丸根砦は鷲津砦と同じく、桶狭間合戦時に今川方だった大高城を包囲していた織田方の砦のひとつです。守将は佐久間盛重でしたが、松平元康により攻め落とされました。
鷲津砦から、JR東海道線と平行の県道を南へ向かって進みます。
鷲津砦すぐ南にある、鷲頭山長寿寺
知多四国霊場第87番札所になっており、7年前に巡礼で訪れていました。
交差点名が「西丸根」ですから、目的地は近いと思われます。
建築業者の資材置き場の裏山が怪しい。砦跡でしょうか。
南に回ってみたら神明社の杜でした。
気を取り直して坂道を上がると、「丸根砦50m」の案内板発見。
丸根砦あとに到着。
森の中に入って
小さな丘を登ると
頂上付近は平らになっており、
りっぱな「戦殉難烈士之碑」が置かれていました。
さらに、少し離れたところに史跡碑もありました。
かつてはこんな感じだったようですが、遺跡はあまり残っていません。
鷲津砦同様、照葉樹林に取り囲まれています。
今でも大高城の森がよく見えます。
鷲津砦から、JR東海道線と平行の県道を南へ向かって進みます。
鷲津砦すぐ南にある、鷲頭山長寿寺
知多四国霊場第87番札所になっており、7年前に巡礼で訪れていました。
交差点名が「西丸根」ですから、目的地は近いと思われます。
建築業者の資材置き場の裏山が怪しい。砦跡でしょうか。
南に回ってみたら神明社の杜でした。
気を取り直して坂道を上がると、「丸根砦50m」の案内板発見。
丸根砦あとに到着。
森の中に入って
小さな丘を登ると
頂上付近は平らになっており、
りっぱな「戦殉難烈士之碑」が置かれていました。
さらに、少し離れたところに史跡碑もありました。
かつてはこんな感じだったようですが、遺跡はあまり残っていません。
鷲津砦同様、照葉樹林に取り囲まれています。
今でも大高城の森がよく見えます。
名古屋市内にありながら、こんな小さな砦の跡が残されていることに感謝しつつ、
いよいよ大高城に向けて進軍開始しました。
いよいよ大高城に向けて進軍開始しました。
復元予想図を見てわかるようにずいぶん小さなものだったようです。周囲を囲まれて鉄砲で撃たれたら惜しいまいです。桶狭間のころはまだ鉄砲の心配は要らなかったのでしょう。
飛び道具の攻防だと守る方も、チト怖い感じも・・・