デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




今年もわらびを採れる季節が訪れた。
ここ数年読んだ本にわらびが出てくる作品と出遭ってるなぁとふと思った。
一つは『源氏物語』の「宇治十帖」の「早蕨」で紫式部は、阿闍梨に

君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬ初わらびなり

と、中の君に

この春はたれにか見せむなき人のかたみにつめる峰のさわらび

と、土から芽を出したばかりのわらびを歌に詠ませている。

あと一つは、司馬遷の「史記」の『伯夷列伝』に出てくるわらびである。
周が殷を滅ぼそうとする時代、周の武王が呂尚を軍師にして、殷の紂王を討とうとしていた。伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)は呂尚に「周の主である紂王を討つのが、仁であると申せましょうか!」と咎めた。伯夷と叔斉を殺そうとする動きもあったが、呂尚は二人の言うことを正しいとしたものの、紂王の討伐に向かい、結局、殷は戦いで滅んでしまう。
武王が新たな王朝「周」を立てたものの、伯夷と叔斉は周で採れた作物を口にすることを恥とし、周から離れ山に篭ってわらびばかりを食べていたが、最後は餓死するのである。司馬遷はこのエピソードに「天道是か非か」と問うている。

昨年までわらびを摘んでいて、歴史を感じてしまうなんてことはなかったのだが、今年はわらびを食する際にとてもありがたい気持ちになっているように思う。

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