勤政門(クンジョンムン)と左に北岳山
景福宮(キョンボックン)は李成桂により朝鮮王朝が建設された3年後の1395年、開城から今のソウルへの遷都の翌年に創建され、正宮として使われることになった。
勤政門
勤政殿は国家の重要な儀式や中国からの使節との接見が行なわれた朝鮮王朝の心臓部であるが、勤政殿の南に建つ勤政門はその門楼である。
光化門の方を振り返る。
景福宮の南には現代的な
ビルが建ち並んでいる。
この装飾の細かさ…
勤政殿(クンジョンジョン)
勤政門から朝廷へ。石畳を敷いた朝廷に入ると、一段上がった御道、王の道がある。その両端には文官武官が階級別に建つ位置を示す品階石が並び、奥に勤政殿が建っている。
くりかえすようだが勤政殿は国家行事を行なった場で、前面の石畳を敷いた朝廷とともに王の即位式や文官武官との朝会、外国使節との接見に利用された。二段の月台(基壇)の上に殿は建ち、屋根を二層に架けている。
韓国最大の木造建築であり、軒や梁は緑と紅を基調としてそこに芥子色と青を織り交ぜ、さらに斗栱(ときょう)屋根の先を支えるために柱上に組まれる木組み)の部分には、緑と紅で雲形をしたような絵板があしらわれている。
遷都から約200年後には文禄の役(壬辰倭乱)に乗じた混乱で、景福宮も王が去ったら奴婢たちの略奪に遭い火が点けられ建物の大半が焼失、そのまま放置された。
宮殿は文禄の役から約270年後の1867年に興宣大院君(フンソンデウォングン)が再建した。その子・高宗(コジョン)が、1868年から景福宮を正宮として使い始めた。