デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 





ニコラ・プッサン「花の女神フローラの王国」(1630/1631)

M・プルーストの『失われた時を求めて』という作品は大長編だが、5年ほど前、この作品に挑戦し読了まで10ヶ月近くかかったことがある。
長編にはいろいろな絵画や音楽が登場するのだが、バロック時代のニコラ・プッサンの絵もある。
『失われた時を求めて』の第一篇『スワン家の方へ』第三部「土地の名・名」に語り手が、コンブレーという田舎町で出会ったジルベルトという少女の名を、シャンゼリゼで耳にしたとき、とても普通とは思えない想像力で彼女の名前を再び耳にした心の動きを描いている。その感情の動きの譬えに登場するのがプッサンの絵なのだが、上の「花の女神フローラの王国」が登場しているというわけではない。
一応、小説のその場面に登場する絵は、プッサンの「花の女神フローラの勝利」(ルーヴル美術館蔵)ではないかという説が強いのだが、その場面の描写の中身からして「花の女神フローラの王国」をプルーストは複製か何かで見たことがあったかもしれないという論を読んで、とても共感した。それでこの絵を見たかったわけである。

ところで、古典を愛し、かつ理知的で厳格な性格だったプッサンのこの絵のおおよその意味については、はっきりいって難しすぎてどう書いたらよいか分からない。描かれている人たちは、ギリシア・ローマ神話に登場する神々なのだが、この絵にはオウィディウスの『行事暦』や『変身物語(メタモルフォーセース)』のこまごまとしたエピソードが、凝縮されているのだ。
中央左下の水の入った瓶を覗き込んでいるのはナルシス、ナルシスの後ろに太陽神アポロンの馬車を見るため天を仰ぎっぱなしになっているアポロンの恋人クリューティエー、己の剣の上に伏して死のうとしているアイアース…その他。

この絵から私自身は、「ジルベルト」の名前を聞いて一気に心が高揚する語り手の気持ちというよりは、頽廃期のローマ時代のようなものを感じた。庭園の中の人々は毎日優雅な宴を繰り返すことに慣れてしまったみたいで、人々の運命は衰退の道に導かれてしまった、その瞬間の象徴がこの絵には描かれている気がした。

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