新年あけましておめでとうございます。
平成5年の新年が始まり、皆さん、大きな夢をもってお迎えしたこととお慶び申し上げます。
関東では穏やかな天候で新年を迎え、ここ2~3年コロナ禍で実施されなかった各神社へのお参りも家族で久々にお出かけになったことでしょう。
私どもも久方ぶりに深夜、除夜の鐘をきくと近くの神社に行き、家族安寧を祈願してきました。
私どもの31日の深夜から今日2日までの行動は、一般の方々と同じく新しい年を迎えた表情を端的に表しているものと思いますのでここに記してみたいと思います。
31日の深夜11時25分ごろから、NHK総合テレビでは、紅白歌合戦トリの二人が心を込めて歌いあげていた。
MISIAの「希望のうた」。
福山雅治の「桜坂」。両者ともとても心に響く歌でした。(いずれもNHK総合テレビから拝借)
この歌が終わると、ママが年越しそばを用意してくれた。これを食べながらテレビを覗く。
そして、全国からの「ゆく年くる年」が始まる。除夜の鐘が響く。
奈良 唐招提寺。
群馬 光泉寺。
鎌倉 鶴岡八幡宮。
富山 勝興寺。
青森 岩木山神社。(いずれもNHK総合テレビから撮影)
この5神社等の紹介が終了すると新年午前0時。
0時をまわると、私どもは、約800m先の氏神神社に。神社は遠くないのだが車で出発し、神社から約100ほど手前の道路に駐車。
御霊神社。
毎年のことだが、神主さんが正座して皆さんを迎えている。
祈願したのち、神主さんに、新年の挨拶をする。右横の幕舎では、鏑矢やお神酒を地元商工会の有志が振舞っている。いつもの鏑矢を求め、車で来ているのでお神酒は舌でなめるほどにとどめた。
びっくりしたのは、神社への今年のお参りの人が大変少なかったこと。通例では、神社鳥居の先数拾メートルほど並んでいるのだが、今年は、鳥居をくぐって約7~8mの所でやっと並んでいる状況。お年寄りの方はほとんど見えない。コロナのせいかしら?
家に帰ると、お風呂につかり冷えた体を温め、ベットに入った。
元日。本年は、私の干支「うさぎ年」の7週回目に入った。
朝9時過ぎには、年賀状が届く。
餅を食べながら、年賀状に目を通す。届いた年賀状もずいぶん少なくなった。同期の者からの年賀状には、「もう、年賀状をやめようと思っている」とのものも交じる。昨年も同様な年賀状がたくさん届いたが、「年賀状をやめると新年の挨拶がなくなったようで、本人は寂しく感じないかな~」とママと話し、「続けられるまでやろう」と。
年賀状を出していなかった方へ、余っている年賀状に宛名を入れ、一筆加えてポストに出しに行く。
若い時は氏神神社拝礼の後、明治神宮へ向かい長い行列に並び祈願したものだが、夜は危ないと考え、50歳を超えたあたりから朝ご飯を食べてから伺うことにしていた。が、最近は、明治神宮を取りやめ、鎌倉鶴岡八幡宮に参拝することにしている。
午後3時前に逗子を目指して車を走らせた。
逗子に到着すると、富士山がとてもきれいなシルエット。
部屋から観る富士山。
2日朝、逗子海岸を散歩する。
穏やかな朝。
海岸にも散歩している人の姿が。
桜貝がたくさんあり、レオちゃんをママに預けて、しばらく貝をひろう。
ゆっくりした朝食の後、電車で鎌倉鶴岡八幡宮へ向かう。
一つ先の鎌倉駅を下りる。人がとても多い。
小町通りは人が多いので、表の通りに。八幡通りは歩行者天国になっていた。
二の鳥居前。
段葛。
三の鳥居前。
三の鳥居前を過ぎて数十メートル進むと、行列の並びが始まった。
何時もの並びとほぼ同じ。
この階段前までおよそ30分間並んだ。昨年と同じくらいの人人。
やっと拝殿前まで進んだ。いつものように祈願。
帰りの途中で破魔矢を買う。
例年は小さいものを求めていたが、今年はうさぎ年の絵馬が付いているものを買い求めた。
右手の通路を下り、白幡神社前に進み手を合わせる。源実朝と源頼朝を祭っている神社。昨年より多く人が並んでいた。昨年の大河ドラマのせいでしょうか。
池の前に座り、用意してきた饅頭とジュースを口にする。しばらく鴨やカモメを眺め、疲れをいやす。「ここの鳥たちは幸せだなぁ~」と口にする。
帰りは小町通りを通り、お店をゆっくり眺めることにした。駅まで約20分。
部屋に到着したのが午後3時過ぎ。今日の歩数は約6000歩。疲れてしまい、ベットで横になった。
以上が元日から今日2日までの行動です。正月のいつもの行動が難しく感じられた2日間だった。