デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



島津義弘陣跡から小西行長陣跡へ

石田三成の陣跡からの合戦配置図を見てからは、このあたりも戦いが繰り広げられていたところなのだ、と思うようになった。でも、のどかではある(笑)。


開戦地

この石碑は実際の開戦地からは少し北側に移されているもの、といったようなことが解説板にあった。


小西行長の陣跡

キリシタン大名の小西行長も関ケ原では奮戦した。関ケ原で敗れた行長はキリシタン故に切腹を拒否し斬首された。



関ケ原の戦いで小西行長という主君を失った行長の家臣たちの中には、後の島原の乱で天草四郎側について身分の分け隔てのない組織だった軍をつくるのに一役買った人もいる。島原の乱がただの一揆どころか、幕府と事を構えた大戦(おおいくさ)となったのは彼らの力が大きい。
島原の乱後のキリシタンに対する幕府の姿勢は建前上は変わらなかったが、島原の乱は幕府に仁政を敷かせる一つのターニングポイントになる。敗れはしたものの、小西行長の家臣たちの犠牲は、決して無駄なものではなかったのである。

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