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夜明け前のパリの郵便ポスト
パサージュの入り口の前にある一つの郵便ポスト。それは人が立ち去ろうとする世界に合図を送る最後のチャンスだ。 [C3,2]
弊ブログ上で、パリのパサージュに関する旅行記を書こうとした時、現地で撮ったパサージュの画像と19世紀パリの歴史と少し絡めた軽いコメントをつけるだけの記事で済まそう、という考えを持っていた。つまり、ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』に依らない記事を書いて簡単に済まそうと思っていた。
しかし、それだと「パリにアーケード型商店街を見に行ったんですか? そんなことをして何が楽しかったんですか? 外国のアーケードの何がそんなにいいのですか?」と訊かれて、たとえ「楽しかった」と居直るにも私の中で惨めさが残るだろう。やはりベンヤミンの『パサージュ論』に出てくる事物そのものへの憧れや著書にある内容を視覚的・肉感的に理解したいと思って日本を発った、そのことを後付理解でもいいから残しておきたいのだと正直に答えたい。少なくとも自分の中ではベンヤミンの著書なくしてパリのパサージュめぐりは有り得なかった。実際、日本を発つ前に、にわかではあったが予習(復習?)はして行ったのだから。
ただ、現地での私は『パサージュ論』と「パリのパサージュに関するガイドブック」を持って行っただけの俗物で、ガイドブックを手にして夢を見ていた、まるで眠っているかのようであった。建設的に捉えても
だがさまざまな偉大な追憶、歴史的な戦慄――そうしたくだらぬことは彼(遊歩者(フラヌール))としては観光客に任せておく。観光客というのは、その土地の守護霊(ゲニウス・ロキ)と軍隊式の合言葉で接することができると信じ込んでいる。 [M1,1]
ような一旅行者に過ぎなかった。あげくの果てには「予習」して行ったとはいえ『パサージュ論』のことを、
・19世紀を20世紀に再現する試み
・19世紀が資本主義に目覚めようとしていることを書いた本
・パリを訪れる団体旅行者がパリに憧れる「夢」が集団の夢でそれを描いた本
と誤読するにもひどすぎる、目覚めていない固定観念に囚われて、それがぬぐえてない状態の主観を持ったまま、つまりは曲解した前提のままで、現地をちょこまかと歩き回っていた。
情けないことだが、この誤読のありさまは、弊ブログ上でパリのパサージュについて触れるために『パサージュ論』を改めて再読し、『パサージュ論』に関する書評やパリの歴史事典などをじっくり読んでみて、初めて「あ、徹底的な誤読してました」と気づいたのである。重要なことは帰国して時間を置き、自分の既存の理解内容を検討してみて、初めて気づくのだ。そして現地であれを見てなかった、立ち寄るべき見ておくべきものは他にもあったと、いつもの後悔を味わうのであった。
しかし、記事を書いていくなかで再び『パサージュ論』に触れ、約11年前に初めて手にした時とはまるで別の本であるような印象を受けていることは本当によかったと思っている。冒頭に引用させていただいた断片は、今なら日本人の私からすれば
日本の空港にある郵便ポスト、それは人が立ち去ろうとする際にこの世に痕跡を残す最後のチャンス
と書き換えても意味は同じだろうと思うし、
古代ギリシアでは、黄泉の国に通じているいくつかの場所があるとされていた。覚醒時のわれわれの存在にしても、そのさまざまな秘密の場所から黄泉の国へと道が通じている一つの大地、夢が流れ込んでくるまったく人目につかない場所に満ちた一つの大地のようなものである。われわれはそうした場所を取り戻そうとあわてて手探りし、暗い道に紛れ込む。町の家々の作りなす迷宮は、白昼には意識に似ている。われわれは昼間であれば、パサージュ(それは、町の過ぎ去った生活へとつながっているギャルリだ)を通って、いつの間にか街路に抜けることができる。だが夜ともなると、暗い密集した家々のもとでいっそう濃密になった闇がぎょっとするほどにまで浮かび上がり、遅くなってそこを通る者は、われわれが前もって狭い小路を通るよう勧めておいたのでないかぎり、そこを足取りを速めて駆け抜けることになる。 [C1a,2]
に対しては大体外国旅行自体が幻像空間に身を置くようなものだし、私にとっての黄泉の国はパサージュを含めた集団の夢の跡の博物館が充実した生活都市パリそのものであって、ただしそこでは過去未来物のなかでもしっかり生きている人がいるのであり、実際には黄泉の国なんかではない、と書ける。(もちろん、これは諧謔だ)
だからといって今ならば『パサージュ論』における19世紀のパリのことを理解できたのかと問われれば、もちろん理解できたとは到底思っていない。
街路名にひそむ感覚性。それは普通の市民にとってどうにか感じ取れる唯一の感覚性である。というのも私たちは街角について、仕切り石について、舗道の構造について何を知っているのだろうか。私たちは、石の熱さ、汚れ、へりの角を素足で感じたこともなければ、寝ころんで痛くないかどうか敷石の間のデコボコを調査したこともないのだ。 [P1,10]
これは本当にそう思っている。

サン・マルタン運河で迎える夜明け
ただ、今からするとたとえぼんやりとものを考えていたとしても、雨のパリを歩き回り、跳ねた雨水や泥水に不快を覚えつつパサージュに逃げ込んだり、寒いのにカフェの外に座ってパリに住む人々を眺めていたり、最終日にまるで目覚めを促すようなきれいな朝を迎えるなどして得た記憶は、私にとってかけがえのないものだ。ある意味、
ボードレールは――無理に旅に出されてから――見聞が広がった。 [J1a,4]
ならぬ、強制されなくとも物好きで行ったことで、新たなる本に出会うきっかけになったのだ。
帰国して復習して想起してみて初めて気づいたことの内容が多い記事、『パサージュ論』を無理やり自分のレベルに引き下げたような記事が多いが、黄泉の国に行ったボロ・クズ旅行者が絵葉書にてそこから最後の合図を送るチャンスを生かさせてくれた方々、ここまでパリのパサージュについての記事を読んでくださった方々への感謝の念は絶えることはない。
尚、ガイドブックには弊ブログで触れたパサージュ以外にも、パリにはあと12ものパサージュが紹介されている。
弊ブログの記事では機種依存型文字となっているアルファベットの使用は避けている。また一度アップした記事でも、(アップして数時間以内であることが多いが)誤字脱字を見つけれたら再更新しているし、内容をより的確なものにするためにつけ加えた表現や『パサージュ論』からの断片を加えた再更新記事もあることをお断りしておく。
記事を書く上で参考にさせていただいた本は
・ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫)、全五冊
・鹿島茂『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』コロナブックス(平凡社)
・鹿島茂「『パサージュ論』熟読玩味」(青土社)
・アルフレッド・フィエロ『パリ歴史事典』(白水社)
・鹿島茂『パリ・世紀末パノラマ館 エッフェル塔からチョコレートまで』(角川春樹事務所)
・ф・ドストエフスキー『冬に記す夏の印象(ドストエフスキー全集6)』(新潮社)
・『ドストエフスキー全集(別巻)』(新潮社)
・C・ボードレール『悪の華』(新潮文庫)
・旅行ガイド書やパリの地図のサイト幾つか。
である。
最後に、パリへ行きたいと思った動機は約11年前あたりに遡ったところにあるような気がする。そのころ、私はドストエフスキー作品と、プルーストの『失われた時を求めて』にどっぷり浸っていた(今も影響は強い)のだが、『失われた時を求めて』を読み終えた頃にベンヤミンの『パサージュ論』の存在を知り、その数ヵ月後に『パサージュ論』を読んだ方々と直にお話ししたのである。その方々にお会いする直前、俗物根性から私はまさに「ざっと」『パサージュ論』に目を通したが、よく理解できるはずもなく、当日はあたかも知った風に頷きながら実のところ質問ばかりしてお話を伺っていた。
当然、みなさんの話題についていくことはできなかった。それでも、ドストエフスキー狂でプルーストのこともまだよく理解できてなかった私でも、ドストエフスキーとプルーストやベンヤミンのベクトルが異なることに直感的に気づき、みなさんが次元的理解の面で私などよりは先に行っておられ、私は取り残されているというか何かが違うのは分かった。
細かい会話のやりとりは思い出すことはできないものの、その場で(たぶん『パサージュ論』の本質というかベンヤミンの著述に取り組む姿勢についての話題だったと思うが)どなたかが「ベンヤミンは、やさしい」と誰もが腑に落ちるような善意に満ちた情感を湛えて発せられたその言葉が非常に印象に残っている。
その「ベンヤミンは、やさしい」という言葉は、
「進歩」という概念を克服すること、および「衰亡の時代」という概念を克服することは、同じ事柄の両面にすぎない。 [N2,5]
この仕事を支えているパトス、それは衰亡の時代などないという考えだ。ちょうど私が悲劇論〔『ドイツ悲劇の根源』〕で一七世紀を見ようと努めたように、一九世紀を徹底してポジティヴに見る試みである。衰亡の時代があるなどと信じないこと。それゆえに私にとってはどのような町も(その境界の外に立つと)美しいのであり、言葉には価値の高いものと低いものとがあるなどという言い方は受け入れがたいのである。 [N1,6]
「ある種の高尚な趣味の魅力を別にすれば、前世紀の芸術の織りなす襞はかび臭いものなってしまった」とギーディオンは言っている。ギーディオン『フランスにおける建築』ライプツィヒ/ベルリン、<一九二八年>、三ページ。しかし、そうした襞はわれわれにとってやはり魅力なのであり、その魅力が証してくれるのは、そういった襞といえども、われわれの生活にとってきわめて重要な素材を含んでいることである、とわれわれは考える。――たしかにわれわれの現在の建築にとって、鉄骨建築が現代建築の構造を先取りすることによって重要な素材をはらんでいるほどに、この襞は重要ではないかもしれない。しかし、われわれの認識にとっては重要な素材を含んでいるのだ。認識という代わりに、最初の頽廃の兆候が現われてきたその瞬間における市民階級の状態を透かしてみるためには、と言っていいかもしれない。いずれによせ政治的に見てきわめて重要な素材である。シュルレアリストたちがこうしたものにこだわり続けていることを見ても、現在の流行がそうしたものを勝手に盗用〔搾取〕しているのを見ても、そのことがわかる。言葉を変えて言えばこういうことである。ギーディオンは一八五〇年ころの建築から今日のそれの基調をどのように読み取るかをわれわれに教えてくれたが、それとまったく同じにわれわれは、あの時代の生活、そして見たところどうでもいいような、今では失われたもろもろの形式から今日の生活を、今日の形式を読み取ってみたいと考えるのだ。 [N1,11]
この仕事の方法は文学的モンタージュである。私のほうから語ることはなにもない。ただ見せるだけだ。価値のあるものを抜き取ることはいっさいしないし、気のきいた表現を手に入れて自分のものにすることもしない。だが、ボロ、くず――それらの目録を作るのではなく、ただ唯一可能なやり方でそれらに正当な位置を与えたいのだ。つまり、そのやり方とはそれらを用いることなのだ。 [N1a,8]
真の芸術作品ならかならず、その作品に沈潜しようとする者に向かって、作品がまるで明けわたる朝〔Fruhe〕の風のように涼やかに吹きよせる場所を有している。このことから明らかになるのは、しばしば進歩への関わりに無縁と見なされる芸術が、進歩の真正な定義に役立つということである。進歩は時代の経過の連続性にではなく、その連続性への干渉のうちに宿っているのである。そこでは、真に新しいものがはじめて夜明け〔Fruhe〕の冷澄さを伴って感知される。 [N9a,7]
きっとこのような断片が集約されて出た感懐だったのだろうと、私は思っている。
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