1585年(天正13年)、豊臣秀吉は四国征伐に勲功のあった蜂須賀正勝(小六)に阿波一国18万6千石を賜った。
ところが正勝はあくまで秀吉の近くに使えることを望んだので、子の家政この地に築城し、藩祖となった。
以後、徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎えるまで続いた。
徳島城はJR徳島駅の北隣、徳島市の中心部に位置します。
吉野川河口付近に位置するため、堀の水は海水が混ざり、海水魚も泳いでいます。
したがって、高松城のような水城をイメージしていましたが、これは後ほど誤りであったことに気付きました。
数寄屋橋
かつては石垣の上に旗櫓という建物がありました(現地案内板より)。
鬼門に位置するので凶事以外は使われることがなかったそうです。
石垣に見られるこの出っ張りは舌石とよばれます。
これを使って、屏風折塀を作ります。
通常、塀には狭間(さま)とよばれる小さい隙間がありここから弓・鉄砲を使うのですが、正面方向しか対応できません。舌石と屏風折塀を作ることによって斜め方向にも攻撃可能となるのです。
表門に当たる鷲の門です。平成元年に復元されました。
下乗橋、ここを通ると藩主屋敷の正面になので、この前で駕籠から降ります。そのためこの名がつきました。
「キ」の字型の鉄塔が見えます。旧大日本海軍の駆逐艦「追風」(おひて)のマストです。
ここに太鼓櫓がありました。
ラジオ塔です。
戦前、ラジオを普及させるために全国の公園、広場、神社などに設置された公衆用聴取施設だそうです。
徳島城博物館。受付で百名城スタンプを押すことができます。
隣接して旧徳島城表御殿庭園があります。
小高い山にはアオサギがいっぱいいるなぁ・・・・・と
ここで、私は大きな勘違いをしていたことに気付きました。
徳島城は水城ではなく、この小山を利用して作られた平山城だったのでした。
城山を登っていくと、苔むした石垣が見えてきました。
西三の丸跡は貯水池になっていました。
一段登ると、
西二の丸
帳櫓
続いて、本丸
弓櫓
東二の丸と見て回りました。
弁天池
徳島城一部は学校・体育館といった公共施設に利用されているほか、公園として市民に開放されています。
SLが置かれたり、
大きなクスノキがあったりします。
貝塚だそうですが、よくわかりませんでした。
いろいろ見所がたくさんあります。見学する際には時間に余裕を持たれると良いかと思います。
徳島市立徳島城博物館
住所 徳島市徳島町1番地の8
開館時間 9:30~17:00(入場は16:30分まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は開館),祝日の翌日(日・祝日の場合は開館),
年末年始(12月28日~1月4日)
常設展示観覧料 一般 300円,高校生・大学生 200円,中学生以下 無料
※旧徳島城表御殿庭園も含む
時代もので四国を題材にしているものが少ないようでなかなか目にする機会がありません。それにしても丸亀城は立派ですね。
初めまして、ビグスクに乗るおやじことtomzuと申します。
これは驚きです ミミズを餌に鯛を釣るのは知ってましたけど、陸のお堀でチヌとは知らなかった。
時間があれば、釣れるまで粘ってみたいものです。
SevenFiftyです。
四国のお城めぐりなんですね。
わたしなら徳島の城下町を見ると思います。
場所は徳島市秋田町です。
ここは行きたい場所なんですよね。
いわゆる歓楽街なんですが戦後の赤線地帯の家並がわずかに残っています。
名古屋で言えば中村区の大門みたいといえばよいでしょうか。
>旧大日本海軍の駆逐艦「追風」(おひて)のマストです
これも戦跡のひとつですね。
こうやって保存しないと次第に忘れ去れます。
あと石段というのか、西二の丸に上がる手前の階段がちょっと陥没して凹んでいるあたりがイイですねえ。
↑階段の凹みって、細かいなぁ~何処みてんね~ん!(爆)
丸亀城は行き忘れ、徳島城と松山城は素通り、高松城と高知城は行っただけ・・・私のお城巡りです(爆)
バイクならいざ知らず、車でよくこれだけ回れるものですねぇ~流石に下調べや計画がしっかりできていて思いつきで当日の朝に「ちょっと行ってくる」と言う、AB型の私とは雲泥の差です!勉強になります。
丸亀城の石垣は圧巻でした。徳島城は考古学調査のような楽しみがありました。博物館や庭園も良かったです。高松城は二度目ですが、25年ぶりなので新鮮に映りました。
四国には丸亀城の他、宇和島城・松山城・高知城が現存天守であり、城マニアにはたまらんと頃です。当然顔はゆるみっぱなしです。
徳島城の堀は助任川(すけそうがわ)を利用していますが海に近いので海水と淡水が混ざり合った汽水域となっています。徳島市を走っているとあちらこちらで海の香りがします。鳴門に近いということは潮の流れも急で意外な釣果があるかもしれません。
なかなか鋭いところを見られていますね。お城は細かいところでいろいろ工夫がされています。石段もわざと高さや幅を不揃いにして登りづらくしてあるところもあるのです。
徳島の城下町も行きましたが、表通りで、どこの街とも変わらないところしか見てませんでした。今度行くときは見てみたいですが、いつになるだろうか。20年後かもしれないし、半年後かもしれないです。
駆逐艦「追風」(初代)について少し調べてみたのですがなかなか資料が見あたりません。日清・日露戦争に参加とあるものもあれば、それは誤りとされているものもあり、すでに忘れかけられています。
3年生の授業ばっかりだったので、3月は時間の余裕があり、ゆっくり計画を練ることができました。本日より来年度の準備が始まり、忙しくなってしまいます。
挙げられた城の他に、大洲城・今治城・宇和島城もお勧めです。今年はますます四国を走る機会が増えるのではないでしょうか。