扶蘇山の出入口を下るとなにやら舞台スタッフっぽい人たちが音響関係の機材の準備を行なっていた。土日でイベントがあったのかも。
機材の準備が行なわれている横を下ると広いところに出た。
官北里遺跡
百済の王城だったと推定される広大な遺跡だ。ガイドブックに拠れば1980年から30年以上にわたって計画的に調査されて、百済の王城の構造を解明に導いた遺跡と分かったとのことだから、自由に見学できるようになったのは比較的最近のことなのかもしれない。
新羅が百済を滅ぼしたあと、新羅は百済の建物の基礎部を使って自分たちの重要官庁の建物を建てたことも分かったそうだ。
木槨水槽(もっかくすいそう)跡
傾斜面上から流入した水が木槨水槽に落ちると排出される仕組みだった。全長約80mあった導水管路は鬼瓦を2枚合わせてつなげた瓦の管で作られた。
敷瓦施設
地面に瓦を敷いて防湿していたという。
まさかこの瓦片が百済時代の物か!?
しかしこの芝の感じとか奈良の若草山や唐古・鍵遺跡公園みたいに思った(笑)。唐古・鍵遺跡公園は弥生時代の遺跡なので、時代が全く異なるのだが、ただ、外国なんだけど外国に来た気があまりしなくなる一瞬ってあるものだが、こういう遺跡を見るとそんなことがある。