平城宮第一号木簡出土地
1961年1月24日、この地点で平城宮跡で最初の木簡が出土した。木簡は、寺から大豆・醤(びしお)・酢・末醤(まっしょう)の4種類の食材を請求するもので、ここが下に触れる大膳職(だいぜんしき)だったことを推定する手がかりとなった。
史書に書いてあることが本当の事なのか、史書によっては疑わしい内容のものもあるゆえ、木簡の出土によって史書の記述が裏付けられたときの研究者の興奮は想像をはるかに超えていることだろう。研究成果を得るまでには長い時間がかかるだろうから。
(推定)大膳職
大極殿の北側にあった大膳職は、平城宮内の食物の調整をすべて担っていた役所であった。ツゲによる植栽で建物の柱の跡を表示している。
木簡が見つかったのは大膳職のゴミ捨て穴からとある。重要資料が見つかるパターンとして貝塚のことを思い出した。貝塚は縄文人にとってゴミ捨て場だったが、ゴミ捨て場にあるものから古代人の生活を知る上での貴重な手掛かりが見つかるのは、時代が進んでも同じようである。
佐紀池
奈良時代の歴史を扱う『続日本紀』(しょくにほんぎ)にある「西宮池」だという。この池をともなう宮殿があったそうだ。