味鄒王陵(ミチュワンヌン)入口
ハングルと英語のみの解説だった…
人が少なくなるまで待った。
味鄒王陵(ミチュワンヌン)
味鄒王は伯済国(のちの百済)の攻撃を何度も凌いだ。農業を奨励した王としても知られる。
金富軾(キムプシク)が著した『三国史記(サムグクサギ)』には「味鄒王は、民を慈悲深く思い、五人の使者を各地に派遣して、民の苦衷を聞き、在位すること二十三年で崩御したので大陵に埋葬した」との記述があり、「大陵苑」の名はこの故事に由来している。彼は慶州金氏として最初に王となった人物で、
金閼智(キムアルジ)から7代目の子孫にあたる。味鄒王から新羅は滅亡まで金氏の者が代々王となった。
玉座に相当? ここに子供を座らせて
写真を撮る人も、ちらほらいた。
遠足?の高校生たちが
賑やかに入って行った。