デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ロトンドのヴィーナス像

ただでさえ人気の少なかったギャルリ・コルベールは、ギャルリ・ヴィヴィエンヌと同じく、盛り場の覇権がパレ・ロワイヤルからグラン・ブールヴァールに移り、パレ・ロワイヤルから娼婦を追放する命令が出されると衰退していった。ギャルリ・コルベールは娼婦すら出没しない不景気なパサージュになったが、かつて娼婦たちのたまり場であった家具付きホテルだけは細々と営業を続けていたという。そのころのロトンドはガレージとして使われていたとか…。


ヴィーナス像を私も気持ちだけこの人のように撮った(笑)

ギャルリ・コルベールがこうも美しい理由として、前回「ギャルリ・ヴィヴィエンヌに並行する形でつくられているパサージュであることから、「お隣」の成功に刺激されその対抗意識から建てられたゆえ、より美しく洗練され高級感を漂わせている」といったことを書いたが、現在に残る形でこうもピカピカになっているのはもう一つ理由がある。
ギャルリ・コルベールが敷地が隣接する国立図書館に買い取られ、そこに分館が建設されることが決まったのは1975年、その時点でパサージュはかなり傷みが激しく全面的な解体も検討された。最終的にパサージュを最初の状態に復元しようという建築家ルイ・ブランシェの設計図が採用され、十年の歳月をかけてレプリカが造られたことが、そのもう一つの理由である。つまり画像にあるギャルリ・コルベールは国立図書館の分館として復活を遂げた姿なのである。

……すべてこうしたものが、現在われわれが眼にするパサージュである。だが、かつてのパサージュはそうしたものではまったくなかった。「というのも、今日、つるはしによってその存在を脅かされるようになって初めて、パサージュはじっさいに束の間のもの(エフェメール)を崇拝する神殿となり、昨日までは理解されえなかったと思えば、明日にはもう知る人もなくなっているような快楽と呪われた諸々の職業との幽霊じみた風景となったからだ。」ルイ・アラゴン『パリの農夫』パリ、一九二六年、一九ページ■蒐集家■   [C2a,9]



プチ=シャン通りの方の出入口へ

あまりに整い過ぎた美人に男が寄ってこないのに似て、この洗練されたパサージュは、宿命のライバルたるギャルリ・ヴィヴィエンヌに比べて、いま一つ人気が出なかったのである。
 消費者というのは、一度でも自分を跳ね返すような冷たさを盛り場に感じてしまうと、二度とそこに足を踏み入れようとはしないのだ。猥雑さというのも、消費者を惹きつける重要な要因なのである。
  鹿島茂『パリのパサージュ』(平凡社)

新規の取引先や顧客に「他人がまねできない高級な接待をできることを見せ付ける」ために利用するような施設が客を選ぶところならばともかく、パサージュという施設において客が寄ってこないというのは商売にとっては致命的だ。
ギャルリ・コルベールのことを思い出すと、青年期の頃に感じたあることもついつい思い出してしまうのだ。自然の風景や食べ物を観光の目玉として大いに売り出している某都道府県のある山間のホテルに泊まったことがあったのだが、レトロな雰囲気と高級感を漂わせたそのホテルは「あまりに整い過ぎた美人たち」で経営しているような雰囲気で、バブル崩壊後でも本当はこちらで客を選びたいんですよ、といった冷たい空気が漂い居心地の悪さが際立っていた。その数年後だったか、そのホテルに閑古鳥が鳴き出し、TVの企画でホテルのオリジナル料理で客足を回復させたい、と某料理番組の有名シェフがホテルに出向いて新メニューをホテルの提供するのだが、その時に画面に現れた三人の従業員とホテルのロビーの雰囲気は私が体験したその頃とほぼ変わっていないことが画面からも感じられたのである。あの有名シェフの「起死回生」の新メニューはあのホテルにとってどれほどの収入アップに貢献したのか知るよしもないが、泊まるに恐れ多いホテルは入りづらいパサージュであったギャルリ・コルベールと共通点があるかもしれないなと、思ったものだ。

もときた出入口で少し警備員さんと話した。以下がその会話。

「美しいパサージュでした。ありがとう。」
「どこ(の国)からですか?」
「日本です」
「Oh, TOYOTA!(笑)」
「パリでもトヨタの車を見かけます」
「(いい車をつくるね、といったようなことのあとに)君の住んでいるところはフクシマの近く? ツナミは大丈夫だった?」
「いえ、離れています。」

まさかパリのなかにて、TOKYOよりもFUKUSIMAという地名、TSUNAMIという現象の語を耳にするとは思わなかった。私は「いえ、離れています。」のあとに「残念な事故でした」という英語が出てこなくてもどかしくなった。フランスも原発大国であり、隣国に電力を売っていることもあってかあの事故には並々ならぬ関心があるのだろうと、初めて現地で感じた瞬間だった。

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