福山城は、徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代の水野勝成が領主として、入府し築いた城です。
江戸時代建築の最後の最も完成された名城としてたたえられていましたが、明治時代に廃城になり、さらに 1945年(昭和20年)8月の空襲により焼失してしまいました。
おそらく百名城の中でも最もアクセスが良く、新幹線も止まるJR福山駅の目の前の低い丘にある平山城です。
自家用車の場合は西側に広島県立歴史博物館・ふくやま美術館と共通駐車場があります。。駐車券を受付まで持っていくと、1時間無料の処理をしてもらえます。
西側から登城しました。
二重櫓の跡です。
城に限らず井戸というものは大切な施設で頑丈に作られているため、跡が残っていることが多いですね。
1966年(昭和41年)に再建された天守閣は鉄筋コンクリート製ですが、福山城博物館として、社会・生涯教育の場として使われています。
百名城スタンプは入場券売り場で押すことができます。
天守閣から北側をながめると立派なお屋敷がありました。
それも、敷地内に和風建築と洋館が並んでいます。
きっと元藩主の子孫が住んで見えるのだと思ったのですがハズレでした。
昭和の初めに個人の別荘として建てられたものだそうですが、現在は福寿会館として福山市の市史編纂室及び貸会議室や貸茶室として使われています。
鐘櫓です通常城には時を知らせる太鼓が置いてあるものですが、鐘を用いるのは珍しいです。
南西に位置する伏見櫓は、築城の際に、京都伏見城の松の丸東櫓の遺構を徳川秀忠が移建させたものです。
筋鉄御門(すじがねごもん)は伏見櫓とともに現存する建築物で国の重要文化財に指定されています。
湯殿です。これも伏見城から移築され国宝に指定されていましたが、昭和20年に戦災で焼けてしまいました。現在のものは天守閣とともに再建されました。
南東にある月見櫓です。この建物も伏見城から移築されましたが、現在は再建されたものです。
本丸跡にあった松です。見事な枝振りだと思いますが特に説明はありませんでした。
この松から天守閣を望みます。なかなかいいですね。今の時期は桜でしょうか。