デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ヴィヴィエンヌ通り側に抜ける歩廊

前回

>ちなみに「ギャルリ」という言葉だが、いずれ紹介しようと思っているギャルリ・ヴェロ=ドダが宮殿の中のギャルリのように高級感を漂わせるようにつくったから「ギャルリ」と名づけた影響なのだろうか、ギャルリ・ヴィヴィエンヌもそういった意味をこめて「ギャルリ」を用いているのかもしれない。

と書いたが、これは誤りの可能性が高くなった。
というのは、ギャルリ・ヴィヴィエンヌが1823年~1825年にかけて造られ、1825年には開業したというのに、ギャルリ・ヴェロ=ドダは1826年の開通だからである。
記事の参考にさせていただいている鹿島茂著『パリのパサージュ』(平凡社)のギャルリ・ヴェロ=ドダの章36ページには

 そして、これらの新機軸の仕上げとして彼らが用意したのが、「パサージュよりも高級なパサージュ」という意味での「ギャルリ」という新しい名称だった。ようするに、ヴェルサイユの『鏡の間(ギャルリ・ド・グラース)』みたいなものと言いたかったのである。
 かくして、ギャルリ・ヴェロ=ドダという名を得てスタートした新しいパサージュは豊かさを追求する時代の好みに合ったのか大変な賑わいとなった。

とあり、私は「新しい名称」という言葉を、あたかもパサージュのような建物でギャルリ・ヴェロ=ドダが初めて「ギャルリ」という名称を用いた、というふうに読んでしまったのである。
だが、よくよく考えると既に触れているギャルリ・ド・ボワ(パサージュではないが名称としてギャルリとある)や、他にパサージュの建築として

1807年~1810年のギャルリ(バザール)・サン・トノレ
1811年のギャルリ・モンテスキュー
1823年~1825年のギャルリ・ヴィヴィエンヌ

などがあり、決してギャルリ・ヴェロ=ドダが最初に「ギャルリ」という名称を用いたわけではないのだ。
となると、本にある

「パサージュよりも高級なパサージュ」という意味での「ギャルリ」という新しい名称

という記述はどうなのだ? ギャルリ・ヴェロ=ドダをヴェルサイユの『鏡の間(ギャルリ・ド・グラース)』をイメージさせるようなつくりにし、名称も「パサージュ」を用いず新機軸の意味を込めて「ギャルリ」を用いた、というのなら分かるのだが…。
おかげで、パサージュの歴史のページを見てこのことに気づくまで、

・「ギャルリ・ヴィヴィエンヌは、ベンヤミンが引用した書物の記述どおり元はパサージュ・ヴィヴィエンヌという名称で、後の改装のときに名前をギャルリに変えたのかな?」
・「先に出来上がったギャルリ・ヴィヴィエンヌを開業したマルショーという人物が、工事時期が重なりはしているパサージュ・ヴェロ=ドダの関係者から知恵を拝借してたんだろうか?」

などと勝手な想像までしてしまった(笑)。

細かいことかも知れぬが一応「訂正かも」というタイトルで記事を残す。

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