織田信長の命によって能登国の領主となった前田利家は、七尾城に入城したが、山城の不便さから新たに築いたのが小丸山城です。
利家が金沢に移ってからは、兄の安勝が城代となりましたが、元和元年に一国一城令によって1615年廃城とななりました。
現在は、小丸山公園として整備されています。
住宅街にひょっこり高くなっているところは、いかにも・・・って感じですが、
遺構はよくわかりません。こういったところが堀切の跡でしょうか。
本丸跡です。
現在では、桜の名所になっているようです。
本丸跡から七尾の街を見下ろしてみました。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」の放映によって設置された前田利家松子之像
宮丸跡。愛宕山とも呼ばれていました。
忠魂碑が置かれていましたが、能登半島地震により無残な姿(オブジェに見えなくはないが)になっています。
小高くなっているのは忠魂碑建設のためだと思います。
この石垣は後世に作られたものだと思います。
七尾市愛宕山相撲場が整備されていました。
小丸山公園
石川県七尾市馬出町1丁目1番地
ななお(なにを)言ってんですか。まったく。
いい加減にしろ(城)!ヽ(`Д´)ノ
Good words do not(能登)float m(_ _)m
悪のりしすぎました。どうもこうえん(公園)なさい。
なんと英語ですか?もうダジャレも思う浮かばないし、かわ(石川)ってもらえないでしょうか。
この小丸山城は要塞のようなものだったのでしょうか?
お城にしては小規模のように思えます。
いやあ助かりましたよ。だじゃれシリーズがいつまで続くかと戦々恐々としておりました。
七尾城のような山城は、有事の時のみ使用するのであって普段お殿様は麓に住んでいました。小丸山城はお殿様の館を要塞化したものなのです。ただしまだ、実戦的なもので権威の象徴となるのはもう少し先(ほんのわずかですが)の時代でしょうね。