春のような陽気に誘われて、初乗りに出かけてきました。
今回の目的地は、吉田城
江戸時代は三河吉田藩の藩庁がおかれていました。
現在、城跡は市役所,豊城中学校として利用されていますが、ほとんどは豊橋公園として市民に広く開放されています。
三の丸口門跡
現在は公園の門になっていますが、違和感を感じませんか。
古めかしいし、しっかりした門柱の割には門そのものがなく用をなさないですよね。
そもそも公園に立派な門など必要なのでしょうか。
さらに、脇には警備用の哨舎まであります。
実は、かつて吉田城址には、旧陸軍歩兵第18連隊の兵舎が置かれていました。
したがって、ここでは連隊施設と吉田城の遺構を同時に見ることができるのです。
吉田城の北には豊川が流れ、これが天然の堀となっています。
南側は二の丸が本丸を囲み、さらにその外側を三の丸が囲む配置になっています。
三の丸跡には市役所や美術博物館が置かれています。
太鼓櫓跡
よく見ると木の根本に石があるのがわかります。石垣として使われていたのでしょうか。
弾薬庫
歩兵第18連隊の遺構です。
建物は丈夫なコンクリート製ですが、屋根は簡素な造りになっています。
もし爆発が起こっても、爆風が吹き抜けるように工夫されているのです。
また、床下に土管が敷かれ、換気に配慮されています。
二の丸に進みます。
二の丸口門跡
碑が置かれているだけでした。
着到櫓跡
城内に集まった兵士を観察・点検するための櫓がありました。
橋の向こうは本丸です。
手前には冠木門がありました。
二の丸と本丸の間の堀
南御多門(みなみごたもん)跡
本丸正面入り口です。
鉄(くろがね)櫓
1954(昭和29)年に再建された鉄筋コンクリート製
内部はちょっとした資料館になっているそうですが、休日のみの公開です。
しかも、1月分が記載されていない!
武具所跡
かつては、いくつもの櫓が並び立っていたのでしょうね。
本丸を北側から見てみました。
豊川が天然の堀となっています。
家康はこの「背水の陣」が気に入らず、ここを居城にしなかったと言われています。
しかし、交通の要所であるため、城主は将来有望な家臣をあてていました。
そして、代々の城主はこれを足がかりとして出世していったので「出世城」ともよばれています。
裏御門跡
本丸の東側には堀を挟んで、金柑丸という小さな郭が置かれていました。
歩兵第十六連隊之阯碑
彌健神社
聯隊の営内神社です。
社殿の代わりに神武天皇の銅像が置かれていました。
彌健神社の手前には「藩祖豊城神社」と刻まれた石碑がありました。
どうして別の神社の碑が・・・?
調べてみると、江戸時代には大河内松平家の祖とされる源頼政と松平信綱の霊屋があり、それぞれの命日には法要が営まれていたようです。
そして、明治以降、旧藩士が城外に豊城神社を造って頼政を祀り、その後信綱を祭神に加え、大正8年に豊橋市東田町北蓮田、旧陸軍墓地の近くに移転したそうです。
なお、彌健神社の碑は文字が埋められています。
彌健神社を設営した歩兵第十六連隊が終戦によりなくなったためでしょうか。
そこで再び彌健神社をあらため、豊城神社としたのでしょうか。
さらに東に向かって進み、堀を越えると、再び三の丸に入ります。
三の丸会館
秋葉神社の跡
徳川家康公腰掛けの松旧阯
松は枯れてしまったのでしょう。何も残っていません。
しかし、ここは三河国ですから家康はあちこちで腰掛けていると思うのですが・・・
吉田城阯(豊橋公園)
豊橋市今橋町3
さて、豊橋の名物といえば、最近売り出し中のアレですね。
ということで、豊橋公園南へ数百mのうどん店で昼食としました。
嶋田屋 本店
所在地: 愛知県豊橋市呉服町21
TEL: 0532-52-4291
営業時間: 11:00~15:00 17:00~19:30
定休日: 日曜日
豊橋カレーうどん
こちらのカレーうどんは、かつお出汁のきいた和風のあっさりしたものでした。
スパイス感はあまりありません。
うどんを食べ進んでいくと、第二部の始まりです。
丼の底にドーム状にご飯が盛られており、とろろでコーティングされているのです。
このドームを崩していくとカレー雑炊になるのです。
以前、利用した清水庵では、けっこうボリュームありお腹がいっぱいになりましたが、この店はほどほどでした。
清水庵はがっつりいきたい人向け、嶋田屋は万人向けといったところでしょうか。
さらにいろいろ食べ比べてみたいです。
三度、軍事拠点となって活躍することがないことを祈るばかりです。