デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



井波律子 訳『水滸伝(1)~(5)』(講談社学術文庫)、読了。

『水滸伝』は、中国五大小説(『三国志演義』『西遊記』『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』)の一つである。2月か3月ごろに読み始めて、読了は今月だ(笑)。読書スピードが速い人ならば3週間もあれば全回読みきるだろうが、私は梁山泊の好漢たちが徽宗帝の官軍となってから急に読書スピードが落ちた。だが、南の方臘を征討しに現地に入って以降、再び読書スピードが上がった。
全体として、文庫本の裏表紙に「善悪が渾然一体となる物語」とあるが、まさにそのような物語で非常におもしろかった。梁山泊の好漢たちを生み出すことになった世の中の状態もひどいが、(宋江らがまとめるまでの)好漢たちも好漢たちで、本当にひどい奴らだ(笑)。酒ばかりあおり、人を殺めたり殺されかけたりしても、それに至った事情の詳細が判明すれば即宴会、トラブルがあれば暴力で解決し、とばっちりを受けて殺された民も顧みず問題がとにかく解決したらまた宴会、不運な出来事に見舞われたら他人の財を強奪して山賊に身をかえ、悪業ゆえに刑務所に当るところに入っても袖の下さえ渡せば高待遇でどこにも出かけたい放題、思わぬことで手を汚した主人公の一人も「財を軽んじ義理を重んじて、天下の好漢と交わりを結び、誰もが敬愛するお方」なら幾度と無く訪れるピンチもものの見事に切り抜けてしまい、あげく悪い所業に対してすら(周囲が)理解を示してくれたり、神様の娘娘までその主人公に肩入れしたり、姦通や不倫の場面はほぼ女のキャラが極悪の如く描かれるなど、ろくでもなく且つひどく呆気にとられる話ばかりだが、おもしろい作品というのはこれぐらいじゃないといけない(笑)。
ひどい話も多いのに、梁山泊の好漢たちにはとても感情移入できたし、巧言令色に騙されつづける徽宗帝みたいなのが国のトップでいいのか!?などと思った時は、李逵の言うことのほうがもっともだとも思った。また、宋江も徳のある人物ではあるのだが、正義感の方向が案外少し斜め上っているところがあるし、衝動的で少しおっちょこちょいで義理や筋を通そうとして逆に自ら災いをもたらし仲間たちに迷惑と苦労をかけたり、こんなのが(梁山泊の)トップでいいのか?と何度思ったことか(笑)。
しかし、不思議とこういった人間臭いところがあるのは憎めなかった。特に宋江と、トラブルばかりもたらす李逵は似た者同士で、ラストの場面はある意味そのことを象徴しているかのようにさえ感じたものだ。
作品はまた裁兵の物語でもある。事実、賊臣の察京、童貫、高俅、楊戩の4人は生き残るし、作品の後半は越や漢の時代の「覇業を支えた者たちへの粛清」の故事が生かされていてとてもリアリスティックだ。この点でも、『水滸伝』は単なる荒唐無稽な物語であることを免れているように思う。
あと、いい出したら限がないが、個人的に最も前のめりになったエピソードが二つある。高俅の養子の高衙台が林冲の妻にちょっかいを出し、林冲に妻だと知らされて一旦引き下がるが、高衙台は林冲の妻が忘れられず、高衙台のとりまきが謀って林冲を陥れようとするエピソードと、武松の兄嫁潘金蓮が西門慶と姦通するエピソードの二つだ。とくに後者の潘金蓮と西門慶の姦通のエピソードは抜きん出て面白かった。たしかにこのエピソードは武松が梁山泊に上るまでの逸話として語られるだけではもったいない。この二人の辿る運命のスピンオフ作品(派生作品)が『金瓶梅』だが、派生作品を生み出す力も『水滸伝』は多大に秘めている。もちろん痴情や性的欲望を描いた作品だけでなく、いわゆる何人もの英雄・豪傑・好漢が登場する戦記物で、梁山泊の108人のキャラのテンプレに当てはまらない作品を見つけるのが難しいという意味も含めても、『水滸伝』は今なおさまざまな作品に影響を与え続けているのは間違いない。


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