橋本屋吉次郎電子日誌

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平戸城

2013-08-14 | お城巡り(日本100名城)

今回の計画はフェリーで九州上陸した後、二泊三日で平戸・名護屋・佐賀・大野・福岡城および吉野ヶ里遺跡を廻り、再びフェリーで変える予定です。
 
まず、新門司から高速を乗り継ぎ、平戸城へ向かいました。

城内にある亀岡神社の駐車場にバイクを止めました。


現地案内板のほぼ中央のP8で、本丸のすぐ近くです。
ただ、ここに駐めるのはあまりお勧めしません。
ここまでの道が、たいへんな急勾配・急カーブであるので、運転に自信のない方は麓にとめて徒歩で登られるが賢明だと思います。
到着時間が予定よりかかってしまい、私は横着をさせていただきました。
時間がかかった第一の理由は、北九州市の通勤ラッシュのため、第二に熱中症予防のため1時間毎にきちんと休憩を取ったこと、第三にこの近辺にはお年寄りドライバーが多いようで、その方たちの車がとても遅かったからです。

さて、平戸城は平戸藩松浦氏の居城です。
下松浦党の棟梁である松浦鎮信は、豊臣秀吉の九州征伐に加わり所領を安堵されました。1599(慶長4)年、築城を開始しますが、完成間近になって自ら火を放ち破却してしまいます。
理由は諸説ありますが、豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためといわれています。
百年後の1702(元禄15)年、幕府に築城を願い出て、翌年許可されました。
江戸時代中期に築城が裁可されたのは異例のことです。
縄張りは山鹿流軍学に基づいています。


乾櫓
内部は売店になっています。


北虎口門と


隣接する狸櫓
この2つのみ現存する建築物です。
狸櫓の床下には狸が住みついていましたが、修理の際に床板を全部はがされ、困り果ててしまったそうです。
そこで狸は、小姓に化けて城主の寝所へ出向き、「我ら一族を今まで通り櫓に住まわせていただけたら末永く城を守護します。」と懇願し、城主もこれに応え、櫓の床を元通りにしてやったという言い伝えがあります。


模擬天守
日本百名城スタンプは受付で押すことができます。
元来、平戸城には天守閣はなく、乾櫓が代役をはたしていたそうです。

天守からの眺めは抜群です。


教会が見えますね。
鎖国以前、平戸は長崎とともに海外への貿易港でした。


懐柔櫓


見奏櫓


沖見櫓
内部では写真展がひらかれていました。

通常、城には石段が多くあり、攻められにくいようにわざと不揃いにしてあるものですが、ここはなだらかな石畳です。はたして当時からこうだったのでしょうか。

石垣は昔のままだと思うのですが


地蔵坂屋蔵


海からの防衛を意識した城ですね。

                             平戸城
                     長崎県平戸市岩の上町1458
                      営業時間;08:30~17:30
                        定休日;12/30,31
             入場料; 大人500円(中人300円,小人200円)


平戸市漁業協同組合内にあるお店で海鮮丼をいただきました。

見た目はたいしたことありませんでしたが、刺身が新鮮かつ厚く盛られています。
あら汁も付いて700円はお得でした。

                         旬鮮館
                    TEL;0950-22-3133
                 長崎県平戸市宮の町655-1
                  営業時間;10:00~17:00
                          定休日;第1,3火曜日、第2,4土曜

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