百花亭(落花岩の上に建てられた東屋)
西暦660年、百済が唐・新羅連合軍によって滅ぼされようとしているとき、山肌にむき出しになった岩の天辺から白馬江(昔の白村江)に、3000人もの百済の女官たちが相次いで身を投げたと伝えられている場所がここだ。
せっかくの白馬江が見えない!と少し嘆いたが、むしろ雲海化している白馬江を上から眺めることのほうが激レアなのではないかと思った。
落花岩を上から
「三国遺事」の記録によれば宮女たちは災いを免れる事はできないと思い、他人の手で殺されるよりは貞節を守るため身を投げざるを得なかったという。この岩は“堕死巌”と呼ばれたが、後日、宮女を花に喩えて落花岩とも呼ばれるようになった。現在は落花岩の方で広く知られる。
岩全体の写真も紹介されていた。