岡崎まで軽く走ってきました。
奥殿陣屋
所在地: 愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10番地
開館時間: 9:00~16:30
休館: 月曜,年末・年始(月曜が祝日のときは、その翌日)
入館料: 無料
陣屋とは
2つの意味があります。
1つは幕府の直轄地で代官の住居兼役所の建物。
もう1つが中小の大名の城に相当する建物です。
江戸時代、幕府の「一国一城令」とともに築城はご法度となり、それまで城を造っていなかった小藩はやむをえず藩主の屋敷に堀をめぐらしたり、堀を作って格好をつけた。これを陣屋といいました。
江戸時代の大名は俗に三百諸侯と言われますが、明治二年の版籍奉還時には280家。このうち城持ち大名は149家、残り131家は陣屋。ちょうど半々でした。
1万6000石の奥殿藩もこの陣屋に藩庁を置いていました。
(幕末、飛地であった信濃佐久郡に龍岡城を建設します。)
書院入口
書院
唯一の現存建築物です。
裏千家11代家元である玄々斎宋室は第4代藩主松平乗友の子だそうです。
りっぱな回遊式庭園
高いところから書院の全体像をつかむことができました。
金鳳亭
こちらで、庭を見ながら食事をすることができます。
資料展示館
奥殿藩出身の偉人、永井尚志
先進的な考えの持ち主で勝海舟や坂本龍馬に影響を与えたが、自身は幕臣であるため最後まで新政府軍と戦いました。
奥殿陣屋の見取り図
現在は赤破線で囲まれた部分しか残っていません。
幕末はこんな感じだったようです。
この日は骨とう市がひらかれていました。
花火資料館
三河は花火発祥の地ともいわれ、生産が盛んです。
奥へ進むと
歴代藩主の廟所がありました。
この陣屋で唯一、廟所の裏に石垣を確認しました。
こんな道を気持ちよく散策しますが、
電気柵によって行く手を阻まれたりします。
イノシシが出るそうです。
隣接する熊野神社に降りてきました。
この蔵は陣屋の遺構か?と思いましたが、見取り図を見ると陣屋の外になるようでちがいますね。
陣屋の裏手はこのような崖地になっていました。
さて、この日は岡崎市美術博物館で開催されている大鎖国展も見てきました。
鎖国は外国との交流を一切断ち切ったと思われている方も多いかと思いますが、
実際は、長崎でオランダおよび清、対馬で朝鮮、薩摩で琉球、松前で蝦夷(アイヌ)との交易が行われており、それぞれの文化も入ってきたのでした。
けっこう面白かったです。
この陣屋は後者のお城の代わりでしょうか、結構な大きさだったんですね。
ジャケットをメッシュにするかどうか悩みましたが、走っていて気持ちいい季節になりましたね。
奥殿藩は1万6千石しかもその半分以上が飛び地という小藩ですから、城の代わりに建てられたものです。現在の敷地は往時の1/3ぐらいしかないですから、けっこうな大きさだったと思います。
SevenFiftyです。
いつも思うのですが橋吉さんのブログはアカデミックですね。
わたしは歴史的な建造物に疎いのでこのカテゴリには手が出せません。
美術館巡りもいいですね。
でも見たいものは東京ばかり開催なので残念です。
ツーリングに行きたい→目的地の設定→城に興味→歴史に興味
とういう流れでしょうか。「好きこそものの・・・」といいますが、趣味が転じて歴史も詳しくなりました。しかし、きわめて断片的でしかないのです。
大鎖国展を知ったのは、訪れた数日前のことです。「大鎖国展へ行ってきました」というお便りの紹介をカーラジオで聞いてのです。今回のツーリングはこれがきっかけで、「岡崎といえば陣屋跡があったなぁ」と後付けしたのでした。
どうもどちらの意味でもなく陣営の訓練所みたいです^^
茶色のワンコ...トイプードルかなぁ。
かわいいなぁ(^^♪
騎兵隊陣屋跡・・・行ってみたいです!
たしかに、どちらの意味とも違いますね。「陣屋」という言葉にはさらに広い意味があるようですね。
茶色のワンコはなんだったか?あまり気にしていませんでした。ごめんなさい。