筑前国一宮は、筥崎宮と住吉神社です。
福岡城訪問の後、この2つの神社に参拝しました。
まずは筥崎宮です。
二の鳥居
一の鳥居
この神社では社殿に近い順に鳥居の番号がつけられています。
黒田長政が建立しました。
立派な手水舎
楼門
小早川隆景により1594(文禄3)年に建立されました
通常の参拝はここからします。
敵国降伏の扁額
亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものだそうです。
拝殿と本殿
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
八幡宮は八幡大神すなわち応神天皇が祀られています。
筥崎宮ではともに神功皇后(応神天皇の母)と玉依姫命(神武天皇の母)も祀られています。
亀山上皇尊像奉安殿
亀山上皇は元寇に際し、「我が身を以て国難にかわらん」と敵国降伏、博多の街の安寧を祈願されました。
福岡市博多区の東公園には銅像が建てられていますが、その銅像の原型となる木彫像が安置されています。
高さ約6mの大迫力です。
拝観時間;9:30~16:30(予定)
御朱印を書いていただくのに、時間がかかりましが、
待合室として冷房の効く部屋を案内していただきました。
さらにそこには
敵国降伏のいわれがあったり、
博多祇園山笠に使われた人形が展示されていました。
元寇の際に博多を守った武士の姿ですね。
もちろん触らせてもらいましたよ。
唐船塔
中国人祖慶官は船争いで捕虜になり、この地に連れてこられました。
十三年の歳月が流れ、祖慶は日本人妻との間に二人の子もできました。
ある日、中国に残した二人の息子が、身代賠償のための宝を持って、はるばる父を引き取りにやってきました。
箱崎殿は、身代金をもらったことで、快く祖慶を引き渡したが、日本子はいっしょに行くことが許されません。
日本子は引き留めようとし、唐子は連れて帰ろうとする。板挟みになった父は進退窮まり、ついに海に身を投げて死のうとします。
これを見た箱崎殿は、「当社八幡も御知見あれ、偽り更にあるべがらず」と言って、五人そろっての帰国を許します。
祖慶は喜んで、船の上で楽を奏して舞をまいながら、唐土めざして帰って行ったそうです。
筥崎宮
福岡市東区箱崎1丁目22-1
最近はとんとご無沙汰です、涼しくなったらまた御朱印を貰いに出掛けたいと思います。
どうせなら、お城巡りだけじゃなく一宮巡り、B級グルメ、温泉とか入れたいところですが、今回は少しでも多くの百名城を制覇しようと窮屈な計画を立ててしまいました。ただ、福岡城と筥崎宮・住吉神社は近いので一緒に参拝することができました。