デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




17年ぶりに財布を新しいものにした。祖母の実家の偉い人が亡くなられ、葬儀とその後の法要に出たことのお礼のカタログから選ばさせていただいた。
見てのとおり、右の分がこれまで使っていたやつだ。貧乏性と言われてしまっても仕方がないが、とにかく17年以上使った財布は私になじんでいたのだ。買った頃は「まだ年端も行かぬ若造がこんな皮製のいいものを持ってるとは似合わないなぁ(笑)」と言われた時分であった。
しかし、17年間連れ添った財布は紛失もしなかったし、盗られもしなかった。それに日本だけでなく、これまで行った外国でも常に私とともにあってくれたのだ。
実際のところ、まだ17年間付き合ってくれた財布は一部を除いて十分に使える。なので、もし次に外国に行くことがあったなら、また17年の連れを使用するだろう。多額の現金を入れず、たとえスラれたりしても旅の最小限のダメージで済むようなリスクを管理するためのツールとして。そしてあまり考えたくはないものの、もし外国で無くなったとなったら、ある意味、外国で葬ることになるわけだ。そういった運命が訪れても甘んじて受け入れられるくらい、よくぞ今日までともにいてくれた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )