デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



唯一のお土産。CUで
買ったコーヒーナッツ

帰国して2週間後ぐらいに、韓国旅行に対しモチベーションを保っているもののコロナ禍のせいで控えている人とお会いする機会があって、
「(コロナ禍の)この時期に行ってきたの!?」
と驚かれた。
なんでもかんでも恐がってれば体裁を保てるような雰囲気に嫌気がさしていたので行きました、とか、現地では飛行機の中と地下鉄を除いてマスク着用の義務らしき雰囲気など感じられなかったとかいろいろ語った。
微妙な時期だったのはそうだが、今ならばパスポートを取得し、Q-CODEの登録さえすれば行ける(それにQ-CODEは2023年7月15日から廃止になるし、更に2024年12月31日まではK-ETA免除)ので、ぜひチャレンジしていただきたいと思っている。

韓国に行ってみたい願望はあったが、具体的にいつか絶対行くと思ったのはたぶんこの時だろう。
その後コロナ禍となり外国に行けなくなってから、韓国学校や朝鮮学校や在日朝鮮人についていろいろな人と話したり、内田樹編『街場の日韓論』などの本を読んだりするうちに、ネット上に溢れる韓国観、韓国の日本観の一定のパターンにうんざりし、たとえ現地でどんな結果が待っていようが、早めに韓国には行っておきたくなった。
またコロナ禍ゆえに一人で奈良に何度も足を運んで遺跡めぐりをしていたことが、いつか百済と新羅の地に行ってみたいという思いに拍車をかけた。
それに2022年の夏の台風のことやコロナ禍で、自分の中で湧き起こった閉塞感をどうにかしたく、衝動的にとにかく日本以外のどこかに飛び出したいというのも大きな動機だった。なんだかんだでこれが直接的な一番大きい動機だったかも(笑)。
なにはともあれ現地に行ってみて心理的にスッキリしたと思う。旅のなかで後悔というか悔しいなと思っていることもあるが、それは自業自得というか身から出た錆なので、今更どうしようもない。
とくに、食事の時間のかけかたが少ないのは悔しい。食事を軽んじていたわけではないが、一人旅だと食事をおろそかにするクセは今回も直らなかった。
ネット上の記事や動画で見られる食レポは改めてすごいなと思う。腹が減っては歩き回れないし、せっかく摂る食事を充実したものにしたい気持ちはあるのだが、あれ食べたいこれ食べたいと思ったなら必ず目的の店に行くぐらいの気概をこれからは持ちたく思う。
しかし、決して同じ旅行体験を再び味わうことはできない、一事が万事だったという点で今回の旅行もすばらしかった。振り返ってみれば自分の軽い気持ちでの決断や誤判断や無知や未経験が、かえって良い方向に転んだことの多い旅行だったという気もする。
大田市でバスを乗り過ごさなければ、遅れて到着した扶余での宿のレセプションの婦人の日本語での応対がとてもありがたく感じるようなことはなかったし、濃霧にもかかわらず扶蘇山に登らなければあの朝の木漏れ日と雲海を目にすることはできなかったし、それらはそもそも扶余を割り込ませなければできなかった体験だった。
夜に慶州に到着するような移動プランになってしまったことで、ゲストハウスでのすばらしい出会いがあったし、バス停を間違えて下車しなければ晴れ間の覗いた仏国寺の塔を目にすることができなかった。また、婦人が押し付けてきた熱々の栗を味わえなかったし、バスの待ち時間にドイツ人男性と語り合えなかったし、昼食を食べ過ぎたことで散策がゆっくり過ぎるものにならなければ、汶湖社の解説板をじっくり見ることはなかった。欲張って夜の月精橋に無理して行っていたら宿泊客の女性の誕生日を一緒に祝うことはできず、かつ年配の男性に片言ハングルで話そうとしなかったし、そのときのスタッフの青年の手料理(夕飯)をごちそうになることもなかった。
ドミトリーの同部屋の彼らやドイツ人男性からの影響が無ければ良洞村に行く決断もなかったし、昼食のフードコートでの親切もなかった。
釜山到着が大幅に早くならなかったなら宿の近くのガイドブックに載っている店で手堅く夕食を済ませそれでは味気ないものになっていたろうし、地下鉄に乗ってまで行った富平カントン市場の地元の人が味わうチヂミ店でニラチヂミと副菜とマッコリを味わえなかった。市場に行かなければ韓国での外食はやっぱり数人単位で焼肉や海鮮料理でコンロや丸テーブルを囲むスタイルが多いことを韓国の食文化として目にし考えることができなかった。宿に戻るのが夜じゃなかったなら、ウズベキスタンの男性が宿に到着してすぐの話しかけやすいタイミングでの会話の機会はなかっただろう。
運命論ならぬ結果論でそうなったといわれればそれまでだが、どれもが初めての韓国旅行の私にとっての万事だ。

扶余と慶州と釜山を訪れた実質4日間の旅行を紹介するのに8ヶ月かかりました。
編集のやり方次第では10回分の記事でぴっちりとした短い文章で要領を得たものになっていたかもしれませんが、ここまで読んでくださった方々には改めて感謝申し上げます。
弊ブログで触れた主な交通機関のチケット料金は2022年10月下旬のものであることを改めておことわりしておきます。
あと言葉のことですが、記事で触れているほど私は現地で韓国語を使ったろうか、また現地の人の言うことを聞き取れていたか、と少し疑ってしまっていますし、現地の人の言うことを理解できたように脚色してしまいたくなる気持ちも正直なところあります。自分を卑下するようですが、とくに現地の人とハングルでおしゃべりした時の私のカタカナ韓国語はきちんと伝わっていたかどうか怪しいと思います。
カタカナで記した韓国語については不正確なものもあるでしょうし、また現地に置かれている解説板の英語で書かれている説明文も誤訳している可能性もありますので、明らかな誤りがあればぜひご指摘をお願いいたします。


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