の作品が展示されていた。このガラスケースのものは写真撮影が禁止となっていた。

午後2時30分過ぎになったら見学者が大変多くなって来、先生も挨拶に忙しくなってきたので、私共は失礼することとした。

 なお、会場に入る時にいただいた作品冊子は、以下のようなもので、一人一人の作品が写真に収められており大変素晴らしいものです。

実行委員長 柳 濤雪さんのご挨拶 から始まる。

 初世、二世、中村蘭台 古川 悟先生 柳 実行委員長 各作品出品者全員の篆刻印写真が掲載されている。大変素晴らしいもの。(この写真はわざわざぼやかしてあります)

 毎年、この篆刻展がこんな日本が誇る繁華街で開かれることを誇りに思っています。末永く、続きますことを祈念いたします。

<追記>

 同篆刻展は、16日(日)まで。 入場料は無料です。 この期間に東京方面にお出かけの機会がある方は、ぜひお立ち寄り、篆刻の世界を味わってみたら如何でしょう。

 

 

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自転車置き場にあるサボテンに花が・・・。

2024-06-03 21:30:47 | Weblog

 自転車置き場には、数年前いや十年を超える前から名前のわからない小さなサボテンが置かれている。どこから来たものか私には記憶にない。家内に聞いたら、横浜に住んでいる姉からずいぶん前にもらったものだという。

 私は、自転車置き場にある他の植木鉢草木と一緒に時々水を上げる程度。

 ところが昨日、塀の改修工事の指揮をするため、自転車置き場というか内庭に入ったところ、鉢に入った名前のわからないサボテンに花が咲いているではないか!!

このサボテンに花を付けたのは初めてだった。花は小さい。(一昨日、鉢を移動した時には花を付けていなかった)

夕方にはしぼんでしまった。

 

 

 今朝、9時過ぎに行くと、パッと開いていた。

 どのぐらい持つものだろう。サボテンの花の命は長くないようだが・・・。

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3日間かけて、庭の手入れ。

2024-05-23 09:20:16 | Weblog

 この歳になると、高い脚立を立てての仕事は危険。だからと言って放置すれば手が届かなくなり、始末に負えなくなる。子供たちは一生懸命仕事をしているので頼むわけにも行かず・・・。

 家内に手伝ってもらい、”これが最後になるかも” と高い脚立を出して、椿など高く伸びないように枝を切り落とした。

 

今年2月の時の庭。椿が大きくなっている。

 

それが・・・

 玉柘植の剪定は、今年2度目となる。五葉松は先月末、新芽を剪定した。

椿はご覧のように・・・(2月当時のものと比較してみてください)。もうこれ以上背が高くならないよう抑えた。あまりに切りすぎて枯れないか心配・・・。

梅の木も伸びた枝は切り落とした。梅の実をたくさん付けていたので、葉っぱを残して隠した。中にある木は伸びた若木を切り落とし、また枝を透かした。

 両端にあるシュロの木は、梯子を掛けなくては届かないので危険、やめました。

 木の枝は、45L入りのごみ袋で、先日月曜日に6袋、今日木曜日に6袋、併せて12袋も出てしまいました。

 大変な作業でした。でもアリナミンA50を1錠、夜寝るとき飲んで休むと朝起きると疲れが取れていた。もう少しがんばれそう。

 

 

 

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