デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



 私は、外務省で「ロシア・スクール」と呼ばれる語学閥に属した。ロシア語を研修し、対ロシア(ソ連)外交に従事することが多い外交官のことである。本文にも記したが、東西冷戦下で「ロシア・スクール」の研修生は、いきなりモスクワではなく、まずイギリスかアメリカの軍学校でロシア語の基礎を学ぶことになっていた。それだから、異文化の中での生活を、私はイギリスで初めて経験した。その経験をまとめたのが本書である。
  佐藤優『紳士協定 私のイギリス物語』(新潮社)のあとがきより

佐藤氏の本は『インテリジェンス人間論』以来いくつか読んでいるが、氏の本はいつも期待以上のおもしろさを感じることができる。今回は図書館で偶然見かけて手に取ったのだが、数時間で読めてしまった。分量的に短いというのもあるが、内容が非常に充実しているから帰宅を遅らせてもカフェに長居して読みきってしまおうと思ったのである。
本の内容は上に引用したとおりなのだが、ホームステイ先のイギリス人の少年グレンとの対等の付き合いで浮き彫りになってくる、文化の違いとたとえ異文化交流といえども共通しているものの見方や感じ方を再現した会話の描写がすばらしい。外交官というのは自国の文化や歴史だけでなく外国のことについてもそれなりの見識がなければならないとはいえ、20代半ばの研修中という時点でどこまで知識や造詣が深いんだと驚くことばかりだ。氏の生い立ちや両親の大戦中のエピソードを、イギリスとの関わり合いにおいて生身の歴史として少年グレンに真摯に語る場面は心を打つ。ただ、イギリス人は社交的で明るく見えるがなかなか本心は明かさないというテーマもこの本の大きなテーマとしてあるのだが、そこは接するイギリス人の性格と境遇次第かもしれないと思った。
あと氏の本でよく出てくる料理の話だが、この本でもそのおいしそうな描写は健在であった。はっきりいって内容の半分近くが料理の話、それも実地の、である。これには人付き合いに料理というものがどれほど大切か、いつも考えさせられる。腹を割った話というのはビジネス現場の一定の目的を持った短時間のミーティングでたやすくできるものではなく、食の時間を共有しじっくり時間をかけ回数を重ね互いにその人となりを徐々に理解していって、それで「少しだけ」本音を語ることができるようになり、それを継続していかないとできないのである。決して、人を強制出席させた酒の席で醜態をさらしたり怒号を飛ばしたり、改まった話をする場を強制的に設けて喧々諤々叫ばした内容をメモにとって「気持ちを把握する」ことではないのだ。氏の本はそういったことも考えさせてくれる。

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