人吉は鎌倉時代に相良氏が地頭として人吉荘に赴任して以来、35代670年の長きにわたり治め、江戸時代には人吉藩の藩庁がおかれました。
人吉城は、1198(建久9)年、相良長頼が築城したと伝えられています。
当時は山城でしたが、1589(天正17)年、相良長毎が大改修を開始、1601(慶長6)年に
本丸、二の丸などの詰の城部分や御館部分を竣工、寛永年間(1624~1644)に石垣が完成し、現在の平山城に変わりました。
球磨川の胸川が交わるところに築かれており、両川を堀代わりにしています。
大手門跡
多聞櫓
大手門に続いて胸川沿いに建てられています。
角櫓
城跡の北西角すなわち胸川と球磨川の交差点に置かれていました。
まずは歴史館で予習をします。
人吉城歴史館
所在地: 熊本県人吉市麓町18番4
開館時間: 9:00から17:00(入館時間は16:45まで)
休館日: 第2月曜日(祝日の場合は翌日),12/29~1/3
観覧料: 一般 200円,高校生以下 無料
入口で、日本百名城のスタンプを押すことが出来ます。
こちらでは、中世から明治初期まで相良氏の歴史資料の展示紹介されていますが、それだけではありません。
全国的にも珍しい地下室遺構が見られるのです。
そもそもこの歴史館は、家老であった相良清兵衛の屋敷の跡に建てられています。
その遺構から、地下室が発見され復原・公開されているのです。
係員にお願いして入れてもらいました。
石階段を降りた先には、結構広い空間があります。
また、かなり大きな井戸が設けられています。
相良家に関する古文書等に記録として残っておらず、造られた目的、どのように使われたかは不明ですが、資料館の方によると祭事用に使われたのではないかとのことですが・・・。
後口馬場
道幅10mの立派なものです。
人吉城内には駐車場がいくつか設けられています。
まずは歴史館隣に駐めてここまで見た後、相良神社隣に駐車場に移動してさらに見学を続けました。
御津賀社跡
初代当主の相良長頼は、人吉を治めていた平家の代官矢瀬主馬祐を倒しましたが、、御津賀社は主馬祐の母・お津賀の霊の祟りを沈めるために建てられたといわれています。
後方に三の丸、一段高いところに二の丸、さらに高いところに本丸と段々に構えられています。
三の丸跡
二の丸を囲む石垣
良い感じです。
二の丸の入口である中御門
二ノ丸
かつては、6棟の建物から成る二ノ丸御殿が建っていたそうです。
さらに、石段を登って本丸へ
本丸
護摩堂や御先祖堂,山伏番所など幾つかの建物があったそうです。
球磨川に向かって降りると、御下門が見えてきました。
正面から見た、御下門
目の前に広がる球磨川
天然の堀であると同時に輸送路でもあったのでしょうね。
武者返しを備えた石垣
1862(文久2)年の火災で焼失した後、西洋のはね出し工法という構造を用いて再建されました。
防火目的に加え、石垣を登ってきた敵が居たら上の板状の石材を落とすという防衛目的の要素もあるそうですが、たいへん珍しいつくりで、他には品川台場、五稜郭、龍岡城ぐらいしか見られないそうです。
堀合門
城主の住む御館の北側の入口です。
跳ね出し石垣の裏側
御館跡は相良神社になっています。
南側の出入口にある御館御門橋は、1766(明治3)年に作られたものです。
人吉城に続いて、クルマで5分ほどのところにある青井阿蘇神社に参拝しました。
鳥居前には池があり、大きな蓮の葉でいっぱいでした。
そこにかかる真っ赤な橋が美しいです。
鳥居
楼門[国宝]
楼門を含めこの神社の建物は茅葺屋根の独特の様式です。
拝殿[国宝]
本殿
青井大神宮
ご神木
人吉の町は山の中ですが、なかなか趣がありゆっくり見て回りたいと思いました。
今回は時間が限られているので、このあと鹿児島へ移動しましたが、いつか機会があれば、再訪したいと思います。
そのときには、熊焼酎片手に鰻もいただきたいものです。